イラン近代史と女性
北米在住のものですが、最近ひょんなきっかけでイラン人女性(70代?)と知り合いました。
彼女の背景がとても気になっています。
私の知るイランといえば、バリバリのイスラム教。
現代においても、既婚者の婚外セックスや同性愛、イスラームから他宗教への
改宗者に対する石打ちによる死刑婚前前交渉で、石打の刑、、、その他の「ハッド刑」なるものがあるとのこと。(Wikipedia)
確かに 私の知るムスリム系移民は勿論お酒は飲まないし 移民一世以降(当地で生まれ育った人)で無い限り ジョンレノンを知らなかったり、映画も知らないもの。
ところが、彼女は 色白で元々金髪(今は染めている)のせいか「垢ぬけた」感じがあり、シナトラやナットキングコールを好んで聴いている。。
「失礼かもしれないが、祖国では そういう所謂”西洋の曲”を聴くことができたのか」と訊いてみたら、「アラブの国は知らないけど、私の若い頃 流行っていたわ。 ダンスやパーティーだってよくしたわ」と言う。。。
そこで、彼女の略歴:
生まれた時期:1940年代?
父親は”Colonel”(陸軍大佐)であったそう。 両親は子供の頃離婚しており、母親はその後別の男性と再婚し、彼女が18のときに 義妹ができた。 イラン人男性と結婚し、一男一女をもうけた。 長女(第二子=現在55歳)が16歳のときにカナダに移民。 当初英・仏語は全くできなかった。 その後イラン人夫と離婚。 小売店で 働きながら商いのノウハウを学び、当地有名小売店の共同オーナーになる(相手はカナダ人男性S ⇒ 恋仲だったのでは?と勘ぐる私)
Sは他界し、今や同店のオーナーとなり、一等地のアパートで一人暮らし。 少しボケた発言もあるが、アタマが切れる。 記憶力抜群。 好き嫌いがはっきりした性格だが、気に入った人には温かく優しい性格。
イラン近代史をざっと調べると、
1925-1979 パーレビ朝
1935年 国号をペルシアからイランに改称
1979 イラン=イスラーム革命。指導者はホメイニ師。
質問です:
彼女の生まれ育った時期は、パーレビ朝だったのは確かです。 その時期は近代化(=西洋化)も盛んだったようで、男女平等も謳われ女性のチャドルも禁止になっていたようです。 彼女が他のイスラム圏出身の移民より どこか「垢ぬけて」みえるのはその背景でしょうか? それとも「陸軍大佐の娘」として、何か特権のようなものがあったのでしょうか・・?
彼女に直接聞く前に。。。
お礼
ご回答ありがとうございます。お礼が遅れてしまい大変申し訳ありません。 イラン革命もアメリカの言う「グローバル化」の結果として自らの敵を増やしてしまった一例だと思いますが、アメリカは何故自分たちが標的にされているのか気が付かないほど愚かではないだろうし、もう少しうまい立ち回りが出来ないものなのでしょうか。