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国際貢献はなぜ必要なのか?
憲法改正論議が活発になっていますが、その中でも、第9条の問題で気になったことがあります。自衛隊による国際貢献はなぜ必要なのですか?金だけ出すのではダメなのですか?教えて下さい。
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国際社会は冷厳な弱肉強食の社会であると同時に、助け合いの精神に基づく相互扶助の社会でもあります。 いまでこそ日本は経済的に反映していますが、昭和30年代までは外国や国際機関の援助に頼る貧しい国でした。現に私はユニセフから援助されたミルクを飲んで育った世代です。 貧しい国や戦火や災害によって大きな被害を受けた国を救援するのは当然のことです。そして救援は、被害の回復にふさわしい方法で行わなければなりません。お金を出せば解決する問題に対してはお金を出せばいい。しかし、お金では解決しない場合は、それに相応しい手段で救援しなければなりません。 難民キャンプの維持・運営のために必要なのは専門知識と経験を持つスタッフであり、お金ではありません。スタッフを派遣する能力があるのにお金だけで済ませるのは冷たい態度です。 戦火のくすぶる地域では軍事に関する専門知識と訓練を受けた集団、すなわち軍隊でなければ役に立ちません。軍隊を派遣する能力があるのに派遣せず、お金だけ出して危険から逃げるのは卑怯な態度です。 インドネシアの地震災害が良い例です。被災者が求めているのは医療を中心とした救援であって、お金ではありません。我が国にはその能力があるので、本震に対しては自衛隊を、余震に対しては民間医療スタッフからなる国際緊急援助隊を派遣しました。もちろん、インドネシアはお金も必要としていたので資金も援助しています。 繰り返します。能力のある国が被災国が必要とする援助を与えるのは国際常識です。憲法9条問題?そんなものは国内問題に過ぎません。国内問題を盾にとって当然なすべき国際的な責任を果たさなくてもいい、と考える人もいるようですが、幸いなことにそのような人々は取るに足らない弱小勢力に落ちぶれました。多くの国民の良識が勝利したといえるでしょう。
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- neo1961
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私も、#5の方の意見に賛成です。 幸か不幸か、高度経済成長時代の生まれで外国からの援助と言う事は経験していませんが、憲法9条の成り立ちを知れば考え方も変わるかもしれませんね。 憲法9条(現憲法のほとんど)は、第2次大戦終戦時にアメリカの憲法想起委員会の手によって作成され、その後、日本政府の修正案を受け入れた形で出来上がったもので、時のアメリカが日本に軍隊を作らせないようにした物ですが、もう60年も前の時代とは世界の情勢も格段に差が出てきてしまいました。 日本も先進国の仲間入りをして、それなりに世界から注目され、時代の要請も受け入れなくてはならない国になってしまいました。 さて、日本が軍隊を持つことの是非は世論(世界の国々も含めて)の動向を待つとしても、この地球上で軍隊を持つことを禁止されている国は日本だけだということはご存知でしょうか? かの、永世中立で有名なスェーデンでさえ正式な軍隊を持っています。 いかなる戦争にも参加はしないと言っている事で有名な国です。 そのスェーデンでは、民間の援助団体の活動が活発で世界各国の災害時に自発的に派遣活動を展開されています。 日本では、こう言った災害派遣の組織がまだ十分ではありませんので、医療的にも専門的な訓練を受けた自衛隊の派遣が世界からも注目を集めているのは事実です。 自衛隊=軍隊(装備的には世界の軍隊から見ればオモチャ同然です)と言う事を意識しすぎて、人的な貢献がおろそかにされる事は、日本としても恥ずべき事だと思います。 ●一つの参考として。 殆んどの家庭では、親が働いて得た収入を子供に渡すだけで、赤ちゃんが立派な大人にまで成長すると思いますか? やはり、親が見本を示し子供の成長に関わっていく事で、子供も人間としての大人に成長するのではないでしょうか。 今の世界では、日本も世界の一員であるという自覚を持って色々な問題に対応していく必要が有りますし、そうする事を世界は求めているのも事実です。
- kobakoba3
