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「歴史小説」とは?
こんにちは、よろしくお願いします。 「私は、歴史小説が好きです」と人には言うんですけど、「歴史小説とは何か?」と聞かれると、答えられないんですよね。 私は、歴史小説というものは、ノンフィクション的に、調査に基づいて分かった間違いのない史実のみを記録するものだと最初は思っていたけど、そうでもないですよね。 というのが、歴史小説の中には、 1.作者が調査したことから分かった事実 2.作者が調査したことから推測したこと 3.作者が推測したこと などが書いてあると思うんですけど、2、3について、推測は推測として書いてあるときと、断定して書いてあるときがありますよね。 調査に基づく事実と、完全な推測が全く同じ口調で書かれていたりすると、ちょっと変な気がします。 歴史小説というのは、ノンフィクションと創作の混じったもの、として捉えたらいいのでしょうか?
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ほとんど日本の近代文学出発の時期からつづいている論争で、極端に分類すると(1)歴史的事実や資料を無視するなら歴史小説ではない、という説と、(2)過去の時代を舞台にしていればそれで歴史小説である(嘘可)、という説、さらに両者の中間的な説があり、入り乱れていて結論はありません。もっとも古くは、たぶん鴎外が「歴史そのまま」と「歴史ばなれ」を問題しにた文章で、このとき鴎外自身が前者をよしとする態度を取ったので、長らく(1)が優勢だった歴史があります。戦後には大岡昇平の『蒼い狼』論争という有名な論争があり、これも(1)の立場から井上靖を批判したものです。また、歴史を舞台とする小説を、時代小説(伝奇小説)と歴史小説(大河小説)に分類して、交通整理をはかる方法もありますが、両者の区分けがあまりに近似しているためにかならずしもうまくいっていません。 しかし根本的に小説は嘘を書いて楽しませるものであり、また時代考証を厳密に行うと「完全な歴史小説」はぜったいに書けないことになります。宮本武蔵が「~であるぞ」などとしゃべるわけはありませんし、「西郷は『……』といった」という『……』の部分が一字一句助詞のつかいかたまで歴史上の事実であるかといわれると必ずしもそうではないわけです。 大まかに歴史というものを題材にしつつ、そのうえでフィクションを構築するという意味で、歴史と歴史小説の関係は、モデルと絵の関係に還元できるのではないでしょうか。モデルにした以上、似ているのは事実だが、本物と違うといって騒ぐのは小説の本筋を理解できていない証拠だと思います。このモデルには鼻の頭にほくろがあるじゃないか! と絵を非難する声に対して、画家は「だってそれを描くと美しくないでしょう?」と答える権利がある。『竜馬がゆく』の剣術大会はすでにその史料が贋物であることがはっきりしており、フィクションなのですが、しかしあの描写はおそらくどんな歴史的事実よりも事実らしい。司馬遼太郎の書こうとする竜馬という男がよく伝わってきます。つまり、小説は真実を書くものではなく、真実らしいことを書く文学であり、真実らしくありさえすればどんな嘘でもゆるされるのではないでしょうか。山田風太郎などは推測につぐ推測で小説を書いていますが、たとえば『警視庁草紙』はいかなる明治の歴史書よりも「明治らしい」雰囲気が伝わってくる。そのことが大事なのだと思います。 歴史と歴史小説との関係について正しい文句のつけかたがあるとすれば、「そういうふうに書くと、たとえ歴史的事実でも、事実らしくないじゃないか。もっと生き生きと書け」ということになるのではないでしょうか。 むろん、こうした考えかたに反対の人も多いと思いますが、歴史書と歴史小説が文学形式として違う所以を認識しておくことは必要ではないかと思います。
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- men-environment
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井伏鱒二の盗作癖は有名なので、彼の歴史小説はノンフィクションにかなり近いと思います。
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遅くなってすいません、ありがとうございました。
- konstellation
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おはようございます あれ、もうたくさん回答者がいらっしゃいますね・・・ でも、一応回答しますね。 この場合、おそらく「歴史」の概念が問題なのだと思います。 なので、まったく周知のことを書いているかもしれませんが、 「歴史」の方向から少し考えてみますね。 学校の歴史の授業では、歴史は事実として教えられ、 歴史を記述する人の主観が入っているなどということは 教えられませんが、 歴史あるいは哲学に関する本を読みますと、 むしろ、「歴史は物語りである」という見方の方が普通に思われてきます。 学校教育では、テストで一つの事実として答えさせるため、 もし先生が歴史はフィクションですなどと言いますと、 「それじゃぁ、こっちも正解かもしれないでしょ」などと 言われ、収拾がつかなくなるのかもしれません・・・ たとえば、ある遺跡発掘が捏造されたものであっても、 歴史の教科書に事実として記載されますと、 それが正しいとされるのはしかたないことなんですよね。 そこでご紹介したいのが、 野家 啓一 『物語の哲学』 岩波現代文庫 2005年 です。 インターネットでも、こういうことが書かれているとは思いますが、 歴史小説がお好きということですので、 たとえばこの本の第三章の「物語としての歴史」 など読まれても面白いのではないかと思います。 ヨーロッパ系の言語では、「歴史」と「物語」とはギリシア語の「ヒストリア」に由来する同根の語に他ならない。(176ページ) 英語では"history"と"story"というように、少し違う形になりましたが、 「フランス語やスペイン語やイタリア語では今でも両者に同じ語が当てられている」(176ページ)のです。ちなみに、ドイツ語でも、"Geschichite"が「歴史」と「物語」の両者を意味します。 したがいまして、 歴史小説だけでなく、歴史自体がすでに、 記述者の主観が入った物語なのだと思います。
