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多くの人が「歴史は大切だ」という。しかし・・・
タイトルの通り、大学の先生方や親、大人たちは、世界や日本の歴史について学ぶ事(世界史や日本史を「覚える」のではなくて「学ぶ」こと)はとても大切で、どんな方面の学問なども歴史や哲学が根幹にあり、とても大切だと良く主張します。 これはなにも学術の立場にある・ないに関わらず、父親も同じように歴史は大切だといいます。 しかし、対照的に、史学科卒の人の進路が悲惨という現実もあります。高校の進路教諭も「史学科や哲学科に行ったら、将来は塾講師ぐらいしかない。悲惨だ。」と言っていました。 なぜ世間の多くの人が「歴史は大切だ」というのに、その大切なものを学んできた人たちを社会は欲さないのでしょうか?
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僕は、今を理解するためには、歴史は重要だと思います。歴史の積み重ねによって、今はある、ということです。今、存在しているすべてのことが歴史を経てできあがっているということです。 教養としての歴史だったら、意義はこれで充分だと思います。 学問としての歴史学の場合は、かなり事情が違ってきます。今を念頭において考えるならば、古い時代の方が関連がどんどん薄くなりますから。しかも、研究が進めば進むほど、いわゆる「タコツボ化」が起こって、微細な研究が主流になっていきますから、近代史でもそういう研究だと役に立つような気がしません。 歴史学だけではなく、およそ学問というものは、日常レベルでは、短期的には役に立たない場合が多いです。それは経済学だろうと政治学だろうと同じです。法律学も、実務のために学ぶのと学問として学ぶのとでは、実はだいぶ違います。短期的に、あるいは日常生活のレベルでは役に立たなくても、長期であったり、地球や宇宙といった単位だったり、逆にナノの単位だったり、というレベルでは、いつか必ず役に立つようになる、というのが学問なんではないでしょうか。 実際には、法学部や経済学部の学生の場合は、企業が求めているのは、学問としてではなく、教養として身につけていることを求めている場合はありますが、多くは「就職のことを考えて法学部や経済学部に行くような、現実感覚があったり、世慣れていたりする学生」が欲しい、といった程度の話なんではないでしょうか。このことは、企業自身がそれを自覚していないことが多いので、言行不一致が生じているように感じます。