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他人の手助けを遠慮する理由
- 困っているときに、通りすがりの人が手助けを申し出ても、遠慮する人が日本人には多いですよね。
- 遠慮せずに素直に受けてくれたほうが社会のために良いと思います。
- 「やはり一度は遠慮すべきだ」「私なら遠慮する」というかたもおられるでしょう。その理由をお聞かせください。
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質問者が選んだベストアンサー
私もたぶん「いえいえ、大丈夫ですから」と答えてしまう人だと思うので、私の考えですが...。 ・他人だからこそ迷惑をかけられない。 ・重い荷物や席を譲られる事に関しては、相手に(大なり小なり)負担を掛けてしまうから。 他人だからこそ遠慮してしまうのかもしれません。 所謂「遠慮しがちな人」は素直に受ける方が気を使ってしまうので、お互いに気分がいいと言うのは違います。 もちろん気分が悪いものではありませんが、やはり「申し訳ないな」と言う気持ちになりますね。 それともうひとつ。 決してありがた迷惑ではないのですが、こういった日本だからこそ手を差し出した人、助けられた人は周りから注目されますよね。 それが苦手だったりもします(^^;; 質問者様の仰っていることはごもっとも!何も間違ってません。 こんな人もいるんだなぁ程度に、参考になれば幸いです。
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- 96183327
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NO.4です。 お礼というか、回答になっていないようで、申し訳ありません。 回答したのですが日本人的な言い回しで、わかりづらかったでしょうか? 日本人の気質として、昔から人様に迷惑かけてはいけない・まだ人様の手を借りなくても大丈夫という気持ちの表現の仕方が人それぞれである・最近の世の中は物騒なので安易に信じて良いものか躊躇してしまうと、大まかに言うとこんなところではないでしょうか? 他の回答者様がおっしゃっているので、それを踏まえて、私の回答の意は、質問者さまの最後の3点に対する疑問を提示したわけです。 その3点は、あくまで質問者さまの想うシチュエーションと思いであって、それを受ける側の気持ちは、日本人の気質もあるでしょうし、個人の価値観にもよるので、白黒での判断や日本人としての枠づけとして質問したいる事に対し極端ではないでしょうかという回答をしました。 日本人の気質からくる美徳ととるか(状況によっては美徳にならない時もありますが)日本人は見て見ぬ振りをするととるのかも人それぞれです。 どの程度の海外生活をされたかは存じませんが、文化の違いからくる国民性ですから、あまり断定的には言えませんが、見て見ぬ振りは日本人ばかりではないと思いますが・・・。
お礼
再びありがとうございます。 しかしNo.4のご回答から >日本人の気質として、昔から人様に迷惑かけてはいけない・まだ人様の手を借りなくても大丈夫という気持ちの表現の仕方が人それぞれである・最近の世の中は物騒なので安易に信じて良いものか躊躇してしまう を連想するのは、私にはとても困難でした。 日本的な阿吽の呼吸、行間を察する文化。それを身につける必要が私にはありそうです。
いや、だからさ。 1.どうやって他人の助けがほしいほど困ってる人を見分けるの? まさか妊婦やけが人・ご老人が無条件で困ってる人なわけないし。 ちなみに困ってる人ならよほど助けようとした人の風体が怪しいor頼りなさげでないかぎり 手を貸してもらうひとが多いと思います。 2.蜷川実花ww自体がそれほど知名度も人気度もないのに そのツイッターを基にした記事が、なんなんでしょうか? 3.どこの国のどういう人たちが親切な人たちなの? 蜷川実花のツイッターまとめは日本の平均値だと思いますか? 助けてほしくてどうしても手を貸してほしいのに いざそういわれたら断るのはなら、 助けようとした人の風体が怪しいor頼りなさげで「この人の手は借りたくない」と思われた って事でしょう。 もしくは、手助けなんて必要が無いかですよ。
