• 締切済み

争いが起こる前に。

 仮に、ある環境下で育ったためにそれが世界中に通用するルールであると信じて疑いもしない人がいるとします。  あるいは、疑いをもっていても習慣的な考え方になってしまっていてやめられないでいる人。  そのために、目的のためには法を犯すことも悪いとは感じない人や、法的に整備されていなければ自分の行為を悪いこととは考えない人。  こういう人に別の考え方をしてもらうようにしむけるには、どうしたらいいのでしょう。  たとえばそれが隣の家の人なら。たとえばそれが友達なら。たとえばそれが自分の親だったら。  たとえば通りすがりのような薄い縁なのに相手がそういう人だとたまたま気づいたら。  虐待の問題、テロの問題、その他の犯罪……いろいろ考えているうちにこんな問いになってしまいました。  抽象的な質問ですみません。少し他の方のご意見をお伺いしたいのです。  ケースバイケースとも思われますので、はっきりとしたご回答でなくてかまいません。

みんなの回答

  • akarilove
  • ベストアンサー率31% (37/117)
回答No.2

 我々が持っている価値観や考えたは教育や伝統によって受け継がれてきます。いままでは、公衆道徳などは自然に身につくと思われてきましたが、実はそうでないことがわかりました。現在明らかに他人をいらだたせるマナー違反が多いです。電車のなかの化粧とか、高校生の傍若無人ブリはすごいですね。  ある社会での道徳や価値観を長期的に植えつけるのを教育といい、短期に植えつけるのを洗脳です。  だから、短期的に変えるには洗脳しかないような。  アラブのテロリストが最近悪者になっていますが、アメリカも冷戦当時、CIAがプロパガンダを行い人格を変えようとしたのも事実。ソ連もやったけど。  しかし、テロリストは自分のやっていることが、絶対の正義と考えているから怖いですね。こういうのは、プロパガンダでかえるしかないでしょう。  日本の傍若無人なバカは、もう道徳とかは通じないので、軽犯罪法等を使って逮捕して反省をさせるしかないような。例の高松の成人式では、逮捕して強い態度にでました。また、世間も容認しました。法律とかで、対処するしかないでしょう。悲しいことですが。

noname#1438
質問者

お礼

「教育」と「洗脳」、「プロパガンダ」と「法律」、すてきなキーワードでのご回答をありがとうございました。 「洗脳」……響きに含まれるちょっと悪い印象を除けば、その強力さには憧れすら感じますね。  大人の道徳再教育も短期にすればまさに「洗脳」という印象ですし。  プロパガンダという手法に触れていらっしゃいますが、これは国家政府の主導による宣伝広報活動のことと考えてよろしいのでしょうか。単に「プロパガンダ」という言葉を辞書で確認すると「広報、宣伝」としか出ないので。  軽犯罪法による取り締まりは……犯罪になるならばやめよう、という考え方の人が多ければ効果的でしょうね。寂しいようですが。  でも、それ以前にマナーや相手への配慮について考えることが身のため、とはまったく考えないでいられるのは、どういう状況なのかともわたしは疑問になります。数が増えれば「個人の資質だ」という言葉だけでは済まされない現象だという気がして。。  とはいえ、こういうことを書いているわたし自身がマナーについて相当に自信があるかというと、どちらかといえばすべてが終わった後になってよく後悔しているクチなのですが。  

noname#1438
質問者

補足

 やはり、相手より上の立場から相手に知らしめるしかないのでしょうか。。  確かに効き目はあると思いますけど。けっこう攻撃的なぐらいに。  でも身近な人が相手だった場合、できることなら横からさりげなくじわじわ少しずつ……そういう選択肢についてももう少し言及していただければと思いました。  とりあえず質問より1週間経ちましたので、新たな回答は望めないと判断して締切ります。  漠然とした問いなのに、ご回答をおよせ下さった方々、ありがとうございました。  考えを整理する手がかりが少し見つかったような気がします。  

  • FU-MI
  • ベストアンサー率33% (1/3)
回答No.1

 あなたの言わんとすることは大体分かったつもりです。現代の日本人のモラルの低下からそんなことを考えたのでしょうが、それは普遍的な善とか正義が問題となってきます。日本人には絶対的な宗教的規律がないため、このことには教育による、しっかりとした道徳を身に付かせることが必要と思います。30年ぐらい前ならばそれは各家庭に担わされた義務だったのでしょうが、核家族化が進んで大人の子供へ対する干渉が減った分、今は学校がその役目を被わなければならないのでしょう。また、過去に帰って町内会単位のコミュニティーでの教育ということも省みる必要があるのではないでしょうか。  でも、どんな時代にも非常識な人間というのですか、そんな人は存在してきました。しかもそういう非常識な人に限って成功しているのも事実です。ルール・習慣にとらわれないということは決して悪いことばかりではないように思います。明かに悪いルールであってり、悪習はそういう人方が打破してきたのです。だから、あなたはそういう人を見たなら、あなたの習慣・ルールを省みる事が大事です。あなた自身を磨くことが何よりもの他人への注意になると思います。あなたのような人間に成りたいと憧れを持たれるような人間に成るようことをお祈りしています。

noname#1438
質問者

お礼

 早速のご回答、ありがとうございます。 > ルール・習慣にとらわれないということは決して悪いことばかりではないように思います。  同感です。ただ問題は、それが犯罪級ともなると考えものだと思ったことなのですが。。  自分を磨くことだけで、本当に伝えたい人に注意が伝わればいいのですが。  休火山のように「いつか大変なことになりそうだ」と感じた身近な相手に対してどのようにすべきかを考えたかったのです。  触らぬ神に……的な形で、対岸の火事としてながめたり逃げたりしていられるうちはまだいいのですが。  それでも、自覚して逃げていればなおのこと、何か起きた時にわたしは「悲劇を防ぐために自分は事前に何かできなかったのか?」と自分に問うのではないかと思うのです。  FU-MIさんのご回答は教育問題という観点からのものと思います。ありがとうございました。

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