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死刑制度の是非について

最近、死刑制度を反対する本を読み、死刑制度の是非について深く考えさせられました。自分なりに考えてみるのですが、結局、存続にも廃止にもそれなりの納得できる理由がありますし、どちらが良いのかわかりません。とても難しい問題だと思います。 皆さんの意見・お考えをお聞かせください。 よろしくお願いします!

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回答No.6

私は死刑反対論者です。 まず、どんな理由があっても人を殺すのはよくないことだと言うことです。 死刑と言うのは、結局誰かが人を殺すんです。 それと、冤罪が絶対にないとは言えないですよね。 冤罪で死刑にしてしまったら、失った命は戻ってこないんですよ。 そして、一番大きい理由が、 なんの罪も償わずにあの世に逃がして良いのだろうかと言うことです。 死んでしまえば反省させることは出来なくなります。 私はNo.4さんと同じで、次の罪が「無期懲役」であることが問題だと思っています。 というか、その内容ですが。 刑務所で模範的に過ごせばそれは反省したことにはなりません。 本当に罪が晴れるのは、被害者もしくはその家族が許したときです。 私は、それまで死ぬことも許さないべきだと思っています。 もちろん、許しを得るまでは刑務所からも出られないと言うことです。死刑に該当するほど重い罪の場合ですね。 罰を与えるのは法の役目です。 でも、許すのは人間の感情ではないでしょうか? しかし死刑制度は、感情で罰を与え、 許しの方に法を当てはめてるような気がします。

buukomippy
質問者

お礼

じっくりと何度も読ませて頂きました。共感できるお考えでした。 私は未だに、自分が死刑制度に賛成なのか反対なのかわからずにいますが、死刑制度に感じる第一の疑問は「殺人が法で認められている」ということです。 死刑は、刑といえども殺人に値するものなのではないでしょうか??誰しもが、あってはならない犯罪だと考えている殺人が、死刑なら喜ばれたり受け入れられたりする、ということに矛盾のようなものを感じています。 ただ、今の日本の無期懲役という刑罰では、到底償いきれないような犯罪もたくさんあります。だから死刑反対とは言い切れないのです。 死刑制度支持側の主張に、遺族の心情を根拠とするものがありますよね。 その根拠が正論なのか否かも私の中では答えが出ません。遺族側の立場を尊重すべきと考えていますが、だからといって、その立場だけで判断することには抵抗があります。 自分が遺族側になったときに、死刑は殺人だと言える自信は全くありません。 ご回答ありがとうございました。

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その他の回答 (11)

  • ukimoki
  • ベストアンサー率29% (38/127)
回答No.1

私は是です。  死刑をする、しないにしろ、そういった罪があるということで、少なからずその罪が課せられる犯罪に対して抑止力があると考えているからです。  それに、死刑にされる、されないにしても、被害者の方は犯人が死刑という判決を下される事で多少は満足するでしょうし、犯人もいつかは死刑にされると、夜も眠れぬ日々を毎日過ごし、猛烈に反省する日々を与えられます。  私は、死んだら終わりだと思っているので、死刑の死に対しては意味がないと思っています。重要なのは、死刑が執行されるまで、犯罪者が反省する日々が続く事です。  ですが、死刑の判決を受けて、反省をし、傍から見ても明らかに更生した人が沢山出ているのも、また事実らしく、そういった人たちが社会復帰できる機会を失ってしまうのは、少し残念にも感じます。  けれど、客観的に見て残念でも、一番考えられなければならないのは被害者の方なんですから、死刑はあった方が良いと、私は思っています。

buukomippy
質問者

お礼

私としては、死刑の犯罪抑止力について少し疑問を感じています。しかし、被害者や遺族の気持ちを思うと・・・。どちらが良いのかわかりません。 >ですが、死刑の判決を受けて、反省をし、傍から見ても明らかに更生した人が沢山出ているのも、また事実らしく、そういった人たちが社会復帰できる機会を失ってしまうのは、少し残念にも感じます。 私もこの考えを強く持っています。確かに尊重されるべきなのは、被害者の立場や気持ちなんですよね。 ご回答ありがとうございました。

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