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クラシックは、同じ曲が進化(変化)していますか?
若輩者で申し訳ないのですが、最近初めて、クラシックの良さに気づきました! クラシックの聴き方として、誰の指揮によるかが 重要だと知りました。 (当時は録音機材がありませんから、スコアから指揮者が、作曲家の意図を理解し表現すると。) 私は、フルトヴェングラー指揮のシューマン、チェロ協奏曲を聴き、ヤバいと思いましたが、その後、手に入れたバーンスタイン指揮の同じ曲の違いに驚きました。 指揮者はスコアを見ただけで曲が浮かぶとも聴きましたが、それにしても、この曲を指揮すると決まったときに、過去のこの曲の演奏を聴いたりしないものでしょうか? 指揮者は、最も金のかからない演奏家だと岩城宏之氏が言っていましたが、演奏家はアーティストなのでしょうか? 指揮者は俺ならこうすると指揮するのでしょうか? 作曲家はこう思ったはずだと考えて指揮するのでしょうか? フルトヴェングラーの指揮はカッコよかったから、俺もフルトヴェングラー指揮のでやります! ということなないのでしょうか? 指揮者がアーティストなら、その指揮者に影響を受けて、どんどんその曲が変わっていって、今こうなっている、 というようなこともないのでしょうか? 同じ曲を演奏しても、こんなに違うなら最早同じ曲ではないのはないでしょうか? 全くもってわかりづらい文章で申し訳ないのですが、 何がいいたいのかよくわからなくなってきました。 つまりはクラシックはかなり、異質だと思うのです。 (テクノ/ヒップホップが好きだったのでクラシックとは学校の音楽以外無縁に過ごしてきたのです) お暇でしたらご意見下さい。 よろしくお願いいたします。
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- Mr_tan
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個人的に思っている戯言です。読み流してくださっても結構です。 私の父がクラシック人間でして、クラシックは幼稚園とかで既に耳には入っていました。 更に、英才なんて言えませんが私に父はクラシックを聞かせようと、、、 プロコフィエフの「ピーターと狼」とか、ペルシャの市場にて、中央アジアの草原にて、ローマ三部作 など、入門(と言っては失礼か?)作をバンバン聞かせたようです。 結果、蛙の子になりまして、ドイツの3BやDvorakなどが好きなヤツになりました。 で、最近思うことなのですが、平原綾香の「ジュピター」は何なのか?です。ポップスでクラシック。どうなのか? 考えられるのは「カヴァー」という考え方です。 クラシックでも、ポップスでも原曲があって誰かが演奏をする。と言うことです。 ドヴォルザークのOP.95所謂ところの「新世界から」が特に私は好きなのですが、最初に聞いたのはニューヨークフィル・バレンボイムでした。 その後、ベルリンフィル・カラヤンなど様々な新世界を聞きまして思いました。 「最初に演奏したドヴォルザーク指揮の新世界って、どんなんだったろう?」 ポップスにもクラシックにも楽譜はあります。 しかし、ポップスのテンポなどは「♪=95」などと確定されていますがクラシックはアンダンテ、モデラート、ラールゴ。。。歩くくらいの速さで、云々。。。確定されていません。歩く早さって人それぞれですからね。 民謡とか、昔は楽譜はありません。昔は口伝です。聞いて覚えて、謡って伝える。 時代と共に変わっていくのが当然です。変わらず伝わっていたら奇跡ではないでしょうか? あと、あまり書きたくなかったのですが「技術」にも触れておきます。演奏する方々の力量です。管楽器奏者の肺活量や弦楽器奏者の早弾き。昨今の奏者のチカラがどうかは分かりません。しかし、演奏として変わるのは当然だと思います。 それとオケの編成の人数も気になります。第九のコーラスとか例を挙げると分かりやすいかも知れません。ソロのボーカルが4人(4パート)に対してコーラス担当が4パートで100人でするのか7・8人でするのか??オケでも同じだと思います。他のパートとの割合も関係しますし。 長々とダラダラ文になってしまいました。 でも、最後にコレだけは書いておきたいと思います。 同じ演奏がないからクラシックは新譜が出るし、面白い。 違う演奏だから評論されて好き嫌いがある。 長文、失礼致しました。
