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「靖国参拝は不戦の誓い」?なぜですか?

反日デモでまた靖国参拝が問題になっていますが、小泉首相は「靖国参拝は戦争肯定ではなく不戦の誓い」みたいなことをまた言いました。 でも、戦争犯罪人に頭を下げることがなぜ「不戦の誓い」になるのか、意味がまったくわかりません。どういう解釈をしたらこういうコメントができるのか、教えてください。 また、戦犯だけでも分祀すれば「不戦の誓い」も納得しやすいと思うのですが、なぜさっさとそういうことをしないのでしょうか?

みんなの回答

  • sudacyu
  • ベストアンサー率35% (687/1961)
回答No.17

No10.ご質問の返事です。  祖父(もう亡くなりましたが)の話によれば、日米開戦時、誰が総理大臣をやっていても、開戦をとめることは出来なかっただろうといっていました。  私が読んだ本の数々から受けた印象は、対米開戦を止めようとする人は組閣に失敗してしまうので、結局誰かがアメリカと戦争を始めただろうということ、東条英機個人としては、開戦に消極的だったらしいことです。  実際のところ、日本がアメリカの真珠湾を攻撃したことを聞いて、国民は万歳を叫び、提灯行列で祝った人もいたように、日本の世論が開戦に賛成だったようです。  ですから、その時たまたま総理大臣であった東条英機や他の少数の政治家・軍人に、戦争責任を押し付ける気持ちは、祖父にはなかったように思います。  ナチス=ドイツのように指導者がいて、戦争へと引っ張っていったのとは逆に、日本は明治からの軍国主義教育の結果、国民が自ら戦争へと進んでいったという傾向が強いようです。  高校の授業は、たとえ文系でも「世界史・日本史・地理・倫理社会」から2科目ですし、理系では1科目です。私立では社会を試験科目にしない学校もありますから、日本史を本気で勉強して卒業する高校生は、10人に1人でしょう。その上、日本史を選択して本気で勉強しても、時代順に授業をしますから、私がそうだったように、明治時代終わりまでで高3の3学期になってしまい、結局高校では「大正・昭和」は駆け足であまり勉強しなかったという人が多いでしょう。  「現在に繋がる大正・昭和を高校できちんと教えること」は中国から求められる以前に、日本の将来の為に、大変重要だと思います。

ysk26
質問者

お礼

再度の回答ありがとうございました。 お礼が遅れて申し訳ありません。 なるほど、現代の感覚をそのまま当てはめて「戦犯=悪」というほど単純な問題じゃないんですね。何が悪かったのか、よくわからなくなってきました。 学校での歴史の授業の問題は、おっしゃるようなことを私も本当に感じます。 自分のことを思い出してみても、たしかにそんな感じでした。私は興味があったので個人的に本を読んだりしていましたが、それでもまだまだ足りないと痛感します。 中国の歴史教育も問題だらけだと報道されていますが、日本の歴史教育も見直さないと、本当にお互いが理解しあえることがないんじゃないかと思います。

noname#10790
noname#10790
回答No.16

>> 戦争犯罪人に頭を下げることがなぜ「不戦の誓い」になるのか、意味がまったくわかりません。どういう解釈をしたらこういうコメントができるのか、教えてください。 これは日本人が自虐的な国民になるように昔から習慣づけられているからでしょう。戦地での玉砕、特攻隊、人間魚雷、米軍を恐れて集団自殺に追い込む・・・これらは世界をみてもめったにありません。だから軍事裁判なのです。それでも参拝なんですね。身内の方だけの墓参りでいいと思うのですが・・・ 

