オス、オース、オッスは、おっしゃるとおり「おはようございます」の略が元だと思います。ま、有力な説ということでしょうが、私自身、そう実感して育ってきています。
少なくとも、空手の押忍(オス)は無関係です。デマというのはこうやって広がるもんだ、とつくづく感じました。日本で(オスと挨拶する)空手が認知されたのはつい最近(早くとも1960年代)のことで、オスという挨拶はそれよりずっと以前から主に男子学生言葉としてあったからです。他に「チハ(わ)ッ」、「ヨッ」などもありますね。
「おはよう」の意味が薄れ、省略された「オス」は、一日の最初や物事の最初にいつでも使われる挨拶になりえます。朝の登校時にオス、廊下で最初にあった他のクラスの子にオス、放課後のクラブの部室やグラウンドでオス、といった感じです。クラブの伝統で挨拶を「オス」や「チハ(わ)」のどちらかに統一されていたりもします。
ところで、「おはようございます」ですが、これは必ずしも朝の挨拶とは限りません。どちらかというと、最初に人と出会ったときの挨拶なのです。普通の生活では朝限定の言葉となりますし、午後や夜に使うのは、さすがにちょっと変に感じます。
しかし、業界や職場によっては、昼でも夜でも使っているところがあります。シフト勤務や時間が不規則で午後や夜から仕事を始めるような職場に多く見受けられます。
その際、なぜ「こんにちは」や「こんばんは」を使わないかというと、それが「始まり」を感じさせない挨拶だからだと思います。「こんにちは」や「こんばんは」はすれ違い(長時間、一緒に過ごすにしても)のみに使う挨拶なのです。
こうやって考えると、「オス」は「おはよう」の意味が薄れたために、朝以外にも使うのではなく、もともと朝という時間感覚よりも、むしろ、「始まり」の要素が大きかったためだった、ともいえるような気がします。
お礼
わかりました。ありがとうございます。