こんにちは。 #7です。投稿したあとで、補足したい気持ちもありましたので、再度お邪魔しました(笑) 私のショックを受けた「指揮者」は有名な方です。其の音楽が由とされた時代があったのは事実なんでしょう(笑)其れを知らなかった為(この指揮者こういう曲調だということ)のショックなのだともいえます。知っていれば避けられたと思いますから(笑) ですが、私は純粋にクラシックを聴きたかったので、全ての名曲(私が思い描いていた曲調)が、ムード音楽に一変しているのは耐えられませんでしたし、今でもいくら聴いても感動しません。心も動きません。(笑) でも其の時は「クラシックもどき」とか「なんちゃってクラシック」という文字を入れれば?と、憤慨したものです(笑)
- terra5
- ベストアンサー率34% (574/1662)
私の感覚ではクラシックの方がまだ統一的に感じます。 例えば・・古くてすいませんが、山口百恵が歌った秋桜。 さだまさし作曲で本人も歌ってます。当然キーも違えばアレンジも違います。更にスタジオ録音の演奏とライブの演奏ではアレンジもがらっと変わっている方が普通でしょう。 また、主にライブではアドリブによる部分があるのが普通では。 それに比べれば基本的に同じ楽譜でスタジオ録音でもコンサートでも同じ編成で演奏するクラシックの方が、まだ同じ曲を演奏しているような気がしませんか。 ジャンルによらず音楽はその時々いろんな要素で変化するものだと思います。 逆に何度もまるで同じ演奏を繰り返す録音の方が本来は異質なんだと思います。
- BWV1012
- ベストアンサー率38% (133/347)
楽譜は芝居の台本に似ていると思います。 同じセリフでも読み方によって違いが出るように。楽譜に書かれた情報をどのように読みとるか、ということによって演奏に違いが出てきます。 テンポ設定ひとつとってみても、例えば、Allegroの指示があったとしても、四分音符で、1分間に126拍ぐらいのテンポから140拍近いテンポまで幅があります。演奏する側は、その曲の求める軽快な感じを表現するのに一番良いと考えるテンポを選ぶのです。 ある面では、最終的には「好み」の問題で決まる部分がないわけではありません。 しかし、一方では、「この曲のこの部分はこういう弾き方で」といったことが伝承されている部分もあります。もちろん、伝承ですから、完全に作曲家の意図したものが受け継がれているわけではないのでしょうが、学習の過程で、このような点も教えられるし、オーケストラで代々受け継がれてきたものもある。 たしかに、モーツアルトの楽譜には、細かい指示はほとんど書かれていませんが、「暗黙の了解」でここはこのように演奏する、といったことはあり、それをベースにしながら、演奏家による解釈による部分がつけ加えられるのです。 (しかも、本来は、「自作自演」用に作曲されているわかですから、こまかい部分は、練習の際に口頭で指示、みたいなこともあったのかもしれません) 「どのような演奏にするかは、指揮者の権限」みたいな所はありますが、かといって、指揮者がスコアに書かれたすべての音について、細かく演奏する側に指示するわけではありません。 まずは、「受け継がれたきた演奏法」やその応用(例えば、レッスンを受けたことのない曲でも、他の曲から考えてモーツアルトのこのパターンは、こう演奏するのが一般的という演奏法)で演奏しながら、リハーサルの中で、指揮者が、ポイント・ポイントで指示を出していくのです。(プロのオーケストラの場合、最大でも3~4日の練習で本番になります) ただ一方では、最近の傾向として、これまで使用されてきた楽譜(出版譜)は、後から作曲者以外によって書き加えらた部分があるのでそれを取り除いたり、場合によっては、手書きの譜面を読みとる際に、アクセントなのか、ディミネンドなのか読み間違えた可能性がある(シューベルト)ので、それをなおしたりした、いわゆる「原典版」による演奏も増えていますし、作曲者の意図を忠実に再現しようという試みがなされているのも事実です。 反面、作曲された頃と比べれば、楽器の性能(特に管楽器)も変わっているし、オーケストラの編成や演奏会場も大きくなっています。また、演奏する側や聴く側を取り巻く社会そのものも変化しています。そのことを考えると、原典主義がすべてかというと、そうでもないような気がします。 ただ、クラッシックの場合、同じ楽譜を使いながら違いを出す音楽であるのに対して、ポピュラーの場合、同じ曲でありながら、アレンジを変えたりすることによって違いを出す音楽であるということも言えるかもしれません。 最終的には、あまり難しいことを考えすぎず、自分の好きな演奏を選べばいいと思います。(ただし、演奏する側に立つ場合、あまりにも、従来のスタイルとかけはなれた演奏をすると、いわゆる巨匠なら「ああいう演奏もあるのか」と受け止められるのかもしれませんが、それ以外の場合は、「演奏のスタイルを知らないのでは」とか「ちゃんと演奏できないのでは」と思われる可能性もありますが) いまひとつまとまりのない文章ですみません!
