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プロレスのJr.八冠統一チャンピオン、成立と解散の経緯は
お尋ねします。 5年以上前に、プロレス界のJr.のベルト8本を一同に集め、統一チャンピオンが作られた時期がありましたよね(スーパーJカップの優勝者?)。 しかし、今では別れて、IWGPなどは単独で防衛戦をしています。 Jr.八冠統一は、誰の提唱で実現し、どのような経緯で実現し、誰がチャンピオンとなり、なぜ分散してしまったのか、教えてください。 宜しくお願い致します。
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プロレスカフェ:総合掲示板バックナンバー http://www.ibjcafe.com/talk/wrestl/index.htm 新日本プロレス黙認ホームページ:新日情報バックナンバー http://www.tomozo.com/NJPW/index.html こちらの投稿/記事を参考にし、わかる範囲で箇条書きにしてみますと、 ・第1回SUPER J CUP('94/04/16)から2年後、ジュニア8大タイトルマッチTHE SKYDIVING-J('96/06/17:内訳シングル*7/タッグ*1)が開催される。 ・上記大会の全試合終了後、獣神サンダー・ライガーが中心となって統一選を行おうという話になり、全参加選手が承諾する。 ・同年08/02-05にかけて、ジュニア8冠統一トーナメントJ-CROWNが開催され、優勝したザ・グレート・サスケが初代8冠統一チャンピオンとなる。 ・その後ウルティモ・ドラゴン→ライガーへと8冠ベルトが移動する。 ・ライガーが安良岡裕二の要求を受け、8冠の内WARインタージュニア“のみ”をかけて対戦し破れる('97/06/06:WAR後楽園大会)。以降8冠から7冠へ。 ・7冠ベルトはエル・サムライ→大谷晋二郎へと移動 ・TAKAみちのく(当時みちのくプロレス)がWWF(現WWE)に移籍する際に、WWF側がWWFジュニアヘビー及びライトヘビーの返還を要請し、みちプロ側が応じる。その後、みちプロと新日が交渉へ。 ・'97/11/05:IWGPジュニアを除く6冠を管理する団体に返還する。この時点でジュニア統一王座は解体へ。 と言ったのが大まかな流れになると思います。まぁ、WARインターやWWFは表に出てきましたが、水面下ではそれ以上の諸問題が起きていたかもしれません。
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- otori-keisuke
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初代チャンピオンは確か、ザ・グレート・サスケだったかなあ?いやっ、ウルティモ・ドラゴンだったかなあ?はっきり覚えていません。 まだその頃、今のように他団体との交流戦が活発に行われておらず、獣心サンダー・ライガーが中心になってジュニアレスラーの他団体との交流戦ということで、スーパージュニアカップが始まったと記憶しています。 その延長戦上で、IWGP等のジュニアのベルトを持つ8選手がトーナメントで真のチャンピオンを決めるとのことで、8本のベルトが賭けられました。 何回か8本のベルトをかけた、防衛戦が行われましたが、ベルトの中にNWAとWWF関係のベルトがあり、同時にタイトルマッチを行うことを許可しないという、裁定があり、その後ばらばらになったように記憶しています。 今から、考えるとチャンピオンが一人ということは、ベルトをかけたタイトルマッチが組めないので、興行的に成り立たなかったので、自然に解消されたのではないかと思います。