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平家物語 巻第一で「宗徒の濫悪を致すは、魔閻の所業也。...」はどういう意味でしょう?
岩波文庫版の平家物語を読んでいてどうも納得しかねる箇所があります。 巻第一で、加賀の北面vs寺院の騒動が発展した「山門事件」のクライマックス、僧兵が左衛門督時代の平時忠を吊るし上げようとした場面で時忠が 「宗徒の濫悪を致すは、魔閻の所業也。明王の制止を加るは、善政の加護也」 と文書で説得し、それを読んだ僧兵が納得して引き上げていくくだりがあります。 ...なぜこんな話でエキサイトした僧兵が納得するのか?脚注を見てもさっぱり要領を得ません。 この時忠の説得内容の意味と、僧兵が納得した理由について教えてください。 (あのドラマは見ていないのですが..ひょっとしたら理解の助けになっていたかもしれないですね)
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参考URLの第一章 第四十四話「一門栄華(二十二)」の一番下辺りの場面ですね。 これの少し前に「大衆申す所御ばからひ有るべし」と後白河法皇が山門の大衆達の話を受け入れるところがあり、平時忠がその使者として比叡山に赴きます。 いきり立って興奮している僧兵達の中に一人で乗り込んでいってるわけですから(格好いい!)、時忠の度胸もなかなかだし、しかも僧兵達は一度撃退されている上に、神輿まで置いて逃げてますよね。 この辺りの状況も考えて、法皇が妥協しようとしているのならば、暴れる必要もないと冷静に判断できる僧兵の指揮官もいたのでしょう。 この前の場面で、僧兵達はせっかく都の弱い部分から攻め込んだのに、説得されてわざわざ強いところに攻め直しています。 こういうところからも僧兵達の考え方の一端がわかると思います。 それに、何といっても「やあやあ、我こそは・・・」の物語ですから、ここでは時忠を引き立たせるために、これぐらいのことは起こって当たり前でしょう。 今でもそうですが、宗教に権力を持たせるとろくなことをしませんね。 平家物語は普通に読むだけでも充分ですが、至る所で教養を試される上に(掛詞などの言葉遊びや歌など)、戦いあり、謀略や駆け引きあり、恋ありと楽しみが満載ですね。 また読み直してみたくなりました。
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- orkney
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質問の趣旨とは少しずれますが、 小林秀男が「平家物語の本文には冒頭の美文に惑わされるほどのシリアスな思想はない。」という旨のことを書いていたと思います。 これは平家物語批判ではなく、騒擾の時代に生まれた彼らの感情は自然児のそれであるという考え方から来ているようです。 例えば「生食の沙汰」のように、名馬拝領の問題で佐々木高綱を殺したいほど憎んだ梶原景季も、佐々木のとっさの一言で「ねったい。されば梶原も盗みしものを」と言ってあれほどの遺恨を忘れている。あまりにも単純な思考回路です。 つまり「平家物語」というオハナシの中の僧兵たちも、現実世界の人物のような「怒りを引きずる」タイプではなかったのでしょう。それに当時の人たちはすがすがしさを感じていたのではないでしょうか。 (小林秀男は個人的にはあまり好きではないのですが、「平家」論と中原中也関連の文章は好きなので、ついこの考え方に乗っかって答えてしまいました。)
お礼
お礼がおそくなりました。 これはまたミもフタも無い話ですね。 私には小林秀男は高校の頃授業でさんざん読まさせられて、ちょっと食わず嫌いになっているところがあります。 「平家」論ですか。これをきっかけに読んでみようかな。
お礼
お礼がおそくなりました。 教えていただいたリンクは判りやすくって良かったです。これは助かります。 吉川英治や手塚治虫などでは平家方のいいところはみんな清盛に持っていかれてしまい、 他の公達はいまいちキャラが立っていないキライがあります。 やっぱり平家の栄華がちゃんと書き込んであってこそ、その後の「滅び」も生きてくるのだと思います。 関係ありませんが、平家物語に良く出てくる「今様」は七五七五・・・ の形式であるため、同様の形式の 「大ちゃん数え歌」「あゝ人生に涙あり(TVドラマ:『水戸黄門』主題歌) 「どんぐりころころ」「魔女っ子メグちゃん」「六甲颪」など と歌詞・メロディーに相互に互換性があります。(豆知識)