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死刑反対論者について

過去ログで「死刑」と言う内容で調べて、幾つか似たようなアンケートは 有ったけど、タイトルのような内容は無かったので皆様にお聞きしたい。 1.死刑反対論者をどう思う? 小生はむかっ腹の立つ集団だと思っている。被害者の気持ちもわからんと 犯罪者の人権云々を言う無神経な人間かと。理由は小生に家族を殺めらた 友人がおり、その一部始終を見ているからだ。大切な家族を赤の他人の手で 奪われた悲しみや憎しみや恨み、想像を絶する思いを解る筈が無い。 小生が同じ立場でも、どんな事しても同じ苦しみを味あわせたいと思う。 それが出来ないからこそ法に裁いてもらい極刑にして欲しいと思うわけだ。 それに異議を唱える輩には、自分の家族が殺められても死刑反対論を唱えられるのか個1時説教したくなるわけじゃ。 1の質問に対して「賛成」「反対」「場合によりけり」で回答願います。 またその答えについての個々の理由もつけ添えていただくと有難いです。 なお、小生の個人的意見に反論はご遠慮頂きたい。 あくまでもアンケートカテゴリーとして個人の意見をお聞かせ願います。

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回答No.17

死刑反対論者に対してどう思うか?というご質問には「どのような意見も考えも個人の自由だ」と言うしかありません。しかし誤った前提にたって反対しているのならば、考えて欲しい、改めて欲しいとは思います。 よく聞くのは「冤罪の可能性を排除できない」と言う意見ですが、例えば充分な証拠があり、目撃者もおり、本人も自白しているような場合。指紋が一致し、DNAが合致しても100%とは言えないなどというのは詭弁です。それがまかり通るのなら全ての犯罪者は無罪にするほかありません。 「疑わしきは罰せず」という大原則があります。冤罪の可能性があるならば当然無罪にすべきです。死刑に値するほどの罪を犯したが、情状酌量によって無期懲役に減ずるということはあり得るでしょう。しかし冤罪の可能性があるから死刑ではなく無期懲役を選択するなどという事はあってはなりません。有罪か無罪か。有罪ならそれに相応しい罰を与えるべきです。人を殺したことに対してできる唯一の償いは、被害者を生き返らせることです。それができない以上できる範囲で最大限の償いをすべきでしょう。 念のために言っておきますが、死刑制度に賛成だからといって、個々の事情に関わらず殺人を犯したものを全て死刑にせよと言っているわけではありません。 もう一つ考えておかなくてはいけないのは、再犯の可能性についてです。どうやっても矯正しようのない鬼畜のような輩は、悲しいことにこの世の中に多数存在するのです。そのような者が出所したあとに再び殺人を犯したらその罪は出所させたほうにもあるとは思いませんか?凶悪な殺人者の人権を守るためになんの罪もない人がまた殺されなければならないなんて不条理があっていい筈はありません。 そのためには費用の問題等もありますが、終身刑の導入についても検討すべきだと思います。 それにしても例え死刑にされても被害者に比べればなんと恵まれているんだろうと思います。いろいろ考えたり身辺整理する時間もたっぷり与えられて(それだけ恐怖に震える時間が長引くという考えもありますがそれは自業自得でしょう)できるだけ苦痛のない方法で死なせてもらえるんですから。(残虐な方法で死刑にしろと言っている訳ではありませんよ)しかし殺された方はある日突然に酷くも生を断ち切られてしまったんですから。 長文になってしまい失礼いたしました。

その他の回答 (16)

  • ame1234
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回答No.16

死刑反論者も肯定者についても特にどうとも思いません。冤罪事件の可能性を考えれば、死刑は考え物だと思います。人間が裁く以上、間違いがないとは言い切れませんし。イギリスは過去に冤罪事件が起こったために死刑制度を廃止したそうです。世界的に見ても、死刑は廃止の方向にあるようですね。

