#3さん同様、国語科のレポートというところに違和感を覚えてしま
う40歳のオバサンです(今は、あまり科目ごとの垣根がないのでしょうか)。
私は、身体障害者で介護認定を受けている伯母さんと同居しています。
その観点からもお手伝いができれば-と思い、書き込みをさせていただきます(一応、学生時代は国語は得意科目でしたし、レポートを提出して低い評価を貰ったことはないので、そちらからも)。
まず、「バリアフリー(Barrier-free)」という言葉の定義から入られてはいかがでしょう。
本来、バリアフリーは、身体に障害を負った方のみならず、広い意味での障害者や高齢者の生活に不便な「物的」障害を取り除こうという考え方ですよね。
ikayaki9109さんの身近には、バリアフリーに関係する施設は何かありませんか?
例えば、電車等の駅にエレベーターやエスカレーターが設置されてたり、階段に手すりがあったり、券売機に点字での表示があったり、点字ブロックが敷設されていたりetc.これらもバリアフリー施設の一種です。
では、なぜこれらが設置されているのでしょう。
身体に障害を負っているなどの方は、そうでない方に比べて「物的」障害を受けやすいので、より不自由を感じやすいのです。
そういった方が不自由を感じずに利用できるようにすることが「物理的なバリアフリー」です。
では、「物心両面」という言葉はご存知ですか?
「物質」と「精神」の両方から-という意味です。
この2つは対義として使われています(国語科のレポートということなので、こういった対義語に触れるのもいいのではないか、と思いました)。
ですから、先ほど申し上げた「物理的なバリアフリー」に対議するのが「心のバリアフリー」となるのです。
では、「心のバリアフリー」とは…。
他の回答者様も書いていらっしゃいますが、「相手のことを思いやる気持ち」から始まります。
それは、何も障害を負っていらっしゃる方には限りません。
それらを踏まえてまとめられてはいかがでしょう。
最後に、これはあくまでも私個人的の考えなのですが…。
1つだけ思って欲しくないことがあります。
それは、「身体に障害を負った方=弱者」ととらえないで欲しい、自分より「弱い」から「助けて」あげよう-という、強者の立場から物事を捉えて、身体に障害を負った方を見下して見ないで欲しいのです。
これができなければ、「心の垣根」は取り除くことはできません。
確かに、「助け」を必要とされている場合もありますけれど、障害を負っている方たちは決して「弱い」存在ではありませんし、弱い心の方たちでもありません。
その辺りにいる、自分(や身内)にだけ甘い人たちよりも、よほど心は強いですよ。
脱線してしまいましたが、お手助けになれば幸いです。