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立て続けに起こる少年犯罪。
ニュースを見ていると、毎日のように中高生の事件が多発しています。数年前の17歳事件を思い出しますが、どうしてこんなに連続して少年事件が起こるのでしょうか。。 そして、私はどの子も似たような共通性を感じます。社会性がなく友達もあまりいない、ゲームやネットをやっている。などなど・・ そして親、友達への不満を溜め込み、最後に爆発して殺そうとするという極端な行動・・・。どうして彼らはぶつける、話し合うという直接的に相手と向かい合う事はせず、いきなり最終手段へともっていってしまうのでしょうか? 前まではいじめによる自殺が問題になっていましたが、最近では違ってきているようです。いじめられたら死にたいと思うより、それを恨み相手に殺意を抱くといった方向へいっているようです。 このような変化は、やはりテレビでいわれている通り、暴力的なテレビゲームなどが影響しているのでしょうか??
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立て続けに起こってるんじゃなくて、立て続けに報道されるようになっただけです。 現在では「ヤンキー型ニート」なんて呼ばれたりしますが、社会に適合できずに暴力行為を繰り返す青少年の存在は古来からおり、常に一定割合で確率論的に登場することが知られています。 ゲームなどのメディアのせいにする意向も見受けられますが、この「最新のメディアに責任を押し付ける」意向そのものも、昔から繰り返されてきたことです。 さて、彼らがなぜ犯罪に走るか、という主題に関してですが、俺としては「優しさが足りないから」ではないかと考えています。 最近子供が生まれまして、子育てに関して頭の中で考えることが多くなったのですが、このところ「優しい」と「優柔不断」は紙一重と思うようになりました。 甘やかされて育った子は、「生意気なガキ」にはなりません。「心優しいけど、裏の世界に触れられない弱い子」になるんです。(あくまで確率論ですけどね) 逆に厳しく育てられた子は「誇り高い威厳のある人物」になると思われていますが、これは裏を返せば「威張りくさった嫌な奴」と全く同義です。 人間は往々にして、ある人物から優しくされないと、「その人物には優しくしなくてもいいのだ」と思う傾向にあります。 これと全く同じで、親に充分な愛情を注いでもらえなかった子は、「人に優しくすること」の意味すら分からなくなり、ADになったり優しくなれない子になったりします。 ですがそれは決してその子の全てではなく、『「平和的な手段を選べない乱暴者」というレッテルを貼った状態でしかその子を見て上げられない大人』から見た一側面にすぎないのです。 ゆえに、程度の問題ではありますが、子供はちょっと甘やかすくらいでちょうどいいんだと思います。 もちろん、叱るべきときにしっかりと怒鳴ることができるのなら。 それを充分にしてあげられなかったとき、その子は手加減知らずの不可解な行動に出るんじゃないかと思います。
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- junt
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1970年代、親殺し・子殺し、虐待が連日、ニュースをにぎわし、週刊誌・新聞・TVでは、専門家・識者達が『このような現象が多発するのは何故なのか?親の教育に問題があるのか。社会が悪いのか。それとも犯罪を犯した個人自身に問題があるのか。』ということが盛んに議論されました。それらは、大別すると、 (1)マスコミが騒ぐだけで、実は昔からあったことである。実数は増えていないとする説。 (2)社会環境に問題ありとするもの (3)個人的なモラルに責任を帰すもの しかし、この時、作家の立花隆氏が『この問題についてどの意見も何か釈然といない。例えて言えば、リンゴが木から落ちた理由を説明するのに、風が強かった、枝が腐っていた、リンゴが重かったといった因従ばかりを並べ立て、引力の存在という隠れた主因があることを考えてもみないに等しい気がする』と言って全く別のアプローチをとって説明を行っていたことが思い出されます。