• 締切済み

エホバの証人は現在でも児童虐待をしていますか。

また、会衆(協会)として虐待を推奨していますか。 誹謗中傷では無く、事実を教えてください。

みんなの回答

回答No.50

虐待を推奨しているという表現は、適切ではないと思います。 但し、エホバの証人は、家族よりもエホバ神を尊重することは事実です。 それが多くの場合家庭不和を招く元となり、子は両親の間で結果として犠牲になります。片親となった親は、通常は子をそれまで以上に大切にします。それは人としての素直な感情です。しかし、エホバの証人の場合は必ずしもそうではありません。エホバの証人も本当は素直な人間的感情を持っているはずですが、その自然な発露を教義(信仰)が邪魔します。だから、エホバの証人の親子関係は、多くの場合うまく行きません。親子というのは直接的関係であるべきですが、エホバの証人においてはエホバ神を媒介とする間接的関係に過ぎません。だから、結果として虐待を生む危険性は否定できないと、個人的には思います。 村上春樹の1Q84という小説があります。その主人公の一人である青豆という少女は、「証人会」の親の家を11歳の時に出て自立します。私は青豆の思想信条に共感はできませんが、エホバの証人のような親に育てられた子がどうなるかを考える上で、一つのケーススタディとはなり得ると思います。参考にしてください。

  • roze333
  • ベストアンサー率34% (32/93)
回答No.49

こんにちは、 >エホバの証人は現在でも児童虐待をしていますか。 これまで児童虐待したという例があってのご質問でしょうか。 それともご自信がそういう経験をしたということでしょうか。 質問の意図がよく分かりませんし、何をお困りで何を解決したいのかが分かりかねます。議論が目的でしょうか?。 もう少し詳しい情報がありませんと問題解決?? は難しいです。 >また、会衆(協会)として虐待を推奨していますか。 誹謗中傷では無く、事実を教えてください。 事実を知りたいなら人に尋ねるよりご自分の目で確かめられたらいかがでしょうか。 それが一番早く、一番正確な事です。そうしようと思えばすぐの出来るはずです。 どなたの回答にも反応なしという事は、ただ議論させたいだけのように感じました。ここは議論させるような場所ではありませんし、もう沢山の方が回答されていますから、 ほったらかしにしないでそろそろ締め切ったらどうでしょうか。

noname#89345
noname#89345
回答No.48

聖書に「むち棒を控える者はその子を憎んでいる」(箴言13:24)とあります。この「むち棒」は元々は馬を走らせるため軽く叩く物を指しています。要するに体を傷つけない程度の体罰を指しています。 もちろん体を傷つけるような体罰は虐待以外の何物でもありません。それを今現在行なっていればエホバの証人から排斥(つまり破門)されますし、今はしていなくとも、過去にそういうことをしていれば、会衆内でのある程度責任のある立場には就けません。

  • ERIeriERI
  • ベストアンサー率26% (46/172)
回答No.47

私が小学生の頃、集会や、エホバの人が家に来ていました。母親が一時熱心で、父親は無関心でした。反対していたのかもしれませんが、やめさせるほど大反対している感じでもなかったです。父親は一度も集会に行っていません。 虐待かなといまになって思っているのは、そんなに怒ることをしたような記憶もないのに、たとえば弟と兄弟喧嘩をしているとき、二人とも悪いとなり、母親が1mくらいのゴムホースを持ち出し、一人ずつ親の部屋へ呼び出され、服も下着も下ろされ、尻を叩かれていました。すっごく痛いんですよね。それで真っ赤にはれあがったりしていました。時にはアザになったり。 もちろん抵抗しますが、抵抗したところで向こうはホースがあるわけですから、こちらが尻以外を叩かれるだけで、無意味でした。 エホバの人にこうやって躾をするように言われたからホースで叩くのだと、素手だと叩く方も痛いから道具を使うのだと、母が言っていた記憶があります。 あの頃の母は、違う人のようでした。もともと叩いたりする人ではなかったので、それほどまでにのめり込ませてしまうエホバが嫌いでした。 今はすっかり無関心な母は、たまにエホバの人(当時の人)が家に来ますが、中にあげることもなく、もらった冊子はすぐ資源回収箱行きです。