  • gokuh_
  • ベストアンサー率39% (89/226)
回答No.15

「死んだら罪は問わない」 実際、法的にも罪は問えませんし・・・。 心情的に許せないのは理解できます。 ですが、「終わってしまった事は仕方が無い」「今後の事を重視する方が先で、何時まで恨んでいても仕方が無い」昇華させる様に心を持っていく方も多いと思います。 仰る様に被害を受けた中国や韓国の人が「日本の祀る心」が理解できないのは当然です。 今まで(今もそうですが)、理解してもらう努力をせず参拝しているのは歴代総理の失策であると思います。 私個人は靖国参拝は賛成なのですが、中韓の心情も理解できますので現状のダラダラ参拝は賛成できません。 「刺し違えても理解してもらう」位の気迫と覚悟をもって中韓と交渉を持ち、その上で参拝して貰いたいのです。 なんだか質問の趣旨と違った回答になりつつありますが・・・。 靖国神社は(一口に神社といっても)招魂社の一種であって魂を招く場ですから、伊勢神宮や八幡社等の様に神様を崇め祀ったり、願い事をする様な場ではないでしょう。 靖国参拝は戦死者の魂一人一人を招き、今を語ると言うことになるのではないでようか。 戦死者の魂に何を語るか? 「今度はもっと強くなって頑張るぞ!」 「もう過ちは犯しません。(不戦の誓い)」 そのどちらも有り得る事ではないでしょうか。 つまり参拝する側の人の気持ち次第です。 多分、中国韓国の反対は参拝そのものよりも「戦犯も祀られている」という事が強いのかと思います。 一般の兵士だけであれば「もう過ちは犯しません。(不戦の誓い)」だと言うのももっと受け入れやすく通ったのかもしれませんね。 戦犯に対しては「今度はもっと強くなって頑張るぞ!」と誓っているのだと感じられてしまっているのでしょう。 個人的には戦犯合祀には賛成の立場なのですが、合祀決定の先に外交上の決着を付けて置くべきであったとも思います。

ysk26
質問者

お礼

再度の回答ありがとうございました。 またまたお礼が遅くなりたいへん申し訳ありません。 やはりいまいち実感として理解できないというのが本音です。 「今度はもっと強くなって頑張るぞ!」までいかなくても、「国のために死んだ霊に頭を下げて感謝し魂を慰める」という行為は、どうしても「その人たちが悪いことをしたと思ってない=反省してない」のでは? という疑問を抱いてしまいます。 中国・韓国の人は当然そう受け取る(そう受け取られても文句は言えない)だろうな、と…。

noname#12704
noname#12704
回答No.14

ところで、なんで毎年靖国ばっかり参拝なんでしょうか? あそこは、沖縄戦で死んだ人たちは、祀られているのでしょうか? あの人達も、本土のために時間を稼いで、死んでくれたのではないかと思いますが、どうなっているのでしょうか? 10万人が死んでいる訳ですよね。 靖国に行くことは無理には否定しませんが、一度は終戦日に沖縄の人たちを慰めて欲しいと思うのは、不自然でしょうか? 不戦を誓うためには、どうしても靖国だけなんでしょうか? 戦闘ではないけれど、広島や長崎にも行って欲しいとは思いますけど・・あれは国のために死んだわけではないのですかね・・??。いっぱいお参りすべきところがあると思うのですが、不戦のために、靖国だけというのは、なぜなんだろうと思いました。

ysk26
質問者

お礼

私も常々同じことを疑問に思っています。 むしろ靖国神社って、「不戦の誓い」という言い分がもっとも理解されにくい場所なのではないですかね。よりによってそんな場所に意地でも参拝する姿を見ていると、純粋に「不戦の誓い」で行っているのかどうか怪しいものだと思うわけです。 回答ありがとうございました。

