- ベストアンサー
あなたにとって、世界がいい方向に変わるということはどういう変化をさしていますか?
世界を変えたいと考えた時、例えばクーデーターや、妙な宗教という短絡的な発想しか浮かびません。 しかし過去、軍事力や怪しげな説法を用いて、世界をいい方向に導けたことはありません。 世界を変えるための方法論を伺う前に、まず、あなたにとって、世界が、素敵だな、ありだな、と変わるということはどういう変化をさしていますか? エリッククラプトンは、好きな人の心の光になった状態をさすみたいです。 観念的な質問で、恐縮ですが、回答をいただけると幸いです。
- みんなの回答 (6)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
こんにちは。 難しく考える事はないと思います。世界から飢餓と貧困と抑圧と暴力等が 無くなる方向に向かえば、世界は良い方向に動いているといえるでしょう。 イラク侵略をあっさり許してしまう現状では、世界が良い方向に 向かっているとはお世辞にも言えないですが・・・ 日本だけみても年間3万人もの尊い命が、自殺という切ない方法で 死んでいるのに、何故か大きな問題としてあつかわれないし、小泉首相は その事に関して全く関心を示しません。 自分の心の中を相田みつをの詩のように平穏に優しくしても、イラクの 子供達の命は救えないしアフリカの飢え死にしていく子供達も救えないの です。その根本にある元凶が何かを突き止め、その上で何らかの行動を とるしか我々には世界を少しでも良い方向に動かす事は出来ないのです。 ちなみに小泉の政策では自殺者は増加の一途を辿るでしょう。
その他の回答 (5)
- kikiviki-13
- ベストアンサー率16% (4/25)
すべての生命が苦しまずに、希望を持って生きていける世界が理想なのでしょうか。 もちろん、人間だけでなく"全ての"生命。 誰にでも分かるように、こんなのは不可能です。それは、なにかが生きるためには何かが犠牲にならなければいけないから。 例えば、病原菌を殺して人間は幸せになりますが、病原菌にとってはいい迷惑です。 それと同じように、すべての生き物には敵が存在します。いま、一番多くの生物から敵として見られているのは人間でしょうね。だから、人間を殺そうとする生物はたくさん出てくる。 誰かが得をすれば、誰かが必ず損をする。だから、世界に良いも悪いも無いんじゃないかと思います。
- azisai2006
- ベストアンサー率20% (10/50)
思うのですが、 気の持ちようだと思いますね。 zaza_btmさんにとってあなたの「世界」って何ですか? 身の回り?世界情勢? そして次に今の自分で変えることのできることと できないことがあると考え、 そして最後に自分の手で変えることができるところから変えていく… ということだと思うのです。 で、自分の力で変えることのできる最も根本的なところは 自分じゃないでしょうか?気持ちの持って生き方ではないのかな? と思っています。 予断ですが、 だからといってクーデターや宗教というものを 短絡的と否定することもないと思っています。 あと、軍事力=クーデターではないと思います。
- yottimama
- ベストアンサー率28% (36/125)
こんにちは。 難しいことは言えないけれど、ひとつ思っていることは 「ひとり、ひとりの心の中の 恐怖心(不安)が消えた時」 争いの火種は消えると思っています。
- phj
- ベストアンサー率52% (2344/4489)
>しかし過去、軍事力や怪しげな説法を用いて、世界をいい方向に導けたことはありません。 そうでしょうか。第二次世界大戦の日本は本当に悪い事だけをしたのでしょうか。 無論、中国や韓国(北朝鮮)に対して非常に迷惑をかけたことは事実です。 しかし日本が戦争をしたことで、民族自決の機運が高まり、戦後続々と植民地が独立したことは事実です。 物事には必ず、光と影があります。どんな宗教でも全員がそれを信じ、穏やかに暮らすなら悪い事ではないでしょう。ただ第三者から見てそれが納得できなければ、だまされていると判断されるだけです。 単純な善ほど危険なものはないと思います。
- BoysBeAmbisious
- ベストアンサー率18% (17/90)
アガペが世界を満たした時。 「金(お金)」という概念が世界から消えた時。 あぁ、欲とは罪深きものなり....
お礼
回答ありがとうございます。 戦争が起こる原因は、金の場合がほんとに多いですからね。性欲、食欲、その他の欲も、金に変換できますしね。芯を食った回答、感謝いたします。
お礼
こんばんは、回答ありがとうございます。 一人ひとりが集団になって、そして、不安に感じたり、恐いと思ったことを遠ざけようとしたり、排除しようとして、結果的に大きな争いになっている場合はありますね。 ごく僕ひとりの問題としても、恐いという思いは、消えて欲しいと切に願っています。