(ちょっと長くなりますが、大変面白いので我慢して読んでください) 本論に入る前に、マスコミが騒ぐだけで、昔からあったという説を駁しておきましょう。 だいたい、新聞編集者のニュース価値基準はそう簡単に昔から変わるものではありません。なるほど、子殺し、親殺し、若年者の犯罪は世界のあらゆるところで昔からポピュラーでした。 問題は、殺す理由と殺し方にあります。あらゆる犯罪について言えることですが、『了解可能の行為』と『了解不能の行為』があります。了解可能の犯罪とは、男に騙された女が男を刺したというケースの様に、普通の人がその行為を是認しないまでも、そこに至る心理的プロセスを理解して同情できるような犯罪をいいます 。 ニュース価値の尺度は、『犬が人を噛んでもニュースにならないが、人が犬を噛めばニュースになる』という言葉に端的に示されるように、できごとの了解可能性と逆比例の関係にあります。簡単に言えば、犯罪にも先進国型と後進国型があり、後進国型の犯罪は日本にも根強く残っています。こちらの方はことの成否は別にして、少なくとも悲しみと共に了解可能です。これに対して、先進国型の犯罪は、狂気の沙汰としか思えないケースで、まるで了解不能なのです。 生態学に『個体群生態学』という分野があります。言うなれば、生物の人口問題を研究する学問です。 あらゆる生物は人口調節をしています。もし、それをできないと大変なことになります。多くの植物・動物は、子孫を残す能力を持っています。魚のマンボウに至っては二億もの卵を産みます。それでも生物が各々の適当な人口を保っていられるのは、自然の巧みな人口調整メカニズムが働いてるからです。 そのメカニズムは、生物によって違いますが、大雑把に言って外因と内因とに分けられます。外因というのは、気候・温度などの自然環境、食物の量、天敵の量などです。内因というのは、増えた仲間同士の干渉によって起こる悪影響のことです。これは、生理的変化、異常行動などの形で現れてきます。 言わば、生物はみな爆発的繁殖力を持ちながら、四重、五重のタガがはめられることによって、適性生息密度を保っているわけです。 時々メカニズムが狂って、タガが一本か二本外れてしまうことがあります。すると、生物は爆発的に増え始めます。いわゆる大発生と言う現象です。しかし、それも長くは続きません。ある限度以上、生息密度が増え過ぎると、他のタガが強力に効いてきて、大量死が起こり、人口増加は止まるのです。 実例を挙げて分かり易く説明しましょう。 スカンジナビア地方にいるタビネズミは大発生すると、何キロも直線的に突っ走って、最後に海に飛び込んで全滅するので有名です。ネズミは何故狂ったか。それを知るために別の例を見ましょう。 アメリカの無人島に、1916年、4・5頭の日本鹿が放たれました。1956年には、三百頭に増えました。この時、鹿の密度は1エーカー当たり1頭。食料は充分で、奈良公園を考えれば、別に混み合っているほどではありません。しかし、野生の鹿にとっては、生息密度の極限状態だったのです。 突如、大量死が起きました。1958年、三ヶ月で半分以上の鹿が死にました。翌年も更に鹿が死に、結局、残り80頭になったところで安定したのです。別に病気が流行したわけでもなければ、、食料が不足したわけでもありません。死んだ鹿は外見上いずれも健康そうでした。 そこで、大量死した鹿と安定期の鹿を解剖して、徹底的に調べてみました。すると、最も顕著な違いは、副腎の重さであることが分かったのです。死んだ副腎の重さは肥大していて46%~80%も重くなっていたのです。 副腎というのは、人間にもあるホルモン器官で、成長・生殖・生命維持に重要な役割を果たしています。ストレスがかかると、副腎が肥大して、ホルモンをドンドン出し、全身の細胞活動を強めて、体を守ってくれます。しかし、それにも限度があり、強いストレスが長期に渡って続くと、ガックリいきます。 ネズミの場合はストレス過剰が異常行動として現れたのです。解剖してみると、やはり副腎が肥大していました。 ストレスというのは、人間(動物)がそれに対して肉体と精神の働きに調整を加えなければ適応できない全てのものをいいます。