御礼を有難うございます、#4です。
横レスで申し訳ないのですが・・・
>神道の知識はほとんどなく、たましいの声にしたがって信仰してきました
神道とは、そう言ったもので良いのですよ。
私は社家に生まれましたが、知識と信仰は別物です。作法や色々な歴史はそれなりに教えてもらったり、自ら学んだりはしましたが、結局は他の宗教のように経典や戒律がある訳ではないので、自らの意思の元、自分が信じるものに恥じない様に、自己責任で日々生きていく事
が「神ながらの道」です。昔から言う「お天道さまの下で恥ずかしくないように生きる」と同じような感じでしょうね。色々と調べたり全然難しく考えずに、毎日を丁寧に生きていけば、きっと道は拓けていくのだと思いますよ。
因みに「根の国・底の国」は、ドン底の意味ではありません。全くの異世界の事ですね。(歴史書には出雲の地方の事とも言われてはいますが・・・)大祓詞で、自分が知らず知らず犯してしまった罪までも、人からバッサリ斬り捨てて、川に流して、海の荒波に沖まで流され、そのまま深海に沈めて消し去ってくれますし、気が沈んで元気が枯れてしまったら(気枯れ)息吹を吹き込んで元気づけてくれるといっているのですから、今がどん底だと思っても、ここまできたら、後はもう自分で頑張るしかないでしょうね。「元気を分けてもらってる、気づかずにしてしまった過ちも、みんな祓ってくれている」と思って、後は安心して日々を、素直に生きていけば、きっと辛い事からも立ち直る事ができると思いますよ。
「ひと冬は 寒しと思えど 何時か来るらむ 春を願いて 今日を行きなせ」です。頑張ってくださいね。
※あと、別件の「大祓詞の囲み」の質問ですが、あれは私も意味がわかりません。何に記述された大祓詞のどう言った件の部分にある囲み(囲みと言うのもよく分からないのですが)か、あちらで補足を書かれたほうが良いですよ。風水やら卜い(占い)、神仙道や新興宗教系など、神道とは違うものありますので、出典は明らかにしておいたほうが良いと思います。
お礼
sophia35さんどうもありがとうございます。 そうですね、かんながらのみちですね! 小さい頃から、生きる意味をずっと探してきて、いろいろな道のりを経て10年前から祝詞と、旧約聖書をもってかんながらの道を志しています。 そして今その道自体も同じ道ではあるけれどスタイルチェンジのときだと感じここに質問させていただきました。 でも形ではないんですね。 安心して日々を素直に生きていくことがたいせつなことですね。 ひかりあれ