こんにちは。 >全くもってわかりづらい文章で申し訳ないのですが、 何がいいたいのかよくわからなくなってきました。 この質問は、漠然と長い間胸に漂っていたウップンを、思いっきり代弁していただいたような、清涼感があります。質問者さんの言いたいことが、ひしひしと伝わってきます。(笑) >同じ曲を演奏しても、こんなに違うなら最早同じ曲ではないのはないでしょうか? 私も愕然とした事があります。「何故?!これ違うでしょ」って。(笑) クラシックを知らないときにレコード会社のクラシックClubのようなものに入会して、揃えたことがあります。試聴なんて出来ませんから、曲名と作曲者の情報を頼りに購入しました。楽しみにして送られたものを聴いてみると「愕然・落胆・怒り」それだけでした。 あまりにも指揮者のカラーに変えられていて「こんなに違うクラシックってありなの?」と落ち込みました。信頼していたレコード会社故にショックも大きかったです。まさに「同じ曲」ではないのですから。よくそういうのを売っているレコード会社も信じられませんでした。全く異質の音楽になっているんですから。騙されたと思うくらい、悔しかったです。クラシックというジャンルは「本当にこういうのが通っているんだ」という事実が信じられませんでした。其れからは自分でレコードを試聴して買うことにしています。今ではWEBで試聴が出来て購入できますので、当時のような落胆はさほど経験をしていませんが、原曲を知っているだけにショックは大きいです。 今でも上記ほどの事はありませんが、たまに期待に反するものはあります。だからこういうサイトで識者の回答を見せていただいて、参考にしております。
- Ta595
- ベストアンサー率57% (525/911)
こんにちは。 クラシック音楽演奏(鑑賞)の本質中の本質を突いた名質問だと思います。 自分自身,アマチュアながら演奏もするクラシック音楽ファンですが,楽譜を実際に音にする作業とは,本当に大変なものです。皆様すでにご回答のように,楽譜に書きとめられたものは,作曲家の思いのほんの一部でしかありません。 天賦の才に恵まれた作曲家たちが作った作品が,さらに歴史の淘汰を受け,これまた天賦の才能に恵まれた演奏家たちが,想像を絶する鍛錬・研究を重ね,楽譜の空白を埋め,そこにさらに演奏家の思い・個性をのせて,はじめて「感動的な音楽」が生まれるのだと思っています。 確かに,曲の数や演奏の数も膨大なら,インターネット(このサイトも含めて),書籍,雑誌などで手に入る情報も膨大ですので,どこから手をつけてよいか困ってしまいますよね。時間と手間は少々?かかりますが,それだけの価値のある素晴らしい趣味だと思いますよ。それほどの宝の山が質問者さんの前に埋まっているのです。これは,考えようによってはものすごく幸せなことですよね?(笑) 最初のうちは,難しく考えず直感でよいので(これで意外に自分の好みには当たるものです)気楽にいろいろな音楽に触れていけば,自然に自分の好みの作曲家,ジャンル,演奏家の傾向も分かってくると思います。また,一曲でもお気に入りが見つかれば,そこからどんどん拡げていくことができると思います。 例えば質問者さんなら,まずは, ☆他のチェロ協奏曲(トヴォルザーク,エルガーなど) ☆他のシューマンの曲(交響曲,ピアノ協奏曲,たくさんあるピアノ曲など) ☆他のフルトヴェングラーの演奏(ベートーヴェンの交響曲など) といった感じで。次のお気に入りがみつかれば,またそこから同様にやっていけば,ほぼ無限と言ってよいくらいに拡がっていきますよ。 --- 以上,長文失礼いたしました。
- omen_riderman
- ベストアンサー率18% (748/4047)