noname#112369
noname#112369
回答No.46

詳しいわけではないのですが、それはけがをした際に輸血をしないとか、体罰をするってことですか?  でも体罰って完全否定できないとこもありますよ。 殴ったほうがよっぽど痛い、って気持ちはわかるかたたくさんいると思います。  輸血も信条はそれぞれあって当然とも思います。それによって死ぬ人もいるかもしれないけど、たとえばエホバの結婚するまで純潔をまもるって言う教えのおかげで性病にかからないでいられた人もいるわけですから。  完全に危険を避けるべきなら、タバコやお酒も禁止にすればいいけど、みな個人の自由で飲んでますから。  人が集まるところもめごとあり、ですから、会社でも、学校でも、いじめやリンチによる自殺ってあるけど、だからその関連会社全部が悪だとか、その学校の全生徒、全教師がいじめを推奨している、って風にはおもいませんよね。  エホバも、そのグループではいじめがあったかもしれない、その家族では虐待があったかもしれない、でもそれを全部えほばのせいってのも、ちょっと飛躍かなあと思います。  

  • 15-25
  • ベストアンサー率33% (3/9)
回答No.45

同じようなことをお書きになっている方もいらっしゃいますが、児童虐待の有無は人にもよれば会衆にもよります。 しかし、昔ほどではないにせよ、「自分の子供が救われる為には体罰をしなければならない」と考えている親は多いでしょう。 また、組織が虐待を勧めているというよりは、組織に「通常の現代社会的な良識では虐待とされるようなことでも、将来の救いの為には良しとしたり、一般的なこととして捉らえる」ような素地があるのだと思います。 それと、エホバの証人の規律には一般社会的には無理のあるものも多いので、それからくる欲求不満や苛立ちのしわ寄せが子供に来るのかも知れません。 「エホバの証人」でウェブ検索してみるともっと詳しい情報が得られますので、お試しになってくださいm(_ _)m。

  • kaji52
  • ベストアンサー率0% (0/0)
回答No.44

私は3歳の頃から16歳頃まで教えを受けていました。 母は宗教に関心がなく、父が熱心に活動していました。やめる決心を付けたのは、自分の気質と宗教の定義が合わないからでしたが、決して内部で虐待行為があったとか三面記事も真っ青なことがあったからでわありません(^^;) どちらかといえば穏やかな人達でした。 ただ、地域によっては性格の異なるトコロはあるようです。 出張で他の地域の講演に行った方が、質問をすると食いつかんばかりに我先にと手が上げられ、講演後、集会の後には囲まれるようにして講演で語られた事の間違いの激しい指摘を受けたり更なる質問をされたりと(政治家の過ちをなんとか探そうとする国民のごとく)突き回されたそうで、私たちの地域ではない現象に(コッチは間違いがあっても、「あそこの解釈は違うでしょ~」とか質問などもほんわか和やかに受け答えするので)ビックリした記憶があります。 私がエホバの証人から抜けようとした時、かなり大変でした。 (ただ、これはエホバの証人だからではなく、ドコの宗教でもありうる大変さだと思いますし、実際、創○学会から抜けたことがある職場の同僚も大変だったらしく、互いに意気投合して話が盛り上がった事があります。) 父と、長老と、私とで、家の部屋で2時間近く話し合いました。 力押しではなく、柔らかに、ある程度の正論で攻めてこられましたので挫けるかと思いましたが、自分に合わない事を続けるストレスの方が勝っていたので若さゆえの自我の押し通しで乗り切りました。 長老は最後に「何故、そんなにもイヤだったのなら今まで続けていたのか?」と問いかけてきました。 3歳から始めて小学生までは親と各家々を訪問するのも楽しかったが、中学生頃には自分がエホバの証人の中に居ることに違和感を感じるようになった。教えに疑問を抱き始めた。それを突き詰めて高校生になっての勇気を出しての脱退と相成って話し合いをしてるのに、どう答えりゃいいんだいと途方に暮れた私は、切り札を出しました。 決して出したくはなかった、下手したら父と私の関係がマズくなるだろう切り札でした。 かつて遊びたい盛りの私と父とで一度だけ集会に行く行かないでもめた事があるのです。もめるというほど長い時間ではなく、叱られたとかそんな事があったわけではなく、でも、その時、私にとってはショックで忘れられない事があったのです。 父はそんな事があったこと自体覚えていませんでした。私がしつこく覚えていて、普段なら普通に流されるだろう出来事でしたが、それを使いました。 父はしばらく落ち込みましたよ。 「そんな事をしてるつもりはなかったし、していたとも思っていなかった」と。 エホバの教えは強制されるものかという質問に「否」と答える父です。 ただ、話し合いにより相手の考えを聖書寄りに向けていこうとしようとする父です。矛盾しているようですが、その中には線引きがされているのです。 自分の経験を長々話してしまいましたが、いろいろな人が居ます。 エホバの証人と呼ばれる人の中にも、自分の子供の躾をまったくしない人が居たり、人の家の子供の躾をしてくれる人がいたり、ハッキリ言わずにオブラートに包んで諭す傾向があるので注意する相手に伝わってなかったり、キッパリいう人で憎めない人だったりいろいろ居ます。 宗教によって虐待する人はソレを理由にしてするのかもしれませんが、きっとそんな人はどの宗教に入ってもイロイロな理由を見つけて虐待するでしょう。宗教に入ってなくても今度は生活面で気に障って虐待するかもしれません。虐待は親個人の資質の問題が基本です。 私は見たことがありません。噂も聞いた事はありません。 精神的な虐待は目に見えないものなのでなんとも言えませんが、私は気付きませんでした。 まぁ、何をもって虐待と定義するか、ということもありますし、質問者様の満足できる答えは何なのか分りませんが、「虐待を推奨」はないでしょう。苦笑してしまいます。

