否定されることで傷つく自分って言うのは自我の部分の自分だと思います。自我の自分と言うのは、人に良く見られたい、見せたいと思う部分の自分です。
その部分は自我で、本当の自分ではないと思います。
虚栄心などの自我は、自分が育ってきた環境の中で、自分を守るために育ったところです。
この部分は、周りの環境、意見、行動によっていつも揺れ動きます。
その自我を乗り越えようとする時、もっと深くにある、魂の自分が出てくると思います。
その部分は、傷ついた自分より、もっと大きなものだと思います。
何かを見るとき、近くで見るととても大きく感じるものが、もっと高いところから見ると、なんでもない小さなものに感じられると思うのですが、その高い位置が、魂だと思うのです。
高い位置にいる魂は、低い位置に存在する部分に左右されません。その低い部分からは届かないからです。
もっと物事を高い位置から客観的に見る訓練をすれば、小さな自分(周りに振り回されてる自分)がくだらなく取るに足りないものだと気づくのではないでしょうか?
自分を信じるとは、小さな自分ではなく大きな自分がいることを信じることだと思います。
いろいろなこだわりを、小さなことだと思える部分の自分を信じることだと思います。
空に雲がかかって、雨が降って、夜になって暗くなって、太陽はみえなくなるけど、かならず存在しているように、人の心の中には、見失っても、尚存在する太陽があると思います。
でも、傷ついた部分の自分も大切なところで、その痛みのおかけで、痛みを知ることで、人の痛みを感じ、思いやりや優しさをもてるからです。