  • gokuh_
  • ベストアンサー率39% (89/226)
回答No.13

靖国神社は国が選択した行為(主に武力行動)の為に殉じた人たちの為に建てられました。 西郷隆盛が祀られないのは戦争行為であっても国に反した行為であった為(殉じたのではない) 戦争行為でなくても開国以前の外国船との諍いで亡くなり(国が選択した行為)祀られた人がいるのはその為でしょう。 こういった国に殉じた国民や将兵を祭ることは、どこの国でも行う行為で決して悪いことではないと思います。 靖国は国の行為を(それが悪行であれ善行であれ)信じ追行し亡くなった魂を国家が慰霊している場です。 つまり靖国参拝は「戦犯に頭を下げ不戦を誓う」のではなく「国の選択で命を落とした魂へ、二度と誤った選 択をしない」と誓う為のものなのでしょう。 また、日本には「死者には罪は問わない」という風潮があります。 死者を「仏さん」と呼ぶのも、死ぬ事を成仏するというのも、死んでしまうと俗世から切り離されるという感覚があるのでしょう。 反対に中国の歴史を見ると恨みは死者に対しても行われ(仇が死んでしまった為に墓を暴いて遺体を掘り起こし 鞭打ちにする・・・と言う様な記載もあります)、日本の死者に罪を問わないという感覚が伝わらないのかもしれ ません。 さらに日本には「本意に反して亡くなった魂を疎かにすると祟るが、人々が祀る事によって、清い魂となり守ってくれる」という概念がった様に感じます。 平将門も菅原道真も然り。 地方の小さな社でも、行き倒れの旅人や落ち武者、人柱で亡くなった村人が村の鎮守の神として祀られているケースが目に付きます。 これが 「国の選択で命を落とした魂へ、二度と誤った選択をしないと誓う」   ↓ 「国の過った選択を恨まず、日本を見守ってください」 という意味合いになるのかと。 A級戦犯であろうが、本人は当時の日本という国に殉じた人。(実戦ではなく戦後処理ですが) 「既に死者となった事でもう罪は問わない。  生前の自らの行為や戦後の処置を嘆いたり恨んだりすることなく浄化し、日本の行く末を見守ってください」 という事かと思います。 今日では、上記の「日本の祀る心」も日本人の心から失われつつあり、死者に対しその様な感情で祀る事は少なくなりました。 小泉首相を始め他の政治家も含め靖国へ参拝するのはこういった意味合いで「不戦の誓い」だと述べたのだと思います。 ただ、本心で述べたのか?理解して述べたのかは解りませんが、そうであって欲しいと思います。 また諸外国の感情とは別に日本側の靖国参拝は上記の「祀る心」があくまでも日本の土着信仰や神道に通じるものですので 政治と宗教を切り離すという原理に反するのではないかという問題が生じますが・・・。

ysk26
質問者

お礼

ていねいな回答ありがとうございます。 お礼が遅くなり失礼しました。 >「国の選択で命を落とした魂へ、二度と誤った選択をしない」 ほかの回答者の方の回答を拝見してもこのようなことが書かれているので、おそらく私には理解できないだけで、このような考え方が日本ではけっこう認められているのかな、という気はしています。 私も、おっしゃるような「日本の祀る心」を忘れてしまった日本人の一人なのかもしれません。 ただ、被害を受けた中国や韓国の人が「日本の祀る心」が理解できないのは当然だろうし、それで靖国参拝を非難するのに対して「不戦の誓いだ」みたいな非常にわかりにくいことを言っているだけではまったく問題が解決しないと思います。 それから、日本では「死者には罪は問わない」っていうのもよく聞きますが、そうですかね? 私が遺族なら、東条英機とか死んでも許せないと思うし、「死んだら罪は問わない」なんてのんきなこと言ってられないと思います。 オウムの松本被告が死刑になっても、「教義は間違っていたけど死者には罪がないから」なんてものわかりのいい(?)日本人がそんなにたくさんいるとは思えません。

  • ss79
  • ベストアンサー率33% (258/765)
回答No.12

A級戦争犯罪人とは戦勝国側が行った極東軍事裁判で決められた見解だとする意見が根強いのですが裁判自体その公平さを疑うので否定する考えが一部にあります。 その後事情が変わりそれを機会にA級戦犯の靖国神社への合祀が行われたのです。 しかし中国は軍事裁判での検察、裁判側であり最大の被害国ですから快くはありません。 いくら「不戦の誓い」といっても純粋にそれを信じられない事件や行為が後を絶たないからです。 少なくとも中国が問題にしている行為を直接誤解を解く行為をせずに無視しているように続ける事が危険な信号と映るのです。 A級戦犯を分祀する事は一旦神として合祀した以上神社側では到底承服する事は出来ないでしょうから国内で紛糾するだけです。

ysk26
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 >中国が問題にしている行為を直接誤解を解く行為をせずに無視しているように続ける たしかに、「靖国参拝は不戦の誓いだ」というのは、とてもわかりにくい理屈だと思います。 国際化の時代なのだから、小泉首相は「日本の伝統文化だ」「内政干渉だ」ではなく、なぜ「不戦の誓い」になるのかわかりやすく説明してほしいと思うし、私も説明を聞いてみたいと思います。

