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自殺の哲学

日本人の自殺者が, このところ著しく増えている, といった報道をしばし耳にします。 少しむかしの日本でも, 切腹や追い腹, 無理心中など色々な自殺が行われてきたと思います。 1)日本人は自殺が好きなのでしょうか? 2)日本人の自殺文化はどのような思想に基づいているのでしょう? 恥の文化? 死ねばどんな悪人でもほとけさん?

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  • kigurumi
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回答No.10

>なんで、キリスト教では自殺は罪なのだろう。 確か聖書に「産めよ 増やせよ 地の果てまでも繁殖しろ」って神が言ったと書いてあったからじゃないかと。 だから、カソリックは同性愛は禁止で堕胎も禁止だし、避妊も禁止なのでコンドームの使用も禁止です。 性欲があれば、それは神の意志が働いたものであり、それに逆らって(性交したいのを我慢する)は神に逆らう冒涜である って考えだったと思います。 自殺するということは神の増えろという命令に反することになるので、神様が命を召す以外は死んではならない というのがその言葉の解釈として、一般化されたらしい。 日本は違いますが、結構国教がキリスト教の国が多く、当たり前のようにそう教育されている人が文学の面でそれを軸に物語を書くので、それを読んだ日本人は自殺は罪であるとぼんやり価値観が刷り込まれたのかと。 >イエスは、全人類のために、他殺(他力)ではありますが、みずからの命をささげたのですから、自己犠牲は最も尊い愛の形なのではなかりしか。 というのは後からこの事件を解釈した人の理論みたいです。 イエスは一冊も本を書いていません。 原始キリスト教の考えを他の人たちが考え口伝えに「きっとこうに違いない そうすれば矛盾が無くなる」として、それを他の国が本にまとめた これが新約聖書らしいです。 わたしはイエスは自殺だったと思います。 確かにローマ人の手による処刑ですが、知った限りの情報を元に分析すると私の判断では自殺だったって事になります。 それを防ぐために、イエスは人間ではなく 神だったとしたら、人間は増える宿命を背負っているが、神はそのルールが適用されないので、自殺じゃなかったって事になるんじゃないかと。 従ってイエスを神にしたてあげた と。 神だったから神なんじゃなくて 人間を神に仕立て上げることで矛盾を無くそうと考えた人の理論だと思います。 >特攻隊も玉砕も愛するもののために死んだと言う点で、イエスに負けず劣らずの自己犠牲の精神があったのかしらん。 思い込み次第かと。 特攻して死ぬことは、天皇のため 国家のため 家族の誇りであると刷り込まれたら、勇気を持って飛行機に乗り込むでしょう。 洗脳(催眠)が解けなければつっこむでしょう。 解けた人はつっこめず、しかし片道の燃料しか積んでいない・・・・ >私には、あまり、国が自殺者のための対抗策をとっている様にも思えないのですが。 ううーん そこまで保障できないからじゃないでしょうか。 それにそうなってしまうと、国民の意思はどうなるのでしょう。 それすら許されないのなら、生きる代償として国はその人が望むことを解明して、その人が望むことを全部与えて、その人が死なないように徹底的にするべきってなりますよね。 国民は国家の人形ではない。 それぞれに自由意志があり、それを尊重するから、法律でがんじがらめにしない。 それに国がしなくても、回りの人がやるべき事なんじゃないかと。 その人を大事に思う人が、その人が困っていれば、心が動き手を差し伸べ、何が困っているのか興味を持たなければ、集団として機能しなくなります。 国家があれやこれややる前に 国民が考えるべき問題です。 そしてその知恵を国会とかに持っていく。 これが民主主義かと。 これが他者を生かすことで自分が生きる集団持続の宿命かも。 >社会の急激な変化によって、その軋轢やしわ寄せが、多くの人にとって負担になっているのは間違いないと思う。 自殺の理由は病気が理由から 経済的理由がトップになったと思います。 貧困はもっと下だったと思います。 さまざまな理由がありますが、確かに他の人が言うように 希望が無くなったとき、自殺するのかもって私も思います。 その人の世界で希望が消滅したら真っ暗闇ですから。 生きる理由がどこにも見出せい時、遺伝子に組み込まれた消滅の言葉が唱えられるのかも。 うさぎは捕食される動物です。 鷹がうさぎを捕まえてわしづかみにします。 その後食べます。 生きながらくわれるのだと思っていましたが、どうやら わしづかみにされた時点で、自殺の因子が働いて心臓を止めるらしいです。 だから生きながら食べられる痛みを感じないですむらしいです。 生きた人間を食って自分の栄養とする人種。 私 病気で苦しんでもがいている人に、生きろってそんな暴力的な偽善の優しさふりまきたくないです。 死んでいいよって言いませんが、自殺はいけないって言ってしまうと、それは暴力です。 どんな理由があろうと それは瀕死の人を暴行する言葉です。 だから 自殺したいって人に何の保障もなく軽々しく生きるべきだって言う人みると、腹がたつのです。 それはあなたが他人の感じる死を自分の死の恐怖と捕らえるから、相手に死ぬなっていっているにしかすぎないって思うのです。 自分かわいさに相手に自殺はいけないって言っているにしか過ぎない その程度でよくまあ いえるわって思うのです。 本当にその人の事を考えるのなら、否定するなって言いたいです。 本当に相手が大事なら、同じ目線の高さに自分の体を折り曲げ 一緒に考えてあげてほしいです。 それができない したくない 高みの見物していたいだけなら、自殺はいけないって言わないでほしいのです。 って語ってしまいました。 でも ほんと そう思います。

