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tooの前のカンマは必要でしょうか?

tooの前のカンマは必要でしょうか? 手元の辞書(ジーニアス)では、 I am too. I'm ready too. I do too. は付いていなく、 Me (,) too. はどちらでも良く、 We have a cat, and a puppy, too. Bob, too, frequently interrupted rehearsals to give advice. は付いています。 最後のものがtoo frequently(あまりにもたびたび)の誤解を避けている理由は分かるのですが、それ以外の判断基準が分かりません。 いったい、tooの前にはカンマをつけるべきなのでしょうか。 単純化して、常に付けておけば無難でOKでしょうか。

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回答No.4

Gです。 こちらにいると本当に人それぞれだな、と実感しますね。 ちょうど、日本人が日本で何気なくやっていたことに気をつけて他の人の使い方を聞いていると二日ほどでばらばらだということに気が付くと思います。 その人たち個人個人では一貫性を通して使っている(つまり、その人自信が「自己文法」を持っているということですが)けど全体としてはいろいろな表現をしているというわけです。 このカンマに関して、いろいろな考えを持っている人は当然ですね。 使わない人は使う必要はないと感じるのでしょう。 それが定着しつつあるということは定着前に生まれた人と定着中に生まれた人とはその表現方法への考えはかなり違いがあるということです。 ひとつの例として、チャットの世界に生きている若い人たちにとって、大文字を文章のはじめや固有名詞に使うことなんて必要がないと感じているわけですね。 すべて小文字で(シフトを使わないで)書いているわけです。 面倒くさいからシフトを使わないというよりもこれはもうそれが普通と感じてきているわけですね。 違和感を感じない、ということです。 このカンマの使い方は、言葉の原則にあっているのです。  言葉は生きているから表現は変化する 省略してもフィーリングが分からないなら省略してしまう。 文化の一部である「言葉の教養」に対する依存度の低下 フィーリングを表すのに必要なものは省略しない。 一人の人の理解・解釈がどれだけ一般性に富んでいるかはインターネットで調べることはできない。 などがあげられますが、カンマについてもまったく同じことが言えますね。 カンマはつけなくてはいけないという時代は終わったと思います。 ただ、つけてはいけない、とまで定着していない、と言うことなのです。 そして、実際にこちらでどのように使われているのかを知り、その変化を知ることは、自分で感じ取らなくてはならない英語力のひとつとなり、自分がどのように使うのかを「決めなくてはならなければ」いつまでたっても、このサイトではこういっているから、こっちのサイトではこういっているから、と「一貫性にかける」英語表現となるわけです。 つまり、ひとつの文書でtooの前にカンマをつけるかどうかに一貫性を持たせないことには、それを読む人はなぜここではカンマがありここではないんだろう、この違いでどんなフィーリングを表そうとしているんだろう、と感じてしまうわけです。 私の回答を見ておられればお分かりだと思いますが、回答によってカンマをつけたりつけなかったりしています。 つまり、私にはつけてもつけなくても同じなのですね。 ただ、ひとつの文書ではどちらにするかを決めて混用することはありません。 カンマをつけることによって、文章の意味がはっきりするか(フィーリングがちゃんと伝わるか)が一番大切なことであって、意味のない(意味がなくなってきた)ルールにかじりついていきたいかどうかは定着中である以上自分が決めなくてはならないということですね。 その文章を読むときに軽く短い一息を入れる必要があるならカンマを入れろと私は言います。 英語を身につけるということは自分で「自分の解釈」に自信を持つ、ということに過ぎませんね。

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質問者

お礼

そうですね。 一つの文書中では統一して書くことが重要そうですね。 今回、付けるべきか付けないべきか結論が明確だと思っていた問題がこのようにみなさんの意見が多様にあったこと自体が大きな発見で、言語の生きた姿を学んだように感じました。

その他の回答 (3)

