歴史の違いが起因するのではないでしょうか。下記は私の仮説も入っていますので、鵜呑みにせず、詳細はご自分で調べてください。
日本文化の中では、原初、自然環境が厳しいことから、全て神のなせる業として"自然=神"というアニミズム(自然崇拝)から出発されたものと理解しています。特に生活へ大きな影響力を及ぼす"洪水を起こす神様"や、"時化を起こす神様"は恐れられたものと推測します。
一方、欧米、中央アジアであっても、最初から唯一神があった訳ではありません。ケルトのような自然崇拝、北欧神話やギリシア神話に代表されるように多くは多神教です。それに対して、キリスト、ムハンマドは観念から演繹した神を作り出しました。この時の概念は"神=全てに超越するもの"です。
その後の歴史的な経緯が両者を隔てます。
日本では、大和朝廷が各地を取り込みながら、独自の神格図を形成し、地域に根ざした神々を序列・分類し認めました。そして仏教の輸入により、神仏習合がはかられ、神様仏様と多様性を教授する考え方が浸透します。仏教思想の影響から、"死後の存在=人間を救う存在"とする概念が発達し、権現というような多様な神様を認めるようになりました。ここに至り、"神=人知の及ばないもの"となります。ここで"民族集団に伝承される神=自分たちの神"であったと思います。
また日本では、地域を大きく移動することはありませんでしたので、100年前の神様は未だに影響力を失っておりません。同じ川は氾濫しただろうし、同じ季節には、季節風の影響で今でも台風が来ます。ですから、"地域に影響する神=自分たちの神"という図式が保存されます。よって、"民族集団に伝承される神=地域に影響する神=自分たちの神"という図式が続いていきます。
一方で、欧州、アジアは地続きで多様な民族が存在します。支配者が突然違う地域から、新しい宗教観を持って現れることもありますし、自分たちが移動することもあります。前者の場合、新たな支配者の引っさげてきた神様を奉れ、と言われても地域に根ざしたものではありませんので、矛盾が生じます。後者の場合、元々地域の神であったものが、地域を移動する事により、神から地域性が失われ、やはり矛盾が生じます。こういった文化・地域のダイナミズムによる矛盾から民族集団や地域を超越した合理的な神の存在が必要になります。それが観念神です。全てに超越するものであれば、矛盾無く説明が出来、どんな民族だろうと、どんな地域だろうと関係なく説明できます。この概念が民衆にも為政者(最初は自分たちの神様を否定されるので反発しますが、その利便性に気付いたら受け入れます)にも受け入れられて、次第に勢力を拡大させたものと考えられます。また、このように超越的な存在であれば、地域、文化に関係なく布教活動が行えますので、勢力拡大に拍車をかけたことでしょう。
以上のように、歴史的な経緯によって人々の求めるものは異なり、大きな違いが生み出されたものと考えられます。これを進化と呼ぶかどうかは異論があるところだと思います。少なくとも私は進化とは考えません。文化の違いだと理解しています。
また、古事記が書かれたあたりから言い伝えなどが文献に出始めたらしい、というのは、古事記が書かれたあたりが丁度、記述文化が始まった時代であるのと、神格の序列化が行われ、名も無い神様から由緒正しい神様に認識が変わってきたからだと考えられます。地域自治から中央集権に移り、風土記などの編纂を通じて伝える必要性が出てきたのも影響しているのではないでしょうか。
このような考え方はいかがでしょうか?
お礼
なるほど、とても理にかなった説だとおもいました!地続きではなかったということが今日の日本の宗教を形造ったのかもしれませんね。 >超越した合理的な神の存在 やはり今のように自然災害などの原因がわからなかった時代には、神という存在が必要不可欠であり、その過程で合理的に唯一神が生み出されたのでしょうね!