実例を挙げれば、暑さ・寒さ・傷・あらゆる病気・飢餓・飲食・有毒なもの全て・騒音・疲労・精神的疲労・神経に触るもの全て、といった具合で、いっそ人間を取り巻く物理的、生物的、精神的環境の変化全てと言ったほうがよいくらい範囲は広いのです。 ストレス学説が教えるところは、個体差はあっても、人間に耐え得るストレス総量には限度があるということです。限度が近づくと、肉体が狂うか、精神が狂うかし、それでもダメな時は死ねほかありません。寒さだけで死ぬのはなかなかですが、寒さに疲労と空腹と絶望が重なれば簡単に死にます。 さて、過密によるストレス過剰によって、動物にどんな異常行動が現れるかを示した面白い実験があります。 イギリスのカルフ-ンという学者が、ネズミをギリギリのストレスとなる過密状態に保ったまま、三世代に渡って飼育してみました。すると、まず性行動に異常が現れました。メス・オスの区別ができない同性愛が出たのです。未成熟のメスを犯したがる者も出ました。インポになった者もいます。変態も現れました。つまり、『生殖につながらないセックス』が増えたわけです。 次ぎにメス達の行動が異常になりました。特に母親ネズミの行動が狂ってきたのです。自分の子供を保育することも、保護することもできないメスが増えたのです。そのため、忘れ去られた子ネズミは、他のネズミに踏み殺されたり、食われたりしてしまいました。妊娠する割合が減り、流産率が高くなりました。生まれてくるネズミは、発育不良・先天性異常が多くなったのです。 そして、ネズミ同士の闘争が増え、弱い者は社会から脱落した状態になり、ネズミの社会は混乱状態となったのです。しかし、異常行動を起こすのは、弱い者が中心で、強者は相対的に正常を保つことができました。弱い者というのは、メスと、若いオス、特に子供達でした。 一般に、ストレス過剰になると、種族維持本能が衰えて、個体維持本能がもっぱらになります。若いオスでは、成長を押さえて生命を守ろうとするから弱い者が多くなるのです。 これは、人間でも認められています。大戦中、多くの捕虜収容所で、性ホルモン異常から中性化した症例が多数報告されています。陰毛が脱落し、乳房が膨らんだ男性もいました。女性は、無月経症が多発し、母親は乳汁の分泌が停止しました。 ここまでお読みになって、過密ネズミ社会の混乱と現在の世相を引き比べて、なにやらゾッとすると共に、それでも人間と動物とでは違うのでは、とお思いかもしれません。しかし、あらゆる生物を通じて存在する密度効果が人間にだけ現れないはずはありません。違いは、その発現の仕方でしょう。
お礼
確かになにかとストレスの多い時代ではありますよね。科学が進歩して便利な生活になるにつれ、人もおかしくなってしまったのでしょうか? 実際、私たちには元々理性というものがあり、人を殺してはいけないということは当たり前の事として頭の中にあります。 しかし、まるで雑草を抜くように人の命を軽く奪ってしまう人の心情は私は到底想像できそうにありません。同じ人間なのに、心を忘れてしまった違う生き物のようです・・・。
ほかのご回答でも触れられているとおり、「少年犯罪の急増」はマスコミの過剰報道によるところが大きいと思われます。 新聞やテレビで紹介される検挙率グラフでは、たしかに少年犯罪が増えているように見えます。ですが、そこでおもに使われる資料は『警察白書』で、過去10年分の統計でしかありません。もっと長期的に見られる『犯罪白書』によると、昭和30~40年代に少年による凶悪犯罪が目立ちます(現在の2倍かそれ以上のレベルです)。 この統計のとおりなら、現在50~60歳代の人がもっとも「キレやすい」ということになります。当時、テレビゲームはなかったはずなのに‥‥。 このような過剰報道がなされる理由は、インターネットやゲーム文化など新鮮な問題点を指摘しやすいことと、新聞・ニュース利用者のメインである中高年層に「最近の若者は‥‥」と共感が得られやすいことが挙げられます。 そうしたほうが購読率や視聴率が上がって、新聞社やテレビ局はもうかるからです。 ところで「最近の若者は‥‥」という嘆きは、3000年前のヒエログリフや、1200年前の法隆寺の落書き、江戸時代の川柳・日記などにも見られるとか。現在60歳代くらいになる戦後すぐの若者だって、無責任・無秩序だということで「アプレゲール」と呼ばれていました。この繰り返しは永遠に続きそうです。
お礼