  • rodi1234
  • ベストアンサー率0% (0/0)
回答No.11

この靖国に関して、あまり知られていないことがありますので、参考として書かせていただきます。 靖国神社は、国のために命を落とした者なら戦争責任者だろうが関係なく祀る、というような勘違いがよく見られます。 しかし実際には、明治維新の立役者でもあった西郷隆盛などは、西南戦争を起こしたために祀られていません。 西郷が関わった西南戦争は「国のためを想って」起こした(巻き込まれた?)にもかかわらず、です。 日本を美化したい連中は認めたがりませんが、結局靖国も「敵対者は悪」という考え方で祀る対象を選んでいるのです。

ysk26
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 「死んだらみんな神様として差別せずに祀る」というのは私も聞いたことがありますが、結局差別してるんですね。

  • sudacyu
  • ベストアンサー率35% (687/1961)
回答No.10

 靖国神社は、その成立の事情から戦前は旧日本陸軍が管理していました。  日本国内の陸軍省・参謀本部が中国での戦争不拡大を目指していたにもかかわらず、中国派遣日本陸軍の独断によって、日本・中国は開戦に至りました。日本陸軍により民間人にも多数の犠牲者を出した中国にとって、日本軍の解体により国との関係が無くなり、靖国神社が一宗教法人となった今でも、アメリカのアーリントン国立墓地と同様の施設と認識されるはずがありません。    靖国神社は、現在一宗教法人でありながら総理大臣の参拝が行なわれたり、戦犯の合祀事務は、厚生省が担当するなど(今では無理と思いますが‥‥)、不自然な神社となってしまいました。  私の伯父も戦死しており、地元の靖国神社(ごこくじんじゃ:やすくには東京九段だけです。)には私も参拝しますが、国立の宗教色の無い慰霊施設は必要と感じています。  しかし、戦死した伯父の兄弟姉妹(6人兄弟の長男でした。)であるおじ・おばは、その年齢からも全く別意見で、  1、戦死した伯父本人が、戦死すれば自分は靖国神社に祀られると知っていたこと。(つまり、靖国神社に祀られるのは、本人の遺志であること。)  2、自分たち兄弟姉妹が死ねば、その後誰が靖国神社の霊を祀るのか。日本が戦争をしなくなったので、若い人が参拝することは無くなってしまった。  この2つが彼らにとって重いようです。  ですから、日本遺族会会員である、戦死した伯父に代わって家の後を取った叔父は、総理大臣が靖国神社に参拝するのに大賛成で(国が靖国神社を祀ってほしいと考えてもいます。それは、2の理由が大きいようです。)、他のおじ・おばも程度の差こそあれ、総理の参拝に賛成です。  ちなみに、伯父を失って苦労した兄弟姉妹全員、戦争には反対です。  つまり国際的には認められなくても、国内的には「靖国参拝は不戦の誓い」と十分感じる人がいます。  ただ、国際化の進んだ現在では国内の事情だけを優先するわけにはいかず、私個人の案としては、 1、国立慰霊施設の設置 2、民間寄付による靖国神社維持基金の設立 が必要と感じています。

ysk26
質問者

お礼

ていねいな回答ありがとうございます。 具体例も出していただいて、なるほどと感じる部分も多く参考になりました。 よろしければ教えていただきたいのですが、そのおじさん・おばさん方は、伯父さんを戦死させる原因をつくった張本人も同じ靖国神社に神として祀られており総理大臣が彼らに対しても頭を下げ「不戦の誓い」としていることについてはどう感じておられるのでしょうか? 私がもし遺族なら「冗談じゃない」と思うと思いますが。 回答者さまの案については、私も同じように感じています。

noname#10790
noname#10790
回答No.9

>>反日デモでまた靖国参拝が問題になっています これは中国 韓国と戦争犯罪人の見方が異なりますので 解決は平行線になるはずです また途中で腰砕けになるとメンツがつぶれる感じもお互いありますね 一方で日本の歴史をみると 血族同士の対決が当たり前でした 平家の落ち武者しかりとことん追いかけられ犯罪人扱いされています これは中国と同じでしょう 

ysk26
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 たしかに小泉さんを見ていると、本気で「不戦の誓い」に行っているというよりもほとんどメンツのために参拝しているような感じも受けます。