  • chunter
  • ベストアンサー率4% (2/44)
回答No.3

文法というより、外人さんはこれらのルールを「スタイル」と表現します。物書のプロは、このようなスタイルに従う事がおおいですね。 今回のご質問ではあえて強調する(xxx, too, xxx)場合以外では不要との事です。 Chicago Manual of Style では、このようにしています。ご参考までに。 Q. Please help clarify a debate over what I see as a groundless but persistent carryover from high-school English classes: the comma-before-too “rule.” The rule goes something like this: When “too” is used in the sense of “also,” use a comma before and after “too” in the middle of a sentence and a comma before “too” at the end of a sentence. I am editing a work of fiction in which the author has rigidly applied the rule. I have just as rigidly deleted the commas. My managing editor believes that a comma is needed when “too” refers to an item in a list and has the sense of “in addition” (e.g., “I like apples and bananas, too.”), but she would omit the comma when “too” refers to the subject of the sentence (e.g., “Oh, you like apples and bananas? I like apples and bananas too.”). My managing editor’s rule helps make a useful distinction, but I am still wondering whether the comma is ever grammatically justified. A. A comma can do some work in making the meaning of a sentence clear, but to claim two different meanings for I like apples and bananas too with and without a comma before too puts too much pressure on the comma. Out of context, neither version would be perfectly clear. To make the different meanings more apparent, short of additional context, you’d have to be more explicit: I too like apples and bananas. I like not only apples but bananas too. Use commas with too only when you want to emphasize an abrupt change of thought: He didn’t know at first what hit him, but then, too, he hadn’t ever walked in a field strewn with garden rakes. In most other cases, commas with this short adverb are unnecessary (an exception being sentences that begin with too—in the sense of also—a construction some writers would avoid as being too awkward). 若い外人さんの「会話中心的な省略」のような流行ではありませんね。プロの翻訳者などはこの辺りのセンスがしっかり整っていますよ。 一度、外人さんが使うような参考書をご覧になれば勉強になると思います。 では、がんばってください。

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質問者

お礼

スタイルというのですね。 chunterさんのお話だと、基本的にはカンマは要らない、ということになりますね。 ありがとうございます。 若干議論が錯綜していますが、実際のネイティブの英文、本、新聞などで調べてみる必要がありそうですね。

回答No.2

一般的に、文末に置いて「~もまた」の意を表すtooの前のカンマは、付けるのも付けないのも「あり」です。以前(ん十年前)の中学校の教科書では、tooの前は必ずカンマで区切って、と教えていましたが、最近では、カンマをつけない形の本文も数多く見られます。実際の用法では、なおさらのことでしょう。他の語句との兼ね合いで(挿入句とか)カンマを置いた方が誤解がない、または分かりやすい、と文を書く人が判断されれば使えばいい、ということだと思います。もちろん、カンマを「つける」用法もあるので、気になれば「つけておけば無難」で、間違いはないですね。

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質問者

お礼

まさにその様に考えております。 また、過去の中学校の教科書の例は興味深く感じました。

回答No.1

Gです。 こんにちは。 文章を読んだときカンマがあるというのは普通いったんポーズを置く、と言う方法をとりそこにカンマがあることを表します(本当は、区切りをつけるためにカンマをつけるということなんですが)。 しかし、このtooを使うときに、そこにカンマがあるということは口では表現していないしまたしゃべっている人もポーズをとりませんね。 ということは、カンマがあることを表す必要がない、と感じるわけです。 ですから、最近の「実用主義」の若い人たちなどではこのtooへのカンマを取っちゃえ!と感じるわけですね。 ですから、自分のフィーリングを表すのに必要のない文法やルールにとらわれたくない、と感じるのは理解できないことではありません。 日本でさえ英語教育に関して今ではおかしいと分かっていることを真実のごとく100年もやってきてほんのつい最近英語教育への「疑惑」が持ち上がってきたのですね。 (このカンマについても1年半前は「間違っている」と言い切った自称優等生がこのカテにいました」 お分かりでしょうか。 口ではカンマのあるなしを示さないの(示さなくてもわかるのに)に書くときはカンマを書く、ということへの反発ともいえると思います。 これに似たことが、Mr./Mrs.と言う単語にも現れています。 たしかに、これらは「省略されてできたつづり」ですね。 しかし、省略されていない単語使用はもうないですね、今では。 つまり、Mr/Mrs自体が一般的単語になってしまったわけです。 ラジオのFrequency modulatorから作られた略語のF.M.はもうFMに変わってから何十年もたっていますね。 多くの略語はこの工程を踏んでいるのです。 ということで、tooにカンマを使うことは少なくなってきています。 しかし、定着しているとはいえない状況です。 「定着中」なのですね。 定着中の表現はどんなものであろうとその使用をよく(いい意味で、と言う意味で)理解してくれません。 これは仕方ないことです。 みんなが理解してくれればそれを定着したというのですから。 ですから、常に付けておくということは今は「無難」ということになり、使わないと分かっている人へのメールには使わなくたっていいわけです。 これでいかがでしょうか。 分かりにくい点がありましたら、補足質問してください。

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質問者

お礼

「定着中」というお話、Mr.やMrs.やFMのお話も大変参考になりました。 学習する身としては「無難」に基本付ける方向性で良いと感じました。