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裁判員制度
こんど、裁判員制度についてディベートをすることになりましたが、どこから議論を始めたら良いのか、まとまりません。。 現在の案としては、「国民の義務」という観点から、「裁判員制度」をどうとらえるか?重いか、軽いか?みたいなことを考えているのですが、どう思いますか?何か、別の観点はあるでしょうか?
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裁判員制度を国家が採用した理由というか、歴史的に「陪審員制度みたいなのいいね、そろそろうちでもやろっか」という瞬間があるとして、その始発点の辺りのことを朝まで討論するのもいい感じですかね。 国民向けにニュースで言っている内容と違って、お国には腹があるので、本当の理由を探ってみて、その辺りでこの制度が良いのんか?悪いのんか?を別の観点として朝まで討論するのもいい感じですかね。
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- nep0707
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ディベートというからには、 肯定否定双方からの立論が必要になるわけですよね。 肯定派の立論としては、 ・一定の事件における判決への国民の意思の反映 ・国民の司法意識の向上 ・米国、英国、独国などにおける裁判の現状 否定派の立論としては、 ・憲法73条に定められた司法権独立との問題 ・憲法18条にある「意に反する苦役」との関係 ・裁判員が負う責任の重さ(たとえば守秘義務) ・裁判員が判決を出すためのバックグラウンド(たとえば法律知識) くらいをキーワードに資料を集めることが最初の一歩かと…。 そして、当然、それぞれの立論に対する反対側からの反論。
- sihourouninn
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「国民の義務」という観点から見た場合、仕事があっても拒否できませんから、重たい負担だともいえそうです。 しかし、なにも素人の国民に、今の裁判官のような判断をしろと言っているわけではありません。 まじめに話を聞いて、自分なりに判断すればいいのですから、特別何か難しいことはありません。 裁判員制度の目的は、司法に対する国民の参加を可能にする点に意味があるのです。 また、国民主権の世の中なのですから、権力を行使するのは実は国民自身です。ということは、国家権力の1つの司法権も国民が責任を持って、コントロールするべきなのです。 以上から、たしかに「ぼーっ」とするよりは大変だけど、国民主権のもと当然の負担だと考えれば、重いとは思いません(軽いとも思いません)。
別の観点としてはやはり「素人が人を裁く重大さ」でしょうね。
お礼
そうですね。裁判官のほうから、ある程度の指導(?)のようなものがあるそうなのですが、最終的に決定するのは裁判員だし、裁判員がその責任に耐えられるかみたいなのもありそうですね。また、複数の裁判員の意見をどう調整していけばいいのでしょうか。。 この制度は、国民の義務が重いのでは、と私は感じています。