まったく参考にならないかもしれませんが、このご質問、なぜかずっと気になっています。
たぶん、難病なのがお友達ご自身ではなく、お友達としてはどうすることもできない他の体なんだけれど、とても愛おしくて責任のある我が子である、というところに、私も母親として何か感じたのだと思います。
我が子は幸い難病ではありませんが、乳児期に病院通いをしていたことがあり、今は不登校という、親としてはちょっと気がかりな状態です。また、数年前、お子さんが「長く生きられないかもしれない難病」というお母さんと付き合いがありました。
その経験から申しますと、おっしゃるように、人によるとは思うのですが、(1)話を聞いてもらうということと(2)気晴らしをさせてくれる、というのが悩みを抱えている身内としては助かるのではないかと思うのです。
私の場合、ことさら「大変だね」と大変さを強調する慰め方や、「きっと平気」という何の根拠もない「きっと」に対しては、心配してくれるのはとても嬉しいけれど、あまり明るくなれないな、と感じていました。それから、あくまでも私の場合ですが、自分が心配で仕方がないときに、まわりにも心配されると、ちょっぴり負担です。まわりの人たちには、でんと構えていてもらったほうが、心置きなく気持ちをぶつけられます。
逆に、意外にも慰めになったのは、子供もいないような、私の住む世界とは違うところにいる友人達が、何の感情も交えずに単純な好奇心で、いろいろなことを質問してくれたことです。それに対して私が「こういうふうに生活してるよ」とか「こういう専門家の意見を聞いたの」みたいなことを言う中で、知らず知らずのうちに、かなり気分を発散していたと思います。中には、私の答えを受けて、私とは違った視点から「それって、こういう良い兆候じゃない?」と言ってくれたり、「それが問題なら、こういう気晴らしにおいでよ」と言ってくれた友人もいて、それが事態の改善にもつながりました。
もちろん、人によりますので、ちょっと風を向けて、のってくるようだったら話を続ける、という感じでいいのではないでしょうか。
それから、明るい話題を「具体的に提供」してあげるのもいいと思います。「そういえば、この間食べた○○がおいしかったよ」とか「ところで、△△という番組はおもしろいよ」とか。そして、ご友人が親として素晴らしい点を見つけてあげて、そこを手短に伝えてあげると喜ばれると思います。
ご自分で共有できる感情や情報があれば、それもどんどんおっしゃっていいと思います。例えば、ご自分の悩みについて(ご友人の悩みと比較することなく明るく)話すとか、ご友人のお子さんの病気について情報があれば、それを伝えるとか。
思えば、例の難病の子を抱えていた私のママ友に対しても、私自身がそんなふうに接していたように思います。
また、「思わぬところで傷つけ」ていたら、そのご友人は、あなたとは話さないと思います。姿を見せて、話してくれている限り、あなたを頼りにしているのではないでしょうか。あなたの存在自体が助けになっているのかもしれません。
たぶんkyu2000さんは、こんなこと分かりきっていらしたでしょうが、親の立場から何かの参考になればと思って書いてみました。実際に難病を抱えていらっしゃるご家庭などから反論もあろうかと思いますが、私の後学のためにも歓迎いたします。
お礼
温かい言葉、経験談までありがとうございます。 少し気持ちの整理が出来ました。いくら経験がないからと言ってもあまり考えすぎず、心を込めて接していこうと思いました。傷つけてしまうかもと思っていたら何も言えないぎくしゃくした雰囲気になってしまいますよね。良く考えると私は子供が出来ないのですが友人は変に気を遣いすぎずに接してくれてます。親の気持ちは解らないからと気を遣いすぎていたかもしれません。 アドバイスうれしかったです。参考になりました。