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一休の風狂について
禅僧でありながら、遊郭に出入りし、腰に大刀を差し、兄弟子を罵倒し、庵に女を囲う、いわゆる風狂の姿は、それ自体腐敗した社会への批判精神をあらわそうとしたものであろう。そういう一休がのちには大徳寺の再建を任される管主にもなるわけですが、当時一般の庶民がはたして批判精神をどう受け止めたのか知りたいところです。
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noname#84897
回答No.2
禅僧でありながら、遊郭に出入りし、腰に大刀を差し、兄弟子を罵倒し、庵に女を囲う、いわゆる風狂の姿は、それ自体腐敗した社会への批判精神をあらわそうとしたものであろう。そういう一休がのちには大徳寺の再建を任される管主にもなるわけですが、当時一般の庶民がはたして批判精神をどう受け止めたのか知りたいところです。
お礼
なるほど説得力ありますね。いかれた人というよりも、なにか複雑な心情があったのでしょうね。一休というと持ち上げる風潮があるので、すかっとした思いです。 近世の芸能は一休サロンから出発しているのは、やはり俗の毒を持ち上げた功績は大きいと思いますが、時代の影響もあったのでしょう。 個人的には、そういう一休の高級狂人の生の姿を描く人が出てくればいいと思いますが、やはり貴種ということであってみれば、現代でも難しいでしょうね。 ありがとうございました。