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- ZeroFight
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森鴎外の〈歴史小説論争〉みたいな、大袈裟な問題提起ですね。 歴史小説に事実を求めてはいけません。あくまで、歴史〈小説〉なんですから。 3の場合を上げていますが、4として、〈話を面白くするために、事実をねじ曲げること〉が非常に多いです。 司馬遼太郎は、重なる時代を描いた作品が多いので、作品によって、同じ事件がまったく違った風に描かれ、辻褄が合わないことがよくあります。坂本竜馬が主人公なら、竜馬をかっこよく見せるような解釈を取り、新撰組が主人公なら、新撰組をかっこよく見せるような解釈を取ります。他の作家も、似たようなことをやっています。 事実が知りたいなら、歴史小説ではなく、歴史書を読みましょう。
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ありがとうございました。今後とも、よろしくお願いいたします。
- ABAsan
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まず、歴史「小説」ですので、基本はフィクションです。事実のみを書いたものならば、それは歴史ノンフィクションであり、歴史小説とは呼ばれないでしょう。 具体的に何が歴史小説かという明確な定義はありません。一般的には過去を舞台にしたフィクションのうち、主に史実を題材にしたものが歴史小説と呼ばれることが多いようです。あくまで題材が史実なのであり、書かれていることが史実というわけではありません。その作品が論文でもノンフィクションでもなく、小説であるならば、書かれたことが事実かどうかなど、はっきり言ってしまえばどうでもいいことです。 作家によっては史実を忠実に書こうというスタンスの人もいるでしょうが、現実問題として、歴史上の人物などが何をしたという事は、歴史上の一点でのピンポイント的にしかわからないわけで、その点と点をつなぐ部分で何をした、何を話した、何を考えたなどは現在では知るよしもなく、それらは全て作家の頭の中からひねり出されます。 ですから、歴史小説に書かれていることの大部分は、結局の所、フィクションでしかありません。もしも、間違いのない史実のみを書いたのならば、その作品は登場人物の会話や心理描写などが全くと言っていいほど存在しない作品になってしまうでしょうね。
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- mn214
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>歴史小説というのは、ノンフィクションと創作の混じったもの、として捉えたらいいのでしょうか? はい、その通りだと思います。 作者がどれだけ歴史に忠実に再現しようとしても第三者の立場に立った客観的な資料などどこにも残っていないと思います。 現在では映像や録音テープや写真等々の資料がたくさん残せますので、後世の人がたくさんの資料を用いて現在の時代を考証することがある程度は可能かと思いますが、昔の資料はそういったものがほとんど無い筈です。 歴史家は現存する古文書等を元に考証するのだと思いますが、歴史はいつも勝者の論理で歪められて伝わるものです。 例えば、徳川家に伝わるものは徳川家、特に家康が正しくて家康が滅ぼした豊臣家が間違っていたという考え方になります。 勝者は敗者の非を宣伝し敗者側に有利な物証等はことごとく廃棄されるものです。 また、ある程度の史実が把握できたとしても人物の会話などの細かな部分は残っている筈もないので、作家が勝手に作り上げていくのが歴史小説です。 例えば宮本武蔵の物語に登場する“お通さん”も吉川栄治の創作した人物ですし、赤穂浪士の討ち入り事件自体は事実のようですが、そこに至るまでの話はほとんど創作された物語のようです。 もし、事実として判明していることだけで小説を書いたら、あっという間に終わってしまい、また全くつまらない内容の記録ということになってしまうのではないでしょうか。 歴史小説はあくまでも小説(創作)と考えるべきかと思います。
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ありがとうございました。今後とも、よろしくお願いいたします。
- DIGAMMA
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こんにちは、 小生も歴史小説好きなので、(といいますか、御質問を拝読して、改めて考えさせられました次第で)回答します。 歴史は古きなればなるほど、真実を特定する資料が極端に少なくなります。源平合戦も関が原も実際に起きたのは100%事実でしょうが、詳細になればなるほど不明です。 思うに、歴史小説作家とは、断片的な史実と史実の隙間を天性の想像力で埋めることができる人を指すのではないでしょうか。そして、その人達の作品が、「歴史小説」だと思います。 ですから「ノンフィクションと創作」というよりも 「史実と想像」のほうが近いような気がします。 御参考になれば幸いです。
お礼
ありがとうございました。今後とも、よろしくお願いいたします。
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