#1です。 >クラシックは何を買っていいのかわかりませんし、 >初心者に不親切だと思います。 それは同感ですね。(^^; クラシックと言っても管弦楽からピアノ曲、声楽曲と色々ありますし この作曲家に絞ろう!と思っても数が膨大すぎて かなり大変ですからね。 私は学生の頃合唱団にいたので、やはりどうしても 声楽曲や歌曲なんかがどうしても中心になってしまいます。 バッハ、ベートーベン、ブラームスあたりを 適当にチョイスしながら聞くってのがいいかもしれません。 ちなみに先ほど紹介したモーツァルトのレクイエムですが、 ベーム指揮のやつはこちらです。 http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00005Q7R7/250-8431705-3496252 ムーティ指揮のはこちらですね。 http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000066ABM/250-8431705-3496252 アーノンクールのはこれです。 http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0006SLCZI/250-8431705-3496252
- ADEMU
- ベストアンサー率31% (726/2280)
クラシック音楽に無限の可能性があるのはひとえに作曲家の怠慢もあるのです。 確かに楽譜には音符は書きますが、その音符についての情報は殆ど書かれていません。極端な例ですが、同じ交響曲でもモーツアルトとマーラーでは楽譜にかかれている情報は雲泥の差です。モーツアルトのスコアには表現を指示するものは殆どかかれておらず、一方マーラーのスコアにはこれでもかというくらいに指示が書かれており、演奏家に先の予告まで指示しているものもあります(この先もっと大きくなります、というような)。 しかし、その文章一つとってもいろいろな解釈があり、人それぞれの演奏が出来てしまうのです。たとえ、模倣でも全く同じものは存在しません。 確かに指揮者によっては師事した人の影響を多少なり受けますが、それでも同じ演奏というのは存在しません。そこが芸術たる所以です。
お礼
お返事ありがとうございます。 たいへん勉強になるご意見をありがとうございます。 クラシックのスコアを見たことはないのですが、あのピアノとかですよね。モーツアルトは殆ど書かれていないのですか。クラシックのスコアには全て書かれていると思っていましたから驚きました。逆に次の予告を指示しているのがあるとはこれまた凄いですね。 そうですね。強くといってもどのくらい強くなのかわかりませんものね。無限の演奏があることが芸術たる所以ですか。奥が深すぎますね。 お返事ありがとうございました。
- pyon1956
- ベストアンサー率35% (484/1350)
クラシックが異質というより音楽の歴史から見ればテクノのほうが異質なんです。 もともと音楽には2つのタイプがありました。作者自身が演奏する、というのと、伝承音楽です。伝承は口伝、あるいはそれに類するもの、さらには楽譜によっておこなわれました。 しかし伝承は「むかしからこうやってます」「こうやることになっている」というものなので時代がたつと「ほんとかな」と思う人がでてきますし、また古臭い感じがしたりするので、やはり伝わりきらなくなってきます。楽譜のほうはもともと情報が少なく、クラシックでも10%くらい、グレゴリオ聖歌とかだともっと少ない。 一方作者自身が演奏する、というのは19世紀になって廃れました。ベートーヴェンなどは晩年には演奏ができなくなっていましたし、また巨大化するオーケストラは結局指揮者という職業をうみだした、といわれています。そうなると前述のごとき楽譜の状態ですから、それを実際どう音にするかは指揮者をはじめとする演奏家の仕事(解釈、といいますが)になります。のこりの90%をうめ、現実の音とする作業です。 そんなわけで、クラシックCDを買うときも、どの曲を、も大切ですが、仰るように誰の演奏、またいつの、誰と組んだ演奏か、というのも重要です。 例を挙げると、ベートーヴェンの交響曲9番(いわゆる合唱付き)ですが、フルトヴェングラーは何回も録音しているわけで、一番有名なのはバイロイト祝祭管弦楽団との、1951年のライブです。ですが、半世紀前の録音のせいで、必ずしもいい音ではありません。なので何種類かその点を改善した盤が出ています。