何だか不思議ですね。私たちの世代も中年に入れば、最近の若者は・・とか私たちの若いころはこんなんじゃなかった・・とか言い出してしまうんですかね。 とにかく皆さんの意見を聞かせて頂いて、事件の原因をターゲットにしやすいエンタテインメントに押し付けしまっているようですね。 深刻な事件は今後の再発防止にするためにも、本当の問題点を追求しなければいけませんね。 視聴率のための偽りの情報を流すため、ネットやゲームに責任転換していてはいつまでたっても進歩のない気がします。
- futta_k
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ほんとメディアの怠慢さ無責任さには腹が立ちます。 アニメ、ゲーム、ネットが影響で犯罪が起こる と言う報道は都合の良い攻撃対象だからだと思います。 モヤモヤした不安や怒りを向けやすい解りやすい対象ですよね? そして本質からは目をそらしてしまうのでしょうね。 ほんとにやるせないです。
お礼
一人一人不満を持つ所は別でしょうが、それが原因として明らかにはされていませんよね。 ただ、一人でパソコン、テレビに向かう事によって他人とのコミュニケーションを取る事が少なくなってしまうことはあるのかなと思いました。
- jakarta
- ベストアンサー率38% (607/1597)
>どうしてこんなに連続して少年事件が起こるのでしょうか。。 少年犯罪にニュース性があるから報道されやすく、目につきやすいといえます。例えば児童虐待がおこる一方で老人への虐待もあります。 >やはりテレビでいわれている通り、暴力的なテレビゲームなどが影響しているのでしょうか?? よくいわれますが、心理学的な実証に乏しいと思います。ゲーム脳との関連も一つの分析にしかすぎないと思います。
お礼
ありがとうございます!やはり、事件をおおげさにして注目を集めさせているだけということでしょうか。 私たちの見えない部分というのは沢山あるのですね。きっかけをゲームのせいにして完全に責任を押し付けるのもいけませんね。
- ojisan_ojisan
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No4です。 >「犯行予告をネットで書き込んだり、友達に親の殺害計画をほのめかしたりとしている」 本当に、予告をしていたりするのでしょうか? 最近の報道を聞いていると、実はそこも疑問なんです。 「親を殺したい、と友達に言っていた」 という文字を聞くと尋常じゃない印象を受けますけれども、思春期の少年が五月蝿く何かを言ってくる親に対して、「五月蝿いな~。いなくなっちゃえば良いのに」なんて友達と冗談半分で話をしているのはそんなにおかしいでしょうか? 言葉遣いが悪い、と言えば確かにそうですけれども、そういうちょっとした発言が必要以上に大げさに扱われていることが多いような気がするのですが。 「ネットで予告とも取れる書き込み」 などというものは、余計にそう。最近は、少年事件などの犯人がHPなどを作っていると、そこに書かれた部分の一部を引用していますけれども、私はかなり懐疑的にそれを見ています。 HPなどは、「他人に見せる」ことが前提となっているものです。いくら「日記」と言っても、他人に見せる以上は大げさにしたり、脚色を交えるものです。そういうものを見て「現実と仮想の区別がついていなかったのだろう」などという人を見かけますが、私に言わせれば、そっちこそ「現実と仮想の区別がついていない」ように思えてなりません。 よく当たる予言者の、予言のコツは何だか知っているでしょうか? 答えは、何とでも取れるような内容をたくさん書き連ねておく、ということです。 そうすれば、後で何かが起こったときには、その予言書を読んで「この言葉は、これを指しているに違いない。こっちの言葉は、きっとこういう事だったんだ」と、相手が勝手に解釈してくれます。「犯行を仄めかす」であるとか、「HPに予告」なんて言われているものは、それと同じ事のように思えてなりません。
お礼
やはりそれもメディアによる脚色効果だったということですか・・。何だか大きな事件なのに、興味をひかせるためのおおげさな情報だと思うと悲しいですね。 昨日の明徳義塾の子のホームぺ-ジは見れるのですかね・・・?
