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日本の社会秩序の歴史

ツバを道に吐く人、歩きタバコをする人、ポイ捨てする人、地べたに座る人、電車で携帯電話でしゃべる人、あげていけば数えきれないくらいの毎日どこかで見ているこの光景。 こういった法にふれないような行為の移り変わりや、日本の社会秩序の変貌など歴史的知識が欲しいです。

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回答No.2

社会学的な視点から一言。 そのような時よく俎上にあがるのが、現代社会の抱える病理構造といったものではないでしょうか。 ベネディクトが日本を「恥の文化」といったことは有名ですが、現代社会においては「恥」をかく対象がいなくなった(見えにくくなった)という感覚が、 特に若者を中心に広まった気がします。 社会学者の宮台真司さんはそのような心理現象を、 「ダチ以外の人間はみな背景」と言っていますね。 現代人の8割以上は都市に住んでいますが、 都市に住む人間にとって、 「隣人は顔の見えない他人」に過ぎません。 電車や駅、街中といったパブリックな空間では、 人がいすぎることで、逆にあたかも周囲には誰もいないような感覚を持たせます。 社会秩序の歴史的変貌という観点で見れば、 やはりベネディクトの『菊と刀』が面白いと思いますね。 西洋的な倫理感ではなく、 他者からの目を気にする道徳感ベースの社会秩序が、 近代以前の日本にはありました。 それが近代化、都市化とともに薄れ、 流動的で多様性に富んだ社会になった結果、 他人の目を気にして生きる必要はなくなりました。 電車で化粧しようが、地べたに座り込んでだべろうが、 他人は「背景」でしかないのでまったく気になりません。 昔なら、「世間に顔向けできない」なんてよく言われたものですが、 今の日本にはもはや「世間」など存在しないのだから当然です。

mindseye
質問者

お礼

社会学的な意見は僕の中では考えられない事なのですごく勉強になりました。ありがとうございます。 確かに恥というものの薄れは、昔に比べたらすごく減っているような気がします。テレビなどの影響とかもあるんでしょうね・・・。

  • SCNK
  • ベストアンサー率18% (514/2762)
回答No.1

唾を吐く、地べたに座るというのは昔は普通のことではなかったでしょうか。おそらく文明開化の中で西欧化を進める上で解消されていったのでしょう。立ち小便どころか女性がしゃがんで普通に小便していたそうですよ。 ぽい捨ては、物が豊になってからのことでしょう。少なくとも昭和40年代以降のことではないでしょうか。ただ果物の皮などは昔からぽい捨てが普通だったのではないでしょうか。 電車内の携帯電話は、平成8年以降のことでしょう。それまでは加入料金が高く、一般的ではなかったからです。

mindseye
質問者

お礼

返答ありがとうございました^^ 参考にさせてもらいます。 これらの内容を生かしてモラルに対してのホームページを制作したいと思います。

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