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外国ではどうして「寝たきり」の人がいないの
外国では、「寝たきり老人」の言葉がないと聞いてこのサイトで質問したところ、どうやら言葉はあるが、「いない」ようだとの結論を頂きました。 老人の「寝たきり率」が日本では群を抜いてトップだと聞きます。老人に限らずどうして外国には寝たきりのかたがいない(少ない)のでしょうか教えてください。 「いやいるぞ」という意見もお待ちしております。 前回の質問 http://www.okweb.ne.jp/kotaeru.php3?q=200180 (回答#1で回答を頂いておりますが、内容とカテゴリを替えて再度質問しています)
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題名は忘れましたが、北欧の老人施設に取材にいかれた方の本に、「寝たきり老人」について現地で質問したところ質問の意味が通じなかったといったことが紹介されていました。 すなわち「寝たきり老人」=「寝かせきり老人」であるということなのです。 手厚い看護や介護があるならば(できるなら)、決して寝たままにはさせておかないからでしょう。 例えば一日の流れを考えても、まず朝起きたら健康な人は、服を着替えますよね。しかし老人施設の多くでは、介護の必要な人に対して、人手不足から着替えを手伝うことができないのが現状です。 またオムツを着用されていて、尿意を訴える利用者に対しても早朝など夜勤帯で人手が少なければ、「忙しいから後で来ます」といってそのままにしておかれたり「尿ならオムツにしてください」と言う施設職員もいるようです。 そして介護を実際に経験したことのない福祉の偉い先生方は、日本で「寝たきり老人」が多いのは、介護者の「意識の問題」であると言ったりします。 果たして「意識」のみで「寝たきり老人」は、解消されるのでしょうか施設職員の中には、確かに「手抜き」をされる方もいるようです。しかし一方で一生懸命に利用者を思い働いている方もいます。そんな方々に対しても「寝たきり老人」が居ることは「意識の問題」であると言うことが出来るのでしょうか。 介護保険が導入され介護を必要とする高齢者をとりまく環境は、これからも決して手厚い看護、介護にはなりません。仕方の無い場合は、抑制を認めるようなこの制度では、「寝たきり老人」は、絶対に減りませんよ。
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- kenboo
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日本の価値観の中に、人権が芽生えたのはつい最近のことですよね。 大体、福祉って言葉が、すごく他人ごとにまだまだおもわれてる人は多いですよね。 それに比べ、欧米では市民権を自分たちで勝ち取った歴史上、人間について生存そのものに尊厳を持つという価値観の違いがあるのではないでしょうか。 日本では、つい最近ハンセン病の訴訟問題が解決にやっと向かい始めましたよね。 ようやく人権というものを社会が考え出した現れではないでしょうか。 寝たきり老人についても、当然、社会がそれを他人事と思わず、もっとも重要なものだと認識したら、行政の対応はもっと変わりますよね。 老人施設の職員の数や、給料などの対応もよくなれば、自然に対象になる老人への対応は改善します。 それによって、気を使って我慢してしまう老人の、精神的負担も減ります。 日本って、結局資本第一主義。 資本を生まない人へは、道義的に、社会福祉って言葉で金銭的援助をしています。 でも、その人たちが、人間として当然の欲求を当然だという考えはないんです。 だから、老人も、家族も、また、障害者も、必要以上にがんばったり、我慢しないといけない。 つまり寝たきり老人をうむ社会性が日本特有なのでは? 欧州なんかだと、人間性がもっとも重要とされる変わりに、日本みたいに金にものを言わせれませんよね。 結局、日本人が、人間性よりも、経済発展!!! とこういう社会を選んで作ってきたんです。 小さな子供を持つ親として、日本が今まで歩んできた道を振り返らずにいられません。 日本が何を重要としているか。 よくわかるのは、福祉関係職員の給料などの待遇と、銀行や証券会社社員の待遇を比較してみると一目瞭然。 結局、銀行だって、税金食いつぶしてるのに、高額待遇変わってませんね。 こういうのって、日本特有の文化。 政治に興味がない文化でもあります。選挙になると、景気、景気って言いますね。 他人のことはどうでもいい、自分たちさえよく暮らせればいいというのが、日本人の本質にあるのだとおもいます。宗教から遠のいてますしね。国自体が。 それが一番の、他国との違いだとおもいます。 それに加えて、高齢化。少子化というかつてない状況が、人手不足の一因。 これ!ということではなく、文化的歴史的違い、経済状況、医療などいろんな他国との違いがあるとおもいます。