回答No.15

こんばんは。 私は、賛成+場合によりけり、です。反対ではありません。 人を殺める。。。それはその人の人生まるごと力ずくで奪うことです。理由はさまざまでしょう。しかし、「金が欲しかった」「遊びたかったのに断られた」「嫌なことされた」「振られた」「つかまるのが怖かった」。。。最近耳にする殺人事件の理由は疑問符のつくものが多いです。 そして、短絡的に又は発作的に人を殺めるという最も恥ずべき行為を犯した場合、当然同様の報いを受けるべきではないでしょうか? 奪ってしまった人生を取り戻してリセットすることはできません。 残された遺族の悲しみはきえるものではないでしょう。 しかし、例えばの話、長年虐待されていた人が自分を守る為やむをえず、という場合もあるでしょう。 自分の命の危機にさらされ、命を守るための必死の抵抗の末というのもあるでしょう。 こういうケースになると、やはり場合によりけりではないでしょうか? 私は死刑反対論者を否定するつもりもありません。だからといって死刑執行を軽々しく行うのに賛成というわけでもありません。 自分がその立場にさらされたことはないものですから。 しかし個人的意見として、犯した罪の報いは受けるべきではないか、と私は思います。

  • igarasik0
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回答No.14

#10様 職業差別的発言ではとのご指摘はその通りです、配慮が足りませんでした。 私の実家が農家なのでモグラやネズミを殺すことを幼少期からよくしていて、それをする罪悪感から想像するに、死刑執行人は嫌々やっているだろう、結果として人を殺しているんだという良心の呵責に苛まれているに違いない、それなら死刑を肯定している連中にやってもらえばいいじゃないか、という短絡的思考をしていました。 「人権の一部を剥奪した上で強制労働所で一生働かせる方が世のためになる」は私の妄想の産物であってこういう場で発表するようなものではありませんし、道徳上非難されるべき発言でした。 反省しています。 私がアンケートの回答(基本的には場合によりけり、しかし死刑肯定には反対)の理由として言いたかったのは、死刑肯定論者に 1 死刑とは誰かが死刑囚を殺すことだということを本当に判っているのか? 2 自分が死刑を執行しなくてはならないという場合でもそう言い続けることができるのか? 3 どうせ嫌な部分は他人がやるのだから、自分が心地良いと感じる結果を無責任に求めているのではないか? という疑問をもっていることです。 今回のご指摘で私自身が3と同じような考えをしていたと気付かされました。 厳しい指摘ありがとうございます。

noname#36748
noname#36748
回答No.13

こんにちは。 アンケートの「死刑反対論者」をどう思うかですが なんとも思いません。 人それぞれの意見ですから。 「死刑」自体は賛成です。 いつぞやテレビ番組でとある事件を 取り上げて、日本では何人を殺めると 死刑になるか弁護士さんに聞いた所 「成人2人」とのお答えでした。 私は1人でも人を殺めたら やはり命を以って償うべきだと 思っています。

noname#49664
noname#49664
回答No.12

死刑反対論者です。 1.死刑反対論者をどう思う? 反対論者をどう思う?に対し、「賛成」「反対」「場合によりけり」というのは、うーん・・。死刑に賛成か反対かなら反対なのですが・・。あえていえば、賛成(死刑反対論者を支持)になるのかな・・。  反対論者をどう思う?といわれれば、ありていにいえば、特にどうとも思いません。人それぞれ考え方がありますから。同様に、死刑賛成論者も、特にどうとは思いません。どのような考えであれ、その考えの内容によって人の見方を変えることはありませんし。  ただ、自分の考えとは異なる人間に対し感情的な言動をとる人間は「哀れだな」とは思います。自分を冷静に見ることのできない人間だな、と。これは賛成反対に関係なく、更にいえば死刑問題とも関係なしにそう思います。 ご質問は死刑制度そのものに関することではないので以下は蛇足ですが。 例えばテレビなどで殺人事件の容疑者が捕まり裁判で有罪が確定したようなニュースを見ても、私は無条件に「こいつが絶対に殺したんだ」と確信できないのです。同じ事件でも控訴審と上告審での判決文ががらりと違っていたり、「おいおい、そんなんでいいのかよ」と目を疑うようなあやふやな判決理由が書かれていたりするのを見るにつけ、「裁判なんてのは、ほぼ正しいというレベルでしか裁くことはできないのだな」と思うようになりました。  そのような形で有罪になった人間に対し、無条件に「こいつがやったに決まってるんだ。この人でなしを死刑にしろ」とはとても思えないのですね。本当に凶悪な事件を引き起こした人間に対し「死刑にしろ」という声が出るのはわかるのです。けれど、事件を起こした犯人「だろうと思う」人間に対してそう思うのは私には無理です。  そして、人間が作るものである以上、完璧で誤りの一切ない裁判制度というものも存在し得ないだろうとも思うのです。

