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仏教に詳しい方、教えてください

以前、仏教に詳しいと自称される方が、 「誰かの親を否定することはその誰か(子)を否定すること」 とおっしゃっていたので、気になりました。 例えば、虐待を受けて育った幼ななじみの子。その親は私から見ても ろくでもない親だと思うけれど、そういう親から自立するために彼女は 働きながら大学に通って教養を身につけ、少々風変わりな感じではありますが、 人の痛みや物事の道理のわかる立派な人間に見えます。 その子は親についてはもう諦めていて、親を憎んではいないし、 今更怒る気力もないようですが、 実際、暴力親父は健在のため、離れて暮らしていても肉親ゆえ迷惑をかけられ、 困らせられることがあり、ろくでもない親だと感じています。 仏教には、「良い親からは良い子が育ち、ろくでもない親からはろくでもない子が育つ」という考え方があるのですか?

質問者が選んだベストアンサー

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  • truth77
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回答No.2

>仏教には、「良い親からは良い子が育ち、ろくでもない親からはろくでもない子が育つ」という考え方があるのですか? ないですよ。 >「誰かの親を否定することはその誰か(子)を否定すること」 仏教から派生したことわざに、「袖触れ合うも他生(たしょう)の縁」というものがあるのをご存知でしょうか。 「他生」というのは、転生輪廻における「過去世」での生活を指しています。 偶然に袖が触れ合っただけという、赤の他人と思わしき人であっても、過去世をさかのぼってみますと、何らかの『縁(えん)』(係わり合い)でつながっていたりするものですよ、という考え方が、仏教の根底にあるのです。 「親と子」という関係で今世を送っている二人であるならば、二人の関係は、過去世においても、「ひときわ縁のあった間柄」であったと考えられる、ということです。 「ろくでもない親」、あるいは「ろくでもない子」と評価される人であっても、その人の子、あるいは親になる人との間には、深い縁があって親子になっているのですから、そのうちの片方を否定することは、他方も否定するのと同じことになる、という考え方になるのだと思います。 親の役目を持った人が「ろくでもない親」を演じ切ることによってしか、その人の子の「魂の学び」が得られないこともあるのではないでしょうか。 あるいはその逆で、子供が「ろくでもない子」でなければ「親としての学び」が得られないこともあるのだと思います。

wondernm
質問者

お礼

御礼が遅くなりました。申し訳ありません。 では、虐待などの理由で例えばたった2歳で死んでしまう子は? 食事を与えられず、薄汚れて、血を流し、死んでいく、 苦痛だけを知るために 生まれてきたような子供たちは? なんて考えると、 そんな学びなどいらないような気もするし、ほかの誰かが そんな意味付けをするのはとても残酷に思えます。 渦中にある、当事者が自分で自由に解釈してよいこと、 (つまり「これは魂の学びである」など)のような気もしてきます。 好みの考え方ではありませんが、とてもわかりやすかったです。 ありがとうございました。

その他の回答 (2)

  • utaufune
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回答No.3

仏教経典は八万宝蔵と言われ、それはそれはたくさんあります。 仏典すべて釈迦が説いたものなわけではなく、「釈迦からこう聞いた」ということで仏典が編集されてきました。 もう聞いた者がいないはずの時代でも編集され続け、時代や人の都合でいろんな考え方を含む経典が編集されてきました。 中国なんかでは「忠」や「考」の思想を含む経典が作成されたようです。 そういうわけで、経典全部読むと、正反対のことが書かてたりもするようで。(まさか私が全部など読んだこともないし読むつもりもありませんが(^^;) ですから一部には、質問のようなことが書かれているものもあるのかもしれません。 私は信じてはいないので、もともと気にしませんが、そういうことが書いてあるとしても、それが仏教の真髄でもないでしょう。 親だろうと他人だろうと、人を否定することを是としないのは基本かもしれませんから、そういうことを意味するのかもしれません。 (基本なだけで、初期仏典で思いっきり人を否定した文を読んだ覚えもありますが・・まあ素人が上っ面読んだだけなので専門家に言わせると意味が違うのかもしれません。)

wondernm
質問者

お礼

御礼が遅くなりました。 ありがとうございます。

  • BLUEPIXY
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回答No.1

>仏教には、「良い親からは良い子が育ち、ろくでもない親からはろくでもない子が育つ」という考え方があるのですか? ないと思います。 仏教の経典の中に、連続殺人鬼を釈迦が帰依させてしまう話があります。 つまり、(仏教の立場としては、)「ろくでもない人間」かどうかは、仏教の実践という立場からは関係ないと言えると思います。 言ってみれば、「良い親からは良い子が育ち、ろくでもない親からはろくでもない子が育つ」というようなことを誰かにそうだと断定することは、 仏陀が誰かを教え導こうとするような時に何の意味もないことですので、そのような言及はしないと思います。 強いていうなら、親の行動を見て子は育つから(親としての)自分の行動を慎みなさいというようなことはあるかと思います。

wondernm
質問者

お礼

御礼が遅くなりました。申し訳ありません。ありがとうございました。

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