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教科書について
私は今、教職をとっていて教科書改訂について調べています。 近年学力低下が叫ばれていますが、実際教育を受けている学生や、その保護者の方、教員の皆さんはこの教科書改訂をどのように見ていらっしゃいますか? それぞれの目線に立って、自分たちの使っていた教材と今の教材の違いや、 それに伴って現在の子供たちはどう変わっているのか ご意見を聞かせてください
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教科書改訂とそれにプラスして、システムが貧弱で学力低下を招いているような気はします。 たとえば、小学校では、基本的な読み書き計算の勉強が主ですが、特に国語の場合、低学年の教科書では「用い」と書いて「ようい(用意)」と読みます。これは、意の字が3年生(くらい)で習う字なので、掲載していないのですが「用い」を覚えたと思ったら、もうその知識は捨てなくてはならない、そういう無駄が一つの原因だと思います。 高校英語の教科書ですが、リーディングの教科書の文章の質、量ともにレベルダウンしているのは明白だと思います。私はクラウンを使っていますが、旧課程のものと新課程のものでは雲泥の差があります。 地歴理科でも、学習する部分には、切り取られた部分と関連付けて覚えなくてはならないことがたくさんあるような気がしてなりません。そういう機会が奪われているのだから、教科書改訂は学力低下という面から見れば相当痛手になっているのではないかと思います。 教科書改訂を別の面から見ると(上の質問によると学力低下と教科書改訂の見方に関して因果関係がないと思うので書きますが)、という問いですが、学力低下とはまったく別の面で、教科書の「国定教科書化」が進行しているように思います。 イラク戦争の記述をしたければ、日本の行動を「正当化」する文言でないと検定に合格しないだとかいうはなしも聴いたことありますし、竹島だって「領有権を争っている」を「不当に占拠している」に書き換えさせているわけですが、前者と解釈する執筆者もあっていいと思います。検定制度によって、教科書が変わるたびに、日本政府の都合のいいように、多方面から見据えなくてはならない問題が一つの焦点でしか見ていない、相当偏った教科書になっている気がします。 以上、高校3年。
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- pyon1956
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数学教師です。はっきりいって改訂すればするほど使い物にならなくなっています。今時、まともな数学教師で教科書どおり教えるなんてことはとてもできませ ん。 なにしろ現場の声なんてまともに反映させる気がないんです。 中教審の委員に出ておられた先生が雑誌に書いていましたが、文部科学省のお役人は「皆さんの意見はうかがいますが、あくまで決めるのは私たちの仕事」というスタンスなんだそうで。 大体高校までの数学なんて時代が変わっても大きく変化するような内容じゃありませんから、決定版の教科書を作って、それを選択的に使うやり方(この部分は 発展、とかこの部分はもっと練習したい人向き、やらなくてもいいけで一応のせておく、というような)ならずっと同じでもいいと思うんですが。 欧米の優れた教科書と比較して一長一短ならともかく、こちらのほうが優れている部分が全くないというのは悲しいです。 とにかく教科書だけで自習してわかるようになる、ということはありそうもない、それが今の数学の教科書です。 なので私学では自主教材を作って実際はほとんどそれで授業しているところも沢山あります。別に特色づくりでやっているんじゃなくて、現状の教科書があまり に「使えない」代物であるから、なんですが。
お礼
今後の研究の参考にさせて頂きます。本当にありがとうございました。
- goobest_2004
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私は、学力低下が教科書改訂にあるとは思っていません。 大人が子供にビジョンや夢を示せていないのが大きな原因です。 何か目指すべきものがないと、勉強する意味も分かりません。勉強する意味が分かれば誰だって、メリットがあると思えばやります。 芸能界に入るのに、勉強すれば入れるならば、誰だってやろうとすると思います。 昔は、勉強さえやればいい大学に入れて、いい仕事に就けました。それが今や必ずしもそうではないということを、子供も分かってます。 つまり、情報化社会で、逆に賢くなっているんだと思います。それに大人が追いついていません。 変わる社会構造の中で生き抜く術を、誰も示せていません。親は古い社会構造の中での生き方に固執します。 現実と親との板ばさみになった子供は迷い、歩みを止めている子もいると思います。 教科書改訂とは、次に来る社会を予想して、戦略的、先行投資的に行うべきものだと思っています。 古い知識よりも、これから子供が生きるのに必要な知識や考え方。未来の指標です。 教科書の先に何を見ているか、それが大事だと思います。 今の教科書改定は目的が間違っています。
お礼
goobest_2004さんの、教科書改訂とは、次に来る社会を予想して、戦略的、先行投資的に行うべきものだと思っています。ということばに考えさせられました。 教科書は未来の指標・・・。確かにそういう考え方も出来なくはないのかなと。今の教科書は確かにそういった面から見ると、内容が少なすぎますよね。 ありがとうございました。
- hard_drunkard
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たぶん世代的に最後の「詰め込み教科書」のものです。 中学の頃は数学の「計算尺」が削除されたました。移行措置とかで、削られたんです。 高校のときは「現代社会」を受けなかった最後の世代です。当時の社会科全科目(日本史・世界史・地理・倫理社会・政治経済)を履修しました。理科は物理・化学・地学を履修、生物だけ履修できませんでした。数学は、文系でしたが2年の三学期は当時の数?までやりました。 受験のことを考えれば、科目を選択して履修した方が有利だけれど、総合的な力はついたかな、と感じています。 いま教職に就いて感じているのは、教育とは総合力なんだなということです。専門の科目を指導するにしても、他の教科・科目の知識は必要だと思います。 私よりも下の世代は、社会科の教員でも(厳密に言えば、地理歴史科・公民科の教員ですが・・・)現代社会と世界史、現代社会と日本史しか学んでいない状況です。 さらに下だと、世界史と日本史は履修しているけれど、地理は履修していない(でも地理の授業をしなければならない)なんてことも起こっています。 高校側は「よかれ」と思って、科目を絞った教育課程を組んでいるのですが、先々の教員養成という点では偏った教員(前述の通り、地理を履修していないのに地理を指導しなければならない状況)をつくり出しています。 理科についても専門が物理なのに地学を教えなければならない(高校時代は地学を履修せず)例も見られます。 指導する側がこういう状況ですから(専門性が強くても、総合力に乏しい)、生徒の理解は推して測るべしです。 じゃーどうすればいいか、という質問が一番難しいんですけどね(^_^)
お礼
う~ん・・・考え物です。 私の友達も今実習で地理と公民を教えていますが、 彼女も専門は歴史で、かなり梃子摺っていました。 ありがとうございました
お礼
私は国語の教職をとっているので、注目したのですが、用いだと、大体は 用いる=もちいる として使うので、tgmsさんのおっしゃったとおりに無駄な知識になりますよね。 歴史の事も、大学で他国の学生と話していると日本の教科書の悪いところが見えたりします。それは各国同じ事かもしれませんが、やはり、削るところは考えて欲しいものですよね。 今回はご返答ありがとうございました。