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一休の風狂について

禅僧でありながら、遊郭に出入りし、腰に大刀を差し、兄弟子を罵倒し、庵に女を囲う、いわゆる風狂の姿は、それ自体腐敗した社会への批判精神をあらわそうとしたものであろう。そういう一休がのちには大徳寺の再建を任される管主にもなるわけですが、当時一般の庶民がはたして批判精神をどう受け止めたのか知りたいところです。

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回答No.1

一休が、最終的に管主になったのは、頭のよさと、なんと言っても、その血統のよさでしょう。なにせ南朝の皇族の血筋ですから。 しかしながら、彼が腐敗した社会への批判精神から、あえて風狂を演じたわけではないでしょう。やっぱり、いかれた人だったのだと思います。遊郭に出入りしたのも女を囲うのも、基本的に女が好きで、それを抑制する恥もなかったのでしょうし、兄弟子を罵倒したのも、憎かったからでしょう。当時の人々の目から見れば明らかに常軌を逸した人だったと思われます。 なにしろ、一休の風狂を「社会への批判」と評価したのは、現代人であって、そんな評価は、当時からずっとなかったのです。ただ、なんといっても、貴種なので当時の人々も容認したのです。大貴族が好色なのは仕方がないと。 また、日本人は基本的に、生臭坊主に寛容なのです。酔っ払いの神父さんなんか、けっこうみんな好きなのです。そういう日本人の優しさのなかで、大切にされたのであって、決して、偉人ではあり得ません。 当時の一般庶民からすれば、まさに腐敗の象徴でしょうね。末法の世の高級な血筋の狂人といった感じでしょう。彼は批判者ではなく、まさに狂人でしょう。ただ、超貴種なので、庶民には批判もなにもなかったのです。

ikkannsann
質問者

お礼

なるほど説得力ありますね。いかれた人というよりも、なにか複雑な心情があったのでしょうね。一休というと持ち上げる風潮があるので、すかっとした思いです。 近世の芸能は一休サロンから出発しているのは、やはり俗の毒を持ち上げた功績は大きいと思いますが、時代の影響もあったのでしょう。 個人的には、そういう一休の高級狂人の生の姿を描く人が出てくればいいと思いますが、やはり貴種ということであってみれば、現代でも難しいでしょうね。 ありがとうございました。

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その他の回答 (1)

noname#84897
noname#84897
回答No.2

「あっかんべエ一休」というコミックをご存じないでしょうか。4巻とけっこう長いコミックです(文庫では2冊になったようです↓)。 手塚治虫さんのアシスタントあがりだったか、絵のうまい坂口尚という漫画家の絶筆(若くして亡くなりました)となった作品で、私は「石の花」という硬派のコミックでこの漫画家のファンだったので、神田まで出かけてこのコミックを買いました。(今ならアマゾンかな) 期待して読み始めたのですが、、、一休のあまりの無茶苦茶ぶりについていけず、挫折してしまいました。 一休に関心がおありでまだ未読でしたら、いかがかなと思って書き込んでみました。

参考URL:
http://www.7andy.jp/books/detail?accd=30454959
ikkannsann
質問者

お礼

さっそく買って読んで見たいです。 ありがとうございます。

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