回答No.8

ものは考えよう……ですよね。 もし、今の日本が戦争をはじめたとして、そして同じように敗戦し、誰かが戦争責任者として処罰されるとしたら、それは現在の政府首脳陣でしょう。もちろんその筆頭は小泉総理ということになるかと思います。 それなら、「自分はあなたたちのようにはならない」か、「もし戦争が起こったとしても、責任は自分が取る」という誓いなら、全然違和感はないのではないかと思います(それが、例え相手から起こされた戦争であっても)。 戦争責任者、というのは必要だと思います。 当時の日本は、戦争反対を口にするのは当然のこと、政府に対して皮肉を言うだけで、隣の人から「非国民」扱いにされる世界でした。 それを「当時の政府・軍部と教育が悪かった」と責任転嫁することで、大多数の国民を守り、復興していったというのは、紛れもない事実だと思います。 つまり、政治家の皆さんにとって、戦犯として処罰された人々というのは、「明日のわが身」であるわけです。これは、靖国に合祀された戦犯たちを「戦争犯罪者だ」と心から思っていたとしても変わりません。だから、一般国民よりも戦犯に対して同情的なのは、むしろ自然なことなのではないでしょうか? 日本人は……少なくても私は、こういう考え方には共感できます。私は歴史と同じくらい、日本のマンガやアニメが大好きですが、私はそこから、「悪にも悪になる理由がある」とか、「絶対的な悪などは、どこにも存在しない」という考え方を身に着けたましたから。 (ただ、小泉総理がそこまで考えているかなと思うと、自信がありませんが(^^;) いっぽう、中国や韓国の伝統的な歴史観というのは、「敵対者はすべからく悪」として断じるところにあります。戦犯として処罰された人々と自分を重ね合わせるなんてことはまずしません。だから、古来より「戦争が起こるのは相手が悪いから」として歴史書を書き続けており、それらを倒した自分たちを英雄として賛美してきました。それらが起こった真の原因を考察することを怠り、結果、前の戦争と同じような原因で倒れた国も少なくありません(というか、どう考えても中国の国の勃興と滅亡の繰り返しは、「本当に前の歴史に学んでいるのか?」と思ってしまうぐらい、似たようなパターンなのが多いんですよねぇ)。 私は、今の中国や韓国こそ、日本の歴史(特に、歴史を多面的に見ること。私は、大多数の日本の「自虐的」と言われる教科書も、そう悪いものとは思っていませんよ。「相手の立場に立ってものを考えることができる」という日本の文化は、十分他国に誇れるものだと思います)に学ぶべきなのではないかと思いますけど。彼らが忌み嫌う60年前の日本人と、今のデモの参加者はそっくりだと思います。「愛国は無罪→『愛国』のスローガンのもとでなら、何をやっても許される」と思ってるところが特に。 なお、分祀の問題も、政治家の立場から考えればそう簡単にできることではないかも、と思えます。 日本政府は、「一宗教法人が(勝手に)行った合祀を政府主導で分祀することは、それこそ政治の宗教への介入である」という立場を取ってますから。(これまた、小泉総理もこう考えているかなと思うと、やっぱり自信がありませんが)

ysk26
質問者

お礼

ていねいな回答ありがとうございます。 お礼が遅れてすみません。 >「自分はあなたたちのようにはならない」か、「もし戦争が起こったとしても、責任は自分が取る」という誓いなら、全然違和感はないのではないかと思います そうですか? すみませんが、やはり私には理解できません。当たり前のことというか、近隣諸国の反発をくらってまでわざわざ靖国に行って誓わなければならないほどの内容には思えません。 最近の反日デモについては私も同じように感じていました。 分祀の問題も、やはり難しいようですね。

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