だから人に言うときはさらに何年発売、何社のCD、とまで言わないといけない状態です。 またヴィヴァルディの有名な「四季」で聴き比べをやったことがあります。(なのでうちには7種類あります)演奏家が違うともう別の曲です。 そんなわけで評論家の意見はやはり参考にせざるをえません。評論家をくそみそにいう人もありますが(まあ気持ちはわからないでもない)これだけいろいろでていると、やはり全部聴くにはお金も暇もたりないので、ある程度信頼できる(あたり、はずれでいえばあたりの多い)評論家を何人かえらび、その人のガイド(世のなかにはたくさんあります。名曲ガイドとか名盤ガイドの類)を参考に購入してあとは自分の勘、ってとこでしょう。 ついでながら、録音にはいりきらない演奏、というのもよくいわれることです。名演奏家ほどその演奏の半分も録音には入りきらない、といわれています。
お礼
お返事ありがとうございます。 衝撃的な一行目でビックリしました。不勉強で恥ずかしい限りです。音楽は「アーティストが表現する」ものという既成概念があったようです。というかそれしか知らなかったんです。 逆に廃れていったとは衝撃的です。 90%埋めているとなれば、違う曲のように変わってしまって当然ですね。 「いつの、誰と組んだ演奏」これまた恐るべき衝撃的な事実です!1951年のライブとまで指定されるのですか?みなさんそう聴いているのでしょうか?「何年発売、何社のCD」ですか!震撼するしかないですね・・・ 指揮者の中でも最も良い曲を探すのに何枚も聴いて、他の指揮者の演奏とも比較するとは、とても私の周りでは共感してもらえそうにありません。 大変衝撃的なご意見をありがとうございました。 勉強になります。
例えが悪いかもしれませんが,楽譜は材料,指揮者は料理人とも言えるかと思います。 素材の味をいかにひきたてるかが料理人(指揮者)の仕事です。 同じ材料を使っても料理人によって味が変わるように,同じ曲でも音楽表現が違ってきます。 その味にも聴く人によって好みがあって,同じ演奏を聴いても,感動する人もいれば,うんざりする人もいます。 進化・変化と言うよりは,創る人,食べる人の味覚がいろいろということでしようか。 今も残っているクラシックは素材が優れたものが多いので,200年以上昔の曲でも消滅することなく, 多くの指揮者が料理したくなるのです。 いい素材と,いい料理人の出会いがあって名演奏が生まれると思います。 また,過去にどれだけ素晴らしい演奏があったとしても, それを忠実に再現しているだけで自分の味付けができない指揮者なら, その指揮者の存在価値はありません。 私なりに思ったことを書かせていただきました。
お礼
お返事ありがとうございます。 的確な素晴らしい例えで大変わかり易いです! 素材の味をひきたてる、味覚がいろいろ、やはりそのようにしてクラシックは演奏されているのですね。 しかし、録音は残されていないわけですから、素材がどういった曲かわかりませんし、何人家の指揮者の演奏を聴かないと、どこが味付けされているかわからないわけですね! 聴き比べることは大事なんですね。 「いい素材と,いい料理人の出会いがあって名演奏が生まれる」 これは名言ですね!クラシックの本を読んだり、ライナーを読んでいると良く名演をいう言葉を目にします。。(まだよくわかってないとは思うのですが) ほとんどの偉大な指揮者は自分の味付けをしているわけですよね。というか全員でしょうか。不思議な世界に感じます。 お返事ありがとうございました。
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お礼
お返事ありがとうございます。 アマゾンみました!レビューがとてもおもしろかったです。みなさん凄かったです。こんなに書かれたたら聴いてみたくなりますね!しかも一枚では済みそうにありませんから、お金もかかりますね! ブラームスは小澤征爾指揮のを聴きました。かっこいいですね。音楽の父といわれるバッハは未だどんな曲があるのかすら知りませんので是非聴いてみたいと思っています。 この度はご親切にしていただきましてありがとうございました。