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>自衛隊による国際貢献はなぜ必要なのですか? これは極論ですが、アメリカ以外の国にとっては、必要ないですよ>「自衛隊による国際貢献」。 新聞・テレビなどで使われる「国際貢献」を「アメリカへの貢献」に置き換えれば、たいがいの事情は見えてきます。 日本には日本の貢献の仕方があるとはっきり主張することをせずに、アメリカと共同歩調をとろうとしながら、国内の反対もあって中途半端な対応しかできないでいるから批判されるのです。 憲法を変えて、とことんアメリカと同じ行動ができるようにするか、アジアの一員として日本独自の外交を目指すか、どちらの立場に立つかで「国際貢献」の中身も大きく変わってきます。 それから、「金だけ出してたら」という意見ですが、日本はその経済力のあまりの大きさゆえに、額だけはずいぶん貢献しているように見えますが、外国から見れば「負担能力の割に貢献していない」としか見られていないのが実情です。このあたりも、政府がお金ではなく自衛隊派遣にこだわる理由のひとつです。
- k99
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まず、簡単な例え話から。 学校のクラスにみんながやっている掃除当番を、ただ一人だけ「ボク服が汚れるの嫌だし、ママがそう言うことしちゃいけないからって言ってるからやらない。でもボクお金持ちだから、代わりに働く君たちにお金はあげるね」といってやらない奴が居たら、どういう気分になるかという問題。 服が汚れるくらいだったら、まあ、ムカツク腹も納めようがありますが、事は命がかかっています。実際に人を出している国からは「自国の若者の命を金で買っている」という批判につながりかねません。 #もっとも、国連の軍事活動に人を出すことで軍がかせいでいる国(第三世界に多い)も厳然として存在するわけですが。 実際、日本がこの「ムカツク金持ち」と見られかねないという問題が発生したのが湾岸戦争でした。 この時、日本は戦費として130億ドルを拠出しました(戦費の約2割と言われる)。しかし、拠出が遅かったことや「丸腰の人員(=戦場では御荷物以外何者でもない)を出す」とごねてみたりした醜態(ほかには 公明党が「戦費は後方支援に使え」とかいう寝言を起きたまま言うモノで、アメリカが怒ったという経緯や、社会党の当時党首が開戦寸前に調停をすると称してイラク入りを計ったというものもある)の影響もあり、「遅すぎ、少なすぎた」と非難されました。 湾岸戦争後、クウェート政府がタイム誌などに掲載した自国解放を感謝する広告には30カ国の国名が挙げられましたが、その中に日本の名前はなかったのです。 一兆円以上を出して、このザマです。 逆に、その後に日本が行ったペルシャ湾の掃海作業は やはり遅すぎた参加であったにもかかわらず、地元からは熱烈な歓迎を受けました(あまり関係のない日本企業の売りあげが倍増したという)。 つまり、軍隊には国旗が付いていますが、金にはそれが付いていないのです。 援助を受ける側にとってみれば、感謝の対象はまずそこで働いている人たちであって、スポンサーではないのです(大体、金を貰っている方がスポンサーのことまで宣伝してくれるとは期待できない)。
- wednesday11
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仮にあなたが国立の学校で無料で何かを学んでいるとします。 無料で学べることに対して国に感謝する気持ちは持つかもしれません。 しかし、その経費を最終的に負担しているのは納税者です。 あなたは納税者全員に感謝する気になるでしょうか? 「納税者」なんて漠然としすぎているし、数も多すぎて、 具体的な感謝の念を持つのは難しいでしょう。 そういうことなのです。 その現場で目に見える貢献をするのでなければ、 貢献をしていることにも気づかれにくいという現実があるのです。
- SCNK
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金の面では日本は、終戦後から大きな貢献をしてきました。東南アジア諸国には賠償という形で、大量の援助をしてきたのです。しかし、それだけでは評価されなくなってきた事実があります。 軍隊でしかできないこともあります。とくに治安に不安があり、インフラがないようなところではです。自衛隊に白羽の矢が立つのは当然の成り行きだったのでしょう。
お礼
回答ありがとうございます。 軍隊でしかできないことも、他の国の軍隊に任せて、金銭的援助だけするというのではダメなのですかね?