お礼
再びありがとうございます。 >1.どうやって他人の助けがほしいほど困ってる人を見分けるの? この逆質問への回答は控えさせていただきます。私の質問から離れるので。 >2.蜷川実花ww 実例を列挙してはきりがないので、蜷川氏の発言を代表例として挙げさせていただきました。 他の例が知りたければ、たとえば「日本人 冷たい」などで検索してください。枚挙にいとまがないとは、このことです。 また、ご覧になったように、蜷川氏の声ひとつに対しても「私も同じ経験をした、冷たいと思った」という声が多数集まっています。これは、この問題の裾野の広さを示しています。 私が日本人批判をしたので、愛国心に火がついて思わず感情的になってしまわれたのだと思います。お詫びいたします。しかし、私も日本を愛する日本人の一人です。事実は事実としてまず冷静に受け止めることが、この日本をよりよくしていくための一歩だと思います。 >3.どこの国のどういう人たちが親切な人たちなの? 上記のように検索していただくと、日本以外の多数の国、たとえば西欧各国、米国、そして韓国、台湾などで日本人たちが受けた温かい手助け、「それに比べて日本では……」というエピソードが見られます。
- 108109
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私は「お手伝いしましょうか?」と好意でお声をかけてくださる方があると、 「ひとりで全く大丈夫」「このカートの押し方はコツがあるから知らない人だとむしろ時間がかかる」 と思っても、相手のご好意を無にするのが申し訳なくて「ありがとうございます。助かります」と 答えてしまうタイプです(最近やっとスマートに少しずつお断りできるようになりました)。 ですので逆に、延々と「遠慮合戦」を繰り返す人達の気持ちがわかりません。 私の職場では週一でビル1階のコンテナにゴミをまとめて捨てに行く習慣がありますが、 「私が持って行きます」「いえいえ私が」「先輩にそんなことさせられません」等々、 「ゴミ捨て合戦」が展開されていました。5分くらいかかる時もあり、その間にゴミは捨てられます。 しびれを切らした私が「合戦は止めよう」と提案したら、割とすんなり、手が空いている人が 捨てに行くパターンが定着し、特に不公平感もありません。 ちょっと話が逸れましたが、私の娘も私の手持ちの服等でで彼女が好きそうな物 (ブランド品で高かったけれど、私には今ひとつ似合わず、着こなせない新品)を 「よかったら着てくれない?」と渡すと「いいよ、それは要らない。悪いよ。高かったでしょ」と言います。 「要らないのかな?」と思って「じゃ、リサイクルに出すね。遠慮じゃないよね」と念を押すと 「それならもらう。実は遠慮した」と言って受け取り、頻繁に着ています。 親子なんだから、ほしければ「ありがとう」でスッと受け取ればいいのに・・・と思います。 私は謙虚さにかけるのかな?デリカシーがないのかなと悩む時があります。 質問の内容には同感ですが、答えになっていなくてごめんなさい。
お礼
ありがとうございます。ご指摘のように、「申し訳ない」には2種類あって ・厚意の手間が申し訳ない ・厚意を無にすることが申し訳ない があることに気が付きました。 前者を重く、後者を軽く見る日本人が多いのかもしれません。
- 96183327
- ベストアンサー率17% (95/536)
はじめまして。 あなたの意見も一理はありますが、その疑問は、せっかく手を差し伸べたのにという気持ちが根底にあるため、そのような疑問があるのではないかと感じました。 「お手伝いしましょうか?」と投げかけ「ありがとうございます。大丈夫です。」というやりとりに、なにも疑問はありませんし、仮に相手が感じの悪い対応をしたとしても、出過ぎたのかな?と思う程度です。 日本人の文化からして遠慮ということはあるでしょうし、個人も色々な価値観の人がいるわけですから、そこに過度に着目する必要もないと思いますよ?
