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何故、広辞苑?
世間で語句の意味を引用する時に、『広辞苑』ばかりから引用されるのでしょうか? 他にも辞書、一杯あるのに・・・ ちょっと疑問に思いました。
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私も今更『広辞苑』の時代ではないと思い講談社の日本語大辞典などを買ってみましたがミニ百科事典のようでもあり便利です。 しかしいざとなる別室に置いてある『広辞苑』頼みとなるのは旧世代の悲しさ、条件反射というものでしょう。。。 戦前はアカデミックな出版物は[岩波]以外では[中央公論社][改造社(現存せず)][平凡社][富山房][研究社][三省堂]など、 あとは各専門書の出版社だけで、小説などという世間に害毒を流すようなものを出版する[文芸春秋社][大日本雄弁会講談社]など という会社はヤクザな本を発行する会社として終戦時まで(或いは戦後も)一段低い本屋としてしか、見られていなかったのです。 【岩波文庫的教養】という言葉があり、これは岩波文庫程度の本を読みこなし、我々から見るとかなりの教養人と思えるのですが これはかなり相手を軽蔑した言い方で[岩波文庫のような薄い本]しか読まない輩(ヤカラ)、書斎で厚い本も読まずに薄い本を読み [知識の宝庫]のように振舞う軽い百科全書派的ディレッタントを指していたようです。 昭和20年代後半に出来た角川文庫も同じような能書きを後付けに書いているのを見てもうなずけるでしょう。 余談ですが思えばそんな傾向が型に嵌まった教養を重く考え、今日に到るまで教育は[暗記]主体というような風潮を生み出した のではないかと考えるのです。。。 そんな訳で辞書辞典というものは、先ず編集に携わる先生からも出版社が決っていて、古い殻を破ったのは受験者御用達の [旺文社]だと言えるかも知れませんが、もちろん受験用語学としての辞書で普通の学者、社会人が手にするものではありません。 [広辞苑]は昭和28年初版で、40年が再版だったと思いますがその頃、匹敵する辞書がまだなかったことと、意外に一寸した ことを調べるのに【小百科事典】的な機能を『広辞苑』が持っていたため、便利で何かというと引用文に使われるようになった と考えられます。 その後、昭和30年代に平凡社が百科事典長者になり社員に100万以上ボーナスを払うと云うエピソードまであり40年代 に入ると各社とも辞書参入の火がつき、今我々が手にする[大辞典][国語辞典]などの下準備にかかり、たしか昭和50年代から 新しい辞典類がが登場したのだと思います。 辞書、辞典類は早くて10年以上準備期間のいる作業で、1冊の担当専門家では広辞苑、その他の協力者名簿を見ても 監修者3~4人、大項目で30~50人、中~小の協力者は500人位になるものを一冊にまとめるので莫大な時間が掛ります。 それでもこれは『広辞苑』以外に作れる力を持つ先生方がふえ、また出版社自身が成長した事の現われかと思います。 私自身は辞書辞典るいは好きなので、なるべく幅広く使いたいと思っていますが、最後に一言【辞書が完全無欠の記述でない】 場合があることも付け加えておきたいと思います...そのとき私たちは専門外の場合は併記しておくより他ないでしょう!! *また内容について新旧、公正、偏向、正確かどうかなどは精査した文献を見たことがないので残念ながら判りません。
お礼
なかなか深い周辺知識も含めた御丁寧な回答どうもありがとうございました 最後の言葉は心に留めておきます