お礼
日本に根ざした風土というか、根本的な考え方に起因するものであれば、一朝一夕に改善するのは難しいだろうと感じました。 しかし「早急な改善は難しいであろう」という自分の考え方がこれまた日本人らしいかな、と自戒してしまいました。 ありがとうございました。
- geoge
- ベストアンサー率36% (4/11)
No.1で回答したgeogeです。本の題名がやっと分かりました。ぜんぜん違う本ばかりから探していて遅くなりましたスイマセン。 医師の岡本祐三さんの「医療と福祉の新時代~『寝たきり老人』はゼロにできる~」日本評論社発行です。 岡本祐三先生は、内科、老年科がご専門で高齢者に関する数多くの本を出版されています。一読されることをお勧めします。目からうろこですよ・・・
お礼
早速オンライン書店で注文しました。 わざわざ探して頂いて本当にありがとうございます。
- ranatyan
- ベストアンサー率40% (2/5)
『ねたきり』=『ねかせきり』という系図は確かにあると思います。しかし、その系図はある意味第三者が他人ごととして、逃げているという考えもあります。なぜなら、「寝かせきり」といってしまうと、家族や介護者の原因といて簡単にかたずけられられるからです。 全てではありませんが、【家族】や【介護者】もけっして「寝かせきり」にしたくてしてるわけではないのです。日々ものすごい介護地獄を戦っているのです。住環境の不備や介護サービスの不足、核家族化など社会背景に「寝かせきり」にさせられているのです。 外国との違いはその辺でしょう。家族はすごく大変なんです。簡単に「寝かせきり」という言葉は使いたくないですね。@ソーシャルワーカー
お礼
住環境や介護サービスの不足、核家族など「寝かせきり」の背景には、いろいろな要因が絡んでいるのですね。 勉強になりました、ありがとうございます。
- chien
- ベストアンサー率59% (72/121)
老人は「厄介者」という観念が日本には強いように思えます。老人であろうが、身体障害者であろうが、家庭や社会や施設であっても、自分のできることは自分でする、のが本来の姿であり、それを周りが支援し、その環境を整えることが大切です。 老人本人にもそうした意識が明確にあるかないかは大きな差となります。同じようにベットに横たわっていても、ティッシュ1枚でも自分で取ろうとする人と、すべてを他人任せにしてしまう人との差は極めて大きいと言えます。 たとえば、介護者にとってベットに寝かせておいた方が楽な老人が多くいます。その老人が「散歩に行きたい」それも「お洒落をして出かけたい」と願ったら、介護する人は大変な支援(犠牲)をしなくてはなりません。しかし、その老人の積極的に生きる姿勢は、介護者にとっても、意義があり大切なことは言うまでもありません。 海外でも寝たきり老人はたくさんいます。ただし、意思は起き上がろうとしています。日本では、起きあがれる人も「他人には迷惑をかけたくない」と思って、寝たきりを積極的に受け入れている人が多くいます。自分が行動することで、介護者に迷惑をかけたくないという人もいます。 介護する側も、介護される側も、「起きる・動く」意識が大切ではないでしょうか。 ちなみに、中国・台湾・アジア諸国では、「寝たきり」は極めて少なく、「坐りきり」が圧倒的に多くいます。つまり、朝になると老人を日当たりの良い(暑い地域では日陰)ところで、見晴しの良いところに椅子を置き、都市部では人の往来が良く見える玄関近くに、老人を坐らせます。側には小さな机を置き、お茶などの飲み物と煙草などを置いておきます。まるで、一家のお守りのような狛犬のような存在で、玄関近くに坐っています。近所の人たちが声をかけ、郵便職員が手紙を渡し、新聞配達が新聞を渡します。そう、その老人は玄関前に坐っているだけで、一家のために働いているのです。老人にでもできることがあり、それを任せるのです。
お礼
>「他人には迷惑をかけたくない」と思って... なるほど、日本人にはそういう方は多いでしょうね。 同じく、すべてを他人任せにする老人も多いかもしれません。 >「坐りきり」が圧倒的に多く... 坐りきりですか。そういえば、アジア諸国のテレビでそのような老人を見ることがあります。 ご回答ありがとうございました。
お礼
確かに寝たきり=寝かせきりかも知れませんね。 冒頭の本の題名を思い出されたらぜひ教えてください。 ご回答ありがとうございました。