お礼
ありがとうございました。 しかし質問に対するご回答を頂戴できれば幸いです。
- E-1077
- ベストアンサー率25% (3258/12620)
私は「あ、ありがとうございます!助かりました!」というでしょうね。 まあ、日本人の奥ゆかしさというか謙遜の気持ちはこれは変わらないから仕方ないでしょうねえ。 レジ前で誰が会計をするのかでもめるおばちゃんたちと同じだよ。 遠慮しないと感謝の心が伝わらず図々しいと思われるのではないか・・・・の考えが当たっていると思います。 新聞の投稿欄にも名乗り出ず立ち去った人にお礼をいいたい・・・というのはよくありますよね。 本気で困っているなら遠慮もしないと思います・・・・ので、かたくなに拒む人にはまだ大丈夫と思いたいっていう部分もあるかも。 電車で高齢の方に席を譲ろうとして「いや、健康のために立っていますのでお気になさらないように」と言われたらこちらも引けますよね。でもそういうスマートな人ばかりじゃない。まだ自分は高齢じゃないって思いたい人もいるでしょう。 バスに乗っていて「はいはいおばあちゃんが乗ってきましたよ~」と言いながら乗るおばあさんがいて、そういう人には誰も席を譲ろうとはしないんですけど、大抵空いているので座れるようです。 別に遠慮が悪いことで社会の為に~とまで考えなくても、通過儀礼だと思って入ればいいんじゃないかなあ。
お礼
ありがとうございました。
遠慮ではなく、本当に必要が無い場合が除外されてるのは 意図してのことですか? また、本人の矜持により拒否することは認められないのでしょうか? 貴方の考えはすばらしいものであると同時に、 人権屋が良く叫んでる独善的なものにも映ります。 助けを申し出る側の自慰行為というほうが伝わりやすいかな。 私は過去にちょっと段差がある歩道へ上ろうとする車椅子の人を助けようとしたことがあります。 人としての当然の呼びかけですが「お手伝いしましょうか?」と。 相手の反応は「いいえ、大丈夫です。ご親切に」でした。 当然ですね。彼は普通に歩道に上れるんですから。 これが車がきてて急をようするなら彼は私の手を借りたでしょうけど。 田舎の車道のことでしたから。 あなたの言う場合もそう。 たとえ老人であれ、妊婦であれけが人であれ 「譲ってもらう必要が無い」と己で判断したときは断る権利があるはずです。 その人たちは「自分のことを自分で判断していいように振舞えるから」です。 親切にされる側に断る権利が無いというのはいかがなものでしょうか? 相手側にとってはそれは親切ではなくありがた迷惑でしかないのに受けないといけないんでしょうか。 親切というのはあくまでも真心から行うものであって それが押し付けに変わった瞬間それはもう親切では無いと思います。 また、親切を行いたい人は断られる覚悟を持たずして行うべきではないと思います。 相手の意見を尊重してこそ初めて「誰かに親切に振舞えた」と言えるのでは?と思います。 というか、日本人の見てみぬ振りをするとおっしゃいますが そこからしてもう間違いかと。 世界基準で見れば日本人は親切な部類と評価されてるんですが。 じゃあ、どこの国の人が見てみぬ振りをしないのでしょう?
お礼
御意見ありがとうございます。 「本当に必要が無い場合」は理由が明らかなので除外させていただきました。 私が質問したのは、私にとって不可解な遠慮の理由を問うためです。 しかし、私は少々海外生活の経験がありますが、そこでは理由がどうであれ断られた経験はありません。「矜持」は日本人独特の観念なのかもしれませんね。 >というか、日本人の見てみぬ振りをするとおっしゃいますが >そこからしてもう間違いかと。 いいえ、間違いではありません。 私もできればそう思いたいのですが、残念ながら、日本人の見てみぬ振りを嘆く証言はとても多く目にします。 http://togetter.com/li/52331
お礼
「申し訳ない」場合があることは私も理解できます。 しかし、私が質問文の末尾に挙げた3条件を満たせば「申し訳ない」はずがないと思っていました。でもそれは間違いだったようです。どんな状況であれ、申し訳ないとお感じになるのですね。 また、助けられることを恥じるという視点にも納得です。 これらの理由から、「助けられたい」「助けられたくない」の二択のうち後者であると。 そう考えると、日本人の見てみぬ振りをする風潮も、むしろ相手の気持ちを慮った高度な気配りに見えてきました。貴重な示唆をありがとうございました。