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「死刑反対・賛成」とどうして被害者以外が言えるのか?
よく「死刑反対」といいます。生命の倫理がどうのとか、人権どうのいう理由です。それに対して、「死刑賛成」も、犯罪の抑止、目には目を見たいな感じです。ですが、どちらを論じるにも、あくまで第3者であるわれわれが論じるのはかなりナンセンスな気がします。確かに立法機関っていうのが存在する以上、国会という場所が決定しなければなりません。ですが、そこで、いくら専門家やら大学教授が議論したところで、問題の被害者は果たしてどうなるのかというのが疑問です。 生命の尊厳を語る以上、死刑反対の立場をとらざるを得ません。ですが、果たして生命の尊厳とは何か?生命の尊厳を奪ったものの生命の尊厳は、奪われたものと同等なのか?いろいろ考えていますがなかなかはっきりしません。思うところあればお願いします。 論点が明確でない以上、補足あればお願いします。
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求める回答の全てではないかもしれませんが、申し上げます。まず、「死刑」に限らず、「刑罰をなぜ科すのか?」と言うと、いろいろな効果があるかもしれません。 まず、「刑罰を科す目的」には、決して「被害者救済のため」と言うものは入りません。確かに、肉親等を殺された被害者の遺族等にとっては、その被告人(犯人)は憎むべき存在である事は間違いなく、恐らく極刑に処される事を望むに違いありません。しかし、「刑罰」と言うものは、そのような被害者達の、いわば「鬱憤を晴らす」等のために存在しているのではありません。被害者達には、民事上の「損害賠償請求」とか「慰謝料請求」等という救済方法で償われるに過ぎません。 ですから、「刑罰」とは、事後的には、あくまで「国家」が、そのような犯罪を「犯した者」に対して、「償い」や「反省」等のために「刑罰」を科すのであり、事前の効果としては、前述したような犯罪を未然に防ぐための「犯罪の抑止力」を作り出すため、と言えそうです。 そして、「死刑に反対か賛成か?」と言う事と、「その根拠を明確に説明できないものか?」という事が、ご質問の主旨ではないかと思われますが、それは大変難しい問題であると考えます。いわば、現在の刑罰法規である「刑法」では、「殺人罪(刑法199条)」等において、「死刑」が定められている事から、「生命を奪った者の生命は、場合によっては国家によって奪われても致し方ない」と考えているのは確かであると思われます。つまり、「他人の生命を奪ってしまうような者の生命は、尊厳に値しない場合がある」ともいえるでしょう。その考えが良いかどうかは難しいところです。 昨今、子供の生命が多く奪われる事件が多発していますが、一般に「治安が悪くなるにつれて、刑罰は厳罰化される傾向にある」とされています。それは、厳罰化することで、先に述べたような、犯罪を起こす事をためらうような「期待可能性」を高めようとしているのでしょうが、その「期待可能性」にも疑問を呈する方もいるようです。
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- hiruhiru
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現代社会における刑罰は、被害者の救済のためにだけ科すものではありません。 中世までは、日本でもヨーロッパでも、被害の回復のためという考え方だったようです。被害者の遺族からの訴えがなければ、殺人事件も追及されなかったのです。 イスラム法の復讐法、賠償の考え方も、基本的に同じだと思います。 しかし現代社会では、被害者は遺族だけではなく、「社会秩序」でもあります。 検察官は「公益」の代表者として訴追するわけです。 公益はその社会の万民の利益ですから、「殺された人の遺族以外は、死刑についてうんぬんできない」という考え方はおかしいでしょう。 むしろ、遺族こそ、死刑制度について決定する資格がないのでは? 利害関係者は、裁判官になれません。 殺された人の親族や友人知人は、その事件を扱ってはいけないのです。 合理的、理性的な判断ができませんからね。 死刑制度の是非は、社会全体の問題として考えなければいけないと思います。
私はむしろ、第三者が論じないと、感情が入って客観的な判断ができないので不当だと考えます。感情が正常な判断を誤らせることが多々あることは、経験則上明らかです。 ちなみに死刑制度是非の中核は、(理由はともかく)国家の手で国民の生命を奪うことを認めてよいのか、ということになると思います。