こんにちわ! 確かに今は年々信じ難い事件や事故が起きますね~ 私が思うには犯罪にならない罪の意識のない範囲で、 マナー違反や迷惑行為モラルの低下など、 相手に対する思いやり気配りなどが 今の日常生活の社会であまりに欠けている気がします。 駅前の放置自転車(車イスの人や目の不自由な人が通行出来ない) 商店街アーケード内人混みでベルを鳴らし走る自転車 同じく日傘を挿してまま通行してる自転車 信号無視する自動車 一方通行を逆走する自動車 一時停止の交差点でもまるで止まる気配の無い自動車 たばこのポイ捨て 弁当ガラ、カップラーメンのがら、空き缶、ペットボトル ポイ捨て ペットの糞をそのまま放置してる飼い主 こういった行為が何の罪の意識もなく、 当たり前のように日常生活の中で起こってます。 それに今は小学生1~2年に児童に対して 目の前に倒れてる人が居ても危ないので助けないように という教え方をしているそうです。 それは子供の誘拐や連れ去り事件が頻繁に起きたから だそうですが、 そういう環境で育っている今の子供達が 相手に対する思いやりがなくなったり 迷惑を考えなくなるのも ある意味自然だという気持ちがしますが。
お礼
確かに知らない大人には心を許すなと子供には教えざるをえませんね・・・このご時勢ですから。 身近な所での最低限のマナーは大人から守っていかないといけませんね。でないと子供に胸をはって教えられないですもんね。
- earnest
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40代男性です。 たしかに嫌な事件ばかり起こりますね。 でも、それは少年ばかりでしょうか? 犯罪を年齢別に分けると自転車泥棒とかはたしかに10代の若者に多いかもしれません。 統計を見たわけではありませんが、新聞などで見る限り殺人事件や傷害事件などは30代、40代に多いような気がしてしまいます。 その世代の人達がテレビゲームの影響で殺人をしたとも思えません。 社会性がない人はどの世代にもいるのではないでしょうか? 数年前17歳の事件が世間を騒がせましたが、統計をとれば犯罪者が多かったのは38歳だったかもしれないし44歳だったかもしれない。 犯罪を犯したごく一部の少年のせいで少年達全体が危ないと思われるのも真面目な少年にはかわいそうなことだと思います。
お礼
そうですね・・たしかに年齢に関係なく犯行を犯してしまう人はいますね。 やはり年齢が若く残忍な犯行、または場所が学校でなど私たちが関心を引きそうな話題で世の中がクローズアップされているのかもしれませんよね。
- 04taka
- ベストアンサー率28% (277/958)
こんばんは。痛ましい事件が多いですね。 私がこうした事件に際して推測するのは、”自分の存在や存在意義を(強い言葉を使うと)否定されたように感じた時、殺人に走るケースが増えたのかな?”という事です。 これは、多分人間関係の方向性が少ない為の経験不足が影響しているのではないかと思います。 変な話、私が子供の頃は、別に悪い事をしてないのに、悪い事をしていると思われただけで見知らぬ大人に叩かれたり説教されたりしていました。(田舎なもので) 私にもその傾向があります。(もちろん、見ず知らずの人にはしませんが。) また、友人、親戚、親、先輩、後輩そうした縦、横、上、下、斜めの人間関係を経験すると、必ず自分が常時上位に立てるはずもなく、苦渋を舐めたり、傷ついたり、絶望したりする事があると思います。幼少時からこうした経験を踏まえていく事で、他人との距離感、自分自身の自我や立ち位置といったものが形成されていくのだと思います。 そうした経験がなく、いきなり学校に入って集団生活や部活、バイト等を行うと、適応出来る人が殆んどなのですが、やはり経験がない為、自分が低く見られたり、傷つけられたりした場合の代謝行動が、”その存在を消去する”以外に考えられないのかな?と思っています。 確かにゲームとかPCとかAVとか言われてますが、それは単に増幅装置でしかないと思っています。だって、それすべて私持っていますが、別にこれまで警察のご厄介になった事もないですし、変な話殴り合いの喧嘩なんて、子供の頃しかないですしね。 問題の根源にあるのは、日本社会が歪んでいるから、コミュニティーが機能しない、大人になってないのに(成人には十分な年齢になっても)子供を生んでしまい、結婚している親の存在を生んでしまっている。(こういう人は、親である前に自分であるという考え方なので、結婚して何年経っても不倫したりしています。これはファッションでもなんでもなく、幼さの象徴です。) しかも、子供の発達、成長に関してまったく分かってない人達が作ったシステム(週休2日制→制度が悪いのではなく、それを生かすソフト面の構築無しに見切り発車してしまい、子供は放置され、学力低下だけ招いている。)(子供に声をかける事が法律で規制されてきだしている→異常者を社会で監視するシステムが必要で、その為にはコミュニティーがしっかり機能している事が原則だが、その基本である挨拶を法律で規制していっては、本末転倒でしかなく、さらに心の闇を持った子を気づかず放置してしまう事になる。) いじめを苦に自殺するのより、相手を殺すという事例が最近ニュースで何件か出ていましたが、無闇に命の無くならない社会って出来ないものなのですかね? 何のためのゆとり教育なのか。世界が100人の~とか、ピュリッツア賞の写真とそのお話や、フェアトレード等のお話をするだけで、簡単に子供達の中で優しい、そして暖かい心が芽生える(それを感じる)と思うのですが。