noname#78317
noname#78317
回答No.43

人の一生は、たかが80~90年。 自分の生き方や行動に信念と自信があって、周りや自分を 省みることができれば、宗教に縋らなくても生きていける。 宗教に縋らなければ、生きていけない人間にはなりたくないですね。 たとえ、それがベストな生き方ではなくても、 宗教に頼らず、自分の道を自分で判断して進めば、 しんどいし、辛いときもあるし、ひどく悩むときもあるが、 誰を恨むこともないし、後悔もしない。 後半分、これからも、そういう人生を歩んで生きたい。

  • LA030
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回答No.42

私も今の状況はわかりませんが、両親がエホバの証人で私も週2回と日曜と、会場へ通っていました。 そして、怒られるような内容なのかどうかも分からない事で怒られ、散々虐待を受け育ちました。 骨折した事もありますし、体中アザだらけになったり、家に一週間入れて貰えなかったり・・・苦笑 今現在はその時の傷で腕に大きなケロイドが残っています。 両親は5年前に足を洗っており、親を憎む気持ちはありませんが、この時期になると腕の傷の事ばかり考えてしまいます。。。笑 どうやって隠そうか・・・などなど。 親が私の傷の事をすごく後悔して傷ついている事も分かっているんですがね。 今でも教えられているとすれば、なくなってしまえばいいのに・・・と思う宗教ですね。

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回答No.41

4年前に足を洗った(不活発)者です。 この件に関しては、本人らに聞いてもなにも分からんでしょう。 当然、秘匿するでしょうから。 少なくとも4年前まで、王国会館や大会ホールの便所は、 騒いだ子供を「懲らしめる」場所として使われていますからね。 4年の間にこの状況が大きく変わることはないでしょう。 よく、目を真っ赤に腫らした子供や、怪我をした子供が出てくるのを みたことがあります。実は私、本当に恥ずかしい話ですが その頃「奉仕の僕」をやっておりまして、「大会」などの時には、 そういう場所も含め「会場整理」として つけられていたので、そういうのをさんざん見ています。 彼ら自身が「懲らしめ」とは「話し合うこと」が基本であると 教えているにも関わらず、このようなことが常態化している。 これが「真理」と言えるのか。噴飯ものです。

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