  • Rion4443
  • ベストアンサー率16% (87/532)
回答No.11

すごく難しいです。 >「賛成」「反対」「場合によりけり」で回答願います。 とのことですと、「場合によりけり」になります。 曖昧で申し訳ないのですが。 結局個人的な感情で左右されてしまうのかなぁと・・・。 自分の家族や愛する人が殺されたら加害者を死刑にしてもらいたいと思います。 でも、 自分の家族や愛する人が重大な罪を犯してしまったとき、死刑にしてとはいえないです。 もちろんそういうことをしてしまう前に何故止められなかったのか・・・とは考えますが。 情と言われてしまえばそれまでです。 ご質問者様は、友人の家族を殺めたのが仮に自分の身内だろうと愛する人だろうと極刑にしてくれと言えるんでしょうね。 すごく強いなぁと思います。 うまく回答できなくてすみません。

noname#21649
noname#21649
回答No.10

多くの国で死刑廃止の流れがあります。死刑を増やそうとしているのは日本くらいしか情報が入りません。 マスメディアでご質問者のような考え方をここ10年くらい宣伝していますので.ご質問者のような考え方が増えるのは当然でしょう。 殺人の定義は刑法にあります。殺人罪として定義しています。しかし.殺人罪の除外規定が刑法の前のほうに書いてあります「他の法令に規定がある場合を除く」という規定です。 手持ちの資料ですと.某学会理事長の報告で某大学における心臓移植の麻酔にかんしての報告があります。臓器移植法施行前の心臓移植ですから.殺人罪になります。しかし.臓器移植法が成立したので.臓器移植法違反となり.時効がせいりつして日本での臓器移植による殺人関係者は全員が不起訴処分になりました。 殺人をしていて法律ひとつ通っただけで不起訴処分です。つまり.現在死刑になるであろう人ですら.社会的地位が高く新法制定を可能にするだけの能力があれば(最近の例.郵政民営化。衆議院で否決されたにもかかわらず解散総選挙で反対票を投じた人間を排除し可決させた)無罪にできるのです。 ならば.より国民の自由権を保証する(法規制を排除すること。法規制は自由権の制限という意味合いがあります)上で死刑も廃止するりゆうにはなりませんか。

  • igarasik0
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回答No.9

大抵は胡散臭く思うのですが、「場合によりけり」です。 人の命は大切なものだからというお題目だけで反対をしている原理主義的な人には反感を覚えます。 しかし私自身が死刑を肯定的に考えていません。 死刑という制度がある限り、その執行官は職業として人を殺さなければならないからです。 その人の心情を考えると死刑賛成と無邪気に言っている人には、より強い反感を覚えてしまいます。 ぜひあなたのように問答無用で死刑を肯定できる人に死刑の執行をやってもらいたいものです。 自分がやるわけではないから、死刑のイメージが少々過激なファンタジーになっているのではありませんか? というわけで、私は消極的死刑反対論者です。 個人的には死刑にするより、人権の一部を剥奪した上で強制労働所で一生働かせる方が世のためになるのではと思ってしまうことはありますが。

  • unapuka
  • ベストアンサー率6% (8/117)
回答No.8

全くその通りと思う。 人を殺しても、殺したほうは死なないなら殺したモン勝ちやん。 悪いことをしたら罰を与えなければいけない。 その罰を極限までキツくしていくと、行き着く先はもう死刑以外ないと思う。

  • kurupin
  • ベストアンサー率24% (125/511)
回答No.7

こんばんは。  私自身は質問者様のスタンスに近いです。「人でなし」を生かしておくなど税金の無駄だとすら思います。しかし実際に被害者遺族の中にも死刑制度に反対のスタンスのとる方がいる以上、感情論で片付けられる問題ではないと考えます。それだけ被害者側の意識は複雑でありその意識自体も多様に変化しているということでしょう。  また死刑制度を是とする社会では、死刑制度に反対するような被害者遺族は「被害者」として認められず、その結果いわゆる「良い被害者」と「悪い被害者」を生み出している現状があります。更に国側も「死刑にしてやった」という既成事実を盾に本来すべき被害者遺族への必要なケアを怠っているという現実もあります。  したがって死刑制度反対論者の主張が単に加害者の人権云々で語られているわけではないので彼らを単純な二元論で論じるべきではないと考えます。よって「場合によりけり」。

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