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日中国交正常化
日中国交正常化は創価学会池田大作氏牙かかわり大きく貢献したのは本当ですか?
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本当ではありません。 毛沢東様様のおかげです。 何せ蒋介石を追い払い中国を統一した奸雄ですから。 もっぱら内々は周恩来という方がおられたからでもあります。 しかしその周恩来氏は日中国交は大反対で、反日派の急先鋒ですが。 そんな彼と民間人の池田氏が会談して功を得れるとは到底思えませんよ。 当時の中国は、冷戦まっさかりの米ソに板ばさみ。 そこへ日本から使者が。 米ソの対立をよそ目に、日中が国交回復は妥当な結果だったのではないでしょうか。 そもそも、英雄は功を語らず。と言います。 自らの業績を称える人間なんぞ、酒場に行けばいくらでも居ますよ(笑)
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No.4 ks5519です。 訂正があります。 誤:「南海大学の周恩来研究センター著」となっています。 正:、「南開大学の周恩来研究センター著」となっています。 南開大学です。大変、失礼いたしました。お詫び申し上げます。
お礼
ご丁寧に。
補足
身内はかばうのは自然ですよ。
No.2 ks5519です。 本日、ある1冊の書籍を買いました。 まだ、細かい内容は読んでいませんが、、、 朝日ソノラマから発刊されている「周恩来と池田大作」という本ですが、朝日新聞総合研究センターの西園寺一晃さんが、監修されている本で、「南海大学の周恩来研究センター著」となっています。 これによると、、、 1968年9月8日に行われた、創価学会第十一回学生部総会の席で、池田会長の「輝ける生命の世紀の主体者たれ。」という講演の中で、日中国交正常化問題に触れた。 その後、1971年6月公明党代表団が訪中。中国の中日友好協会と共同声明を発表。 翌、1972年9月田中角栄首相が訪中し、周恩来総理と「日中共同声明」に調印し、日中国交正常化が実現した。 そして、1974年の池田会長訪中へと続くのです。 1,429円+税で書店で販売されていますので、是非よんでみてください。 http://www.sokagakkai.or.jp/SITE1PUB/sun/11/news/report572.html?t=1130372711390 http://shopping2.vcube.net/cgi-bin/Suser/detail.cgi?type=book&id=523 http://www.bk1.co.jp/reviewer/364445%20%20%20%20%20%20%20%20%20%20/nickname/LYUTA
お礼
ありがとうございました、
補足
学会に機関紙以外にこのような記事がありますか?
hurukawaさん、こんばんわ。 No.1 alpha123さんの補足で書かれていることは、先日の質問のNo.1879084 linouerの私の回答からですので、参考にしましたものを紹介いたします。 聖教新聞社より発行されています ・グラフSGI 2004年9月号 「特集:ロシア訪問30周年記念」 ・グラフSGI 2004年12月号 「特集:周総理・SGI会長 会見30周年」 以上を主に参考にして書いています。 また、昨年(主婦の友社)より発刊された「香峯子抄」の160ページ以降に、同行された奥様の後記が書かれています。 同時中継などの会合の内容につきましては、私の記憶によるものですが、文章として残っている場合もありますので、後日調べたいと思っています。
お礼
当時は今ほど、創価学会、池田大作氏の知名度はなかったでしょう?
補足
お二人の握手のお写真がありますが。
- alpha123
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その手の自称他称「隠れた功績者」ははいて捨てるくらいいるでしょう。フロッピー発明したという日本人程度の信頼性。 日中国交正常化は日本の政治の転換点ですから第一の功労者は田中角栄さんです。 佐藤内閣までは米国の腰ぎんちゃくでしたから彼が後継に推した福田さんでは国交回復は先延ばしされたでしょう。 国連の常任理事国は「中華民国」(いまの台湾)という虚構がまかり通っていたんです。田中さんを日中をやるという決意(合意)で中曽根さんが支持したことから佐藤後継は田中で決まり。 中曽根、宮沢さんはのちの右翼的言動にもかかわらず「アジアとの連携」アジアアフリカ運動「バンドン精神」の支持者でした。
お礼
ありがとうございました。
補足
「1974年までさかのぼらなければなりません。 この年に、若き日の池田会長は東西冷戦の最中、中国とソ連を訪れます。 コイスギン首相との会談の中で、中国に対するソ連の考えを確認します。 コイスギン首相は「中国を攻撃するつもりも、孤独化させるつもりもありません。」と言われた。 そして、この言葉を持って、池田会長は中国へと向かい周恩来総理と会談しました。 このことで、中国・ソ連は触発の危機を脱し、日本と中国にも国交正常化の動きがうまれました。このことが、中国にもソ連にも歴史的な会談として残っているのですよ。 当時の読売新聞、朝日新聞などにも記事は掲載されていますし」抜粋ですがこんなんとをうかがいました。
お礼
身内に機関紙にはいつもトップ記事の見出しに登場します。
補足
[当時の読売新聞、朝日新聞などにも記事は掲載されていますし]とありますが。聖教や第三文明ならとも濃く一般紙に書かれてるそうですが。