お礼
この時代で子供を育てるということが、大変なことなんだなと思いました。どんな微妙な変化でも読み取ってあげなければいけませんね。 私もゲームはちょこちょこしますが、はまりすぎて現実と混合することはありません。(笑)ゲームはゲームだと割り切って遊ぶからです。 普通の人はそうなんでしょうが、それがエスカレートして?か本当に幼児などに性犯罪を犯してしまう人は感覚がもう麻痺してしまっているのでは。。と思います。
- noarin
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いろんな原因があるかと思いますが、 個人的にはその中のいくつかは、その少年に何かしらの 発達障碍があったのでは、と勝手に推測しています。 多分、これは診断名がつくかなぁ、と思っていたものには ついた場合もありました。が、そういう発達障碍を持つ人=犯罪者、 と誤解される場合もあるので、診断などに対して慎重になってきた ように思います。 以前、ある事件の加害者の少年が「人を殺してみたかった」ということを 発言し、その後、とある障碍の診断が下りました。その障碍=上記の発言を 思っている、という誤解が生じていました。ただ、その障碍のことに ついて、簡単ですが勉強した私としては、とてもその発言=その障碍には 戸惑いを覚えていました。ある勉強会で専門家の方から、この発言で 診断がされたわけではない、と聞き、その方が個人的に思う発言は これです、と話されたことには(素人ですが)納得できました。 あくまで、私の個人的意見です。
お礼
精神的な病気のことですか?それは環境的なものが影響してくるものなんでしょうか。 これは考えたことがありませんでした!
- ojisan_ojisan
- ベストアンサー率28% (52/183)
事件が起こっているのではなくて、報道されているだけです。一昔は「危険な17歳」だし、今回は「危険な15歳」でしょうか? これらは、そういう共通項があった方が報道として面白いからです。 「社会性が無く、友達も少なく、ネットやゲーム…」などと言いますが、それに該当する生徒は、今の日本にどれだけいるでしょうか? だから、「うちの子も危険」ではなくて、それだけ大きな分母があるのだから事件を起こすような子どもがいるのも当たり前なのです。ちなみに、これは当たり前ですが、少年犯罪の殆どは、近所から「札付きの悪」などと呼ばれているような少年によって起こされるものです。ただ、そういう人物が事件を起こしても、面白くないから報道されないだけです。 また、ゲームやネットなど…という話に関して、だから「ゲームは規制だ」「ネットは規制だ」と言う意見がありますが、これも愚かな話です。ゲームがあるから、外で遊ばないのではなくて、外で遊べないからゲームなどをするのです。 都市部の殆どの公園ではボール遊びなどは禁止さていて、外で遊ぶことそのものができません。反対に地方では過疎化などによって遊ぼうにも友達そのものがいなくなってしまっています。 もしゲームやPCが無かったとしても、外で遊ぶことなどが出来ないわけです。仮にゲームなどを規制したとしても、それで良くなることはないですし、むしろガス抜きを失って凶悪化する可能性すらあります。 暴力的なゲームの影響、ということですが、これに関しても様々な意見があります。 暴力的なゲームをやることによってガス抜き効果がある、という研究もあれば、暴力的になる、という研究もあります。私見ではありますが、私はどちらも正しいのではないかと思います。つまり、暴力的になる人もいれば、反対になる人もいる。また、こういう部分では暴力的になるかもしれないが、別の部分では暴力性が削がれる…など。 ちなみに、私は「親の愛が足りない」「地域コミュニケーションが希薄だから」のような意見は一切信用していません。 勿論、それらが少な過ぎることによって起きる犯罪もあるでしょうが、濃密過ぎるのもやはり良い影響はありません。しかも、その境界線は、各家族、各人によって大きく異なるものです。そのようなことを断言する専門家(?)はどうかと考えています。逆に、そういうので「こうでなければならない」のような決め付けが、反対に問題を引き起こす危険性さえあるのではないかと思います。 日本の少年犯罪は、戦後、一貫して減少を続けています。よって、何もする必要が無い、というのが正直なところでしょうか。
お礼
そうなんですか・・・テレビも視聴率のため、視聴者の関心をひくため話題を提供しているんですね。 しかし、犯行予告をネットで書き込んだり、友達に親の殺害計画をほのめかしたりとしているのに、まわりがそのサインを読みきれなかったのかと思うと残念です。
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お礼
親とのコミュニケーションが大事。。。それはとても同感です! 少年達は人を殺すことへのためらいが、なくなってきているように私は感じます。 この前、大学生がたった6000円弱を奪って人を殺したというのも、命への重みがないのかなぁと思ってしまいます。