- kenken1106
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質問内容も法律カテから外れていると思いますので、あえて書き込みします。現在、低年齢児に対する悲惨な事件が続いています。このような、加害者は更正の可能性に賭けるより、社会から永久に消え去るべきです。大人同士の事件では被害者にも何らかの責任、被害にあわないですむ方法があった可能性がありますが、低年齢児に関しては、責任の可能性はゼロです。 死刑制度があるのですから今すぐにでも法改正をして実施すべきです。こんな事件の加害者100人の命よりこれから生まれてくる幼い命のほうが大切です。 また、低年齢児に対する性犯罪者については、終身刑をかすべきです。
- nemosan
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>第3者であるわれわれが論じる・・・ナンセンス 現在の事件では第三者である私や私の親族知人が、将来に誤認逮捕や冤罪事件で死刑にされることが無いとも限りません。死んでしまったら、後に容疑が晴れても無駄になります。だから、第三者が論議することに意味があるのでは? また被害者感情を考慮するにしても、現行法では1人殺したくらいでは死刑になりません。死刑の下の無期懲役は十数年で出所可能です。 だから、あえて死刑を廃止し、絶対に出所出来ない終身刑を作ろう!という考えもあります。 ちなみに、凶悪な未成年犯に対して死刑は無理でも終身刑なら・・・。
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自分が被害者になったときに、そうであって欲しいからでしょう。 日本の法律は甘すぎると思います。悪いやつは本当に反省しない。更正なんて必要ないです。
- dora_0903
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罪を憎めど人を憎まず。 今の世の中の現状では被害者よりも加害者の方が 人権が保障されている様な気がします。 加害者は命を奪ったといえど屋根付きの建物で 衣食住の保障がされます。しかし被害者(遺族)は メディア各社に個人情報を絞れるだけ絞り取られ 衣食住さえもままらない様な気もします。 加害者と言えども人権を保障し 生命の尊厳を守るべきだという論点もありますが 今の現状ではもはや本末転倒と言わざるを得ない 状況下になってきています。 それ故死刑制度を施行すべきというと それはいささか首肯はできません。 文頭にも書いたとおり 罪を憎めど人を憎まず。 加害者を死刑にしたところで加害者家族に 新たな悲しみが生まれるべきです。 一個人としては死刑制度に似た罰則 (地雷撤去など)を科すべきだと思っております。 論点が多少ずれてはおりますが 参考になって頂ければ幸いです。
- kikiki99jp
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死刑制度ある国で、犯罪が減ったという話しは聞きません。死刑も集団による殺人です。 最近の話しでイギリスで死刑執行のあと無実だということがわかったそうです。。死刑を下した関係者がどういう責任をとったのかは知りません。 冤罪大国日本、そしてかつて天皇批判、国家批判しようものなら死罪になったような日本。国の面子のためにあるのでは。死刑って本当に必要ですか?死刑は、所詮裁判という名の集団による復讐劇なのでは? どうすれば、犯罪が減るのか? むしろ、そちらのほうがないがしろにされているのでは?
- バグース(@bagus3)
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私は死刑も殺人の一種だけれど、 社会のためには必要悪だと考えます。 死刑や懲役、罰金などの刑罰は 犯罪の被害者のためにあるんではなく、 国家の秩序をみだした犯罪者を 国家が罰するのが刑罰なんです。 それがいいかどうかは別として 今の現状はそうなっています。 ですから、被害者でなくても 死刑を論ずる権利はあると思います。
- BLUEPIXY
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被害者のために法律があるのではないですし、 刑罰は被害者のために下されるのではないと思います。 社会を維持する上での法律だと思われます。
お礼
みなさんありがとうございました。 確かに感情論が入ると危ないです。それに、被害者を救うための法律という観点がそもそも捕らえ違いだったきがします。