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  • souziki
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回答No.5

1)自殺好き 自殺が好きっていうのが良くわかりませぬ。 それはないんじゃないかと。 えっと、日本人には貸し借り、というか、そういう概念があるからじゃないかなーって。 ・誰かに何かをしてもらった→借り。 借りは払わねばなりませぬ。 ・お返しに何かをします→借りを返す。 同じように責任も入ってるんでしょうね。日本人だけじゃないと思いますけど、 ・自分がミスをして、他人に迷惑をかけた→他人への『借り』という名前の責任 借りは返さねばなりませぬ。 ・他人に『お返し』という名前の謝罪をする→借りを返す。 ということに。 ちなみに、日本人は謝罪=切腹=命がない、ということで、公的に堂々と謝罪するコトは苦手なのだそうな。 中国との歴史問題が解決していない、と中国のお方が仰るのは、日本人の謝罪の仕方が足りない、と考えるからなのだとか。 でも、日本人にとっての最大の謝罪が中国にとっての寡少なのですしー。 2)自殺文化 面白い表現の仕方ですねぇ。 恥の文化もあるんでしょうね。でも、ソレは少ないかな。 基本的には、 ・ミスをした→責任を取らねばならぬ→自殺 例えば、会社が倒産しました。数万人の人々が一挙に解雇。そこでよくあるのが、社長や専務さんの自殺です。 死んでお詫びを、というモノですな。 最近は図太い日本人が増えてきましたがね(苦笑) 日本の自殺文化も衰退の一途を辿っているような。 >日本人は基本的には死ねばチャラで、死人にむちを打つようなことはしない。 そういうことになりますな。 死ぬほど追い詰められて、そして『死ぬ』という形でわびる。これ以上の謝罪方法はございませぬ。 死ねばチャラ、という思想がやっぱり根底にあるんでしょうな。 欧米の地獄、って知ってますか? キリストとかの、ヘル、ですな。地獄の悪魔とかの。 あそこに落ちると二度と救われることはありませぬ。 永久にソコに落ちたまま。 これはギリシャ神話などにも見られまする。 ですが、日本の地獄は罪を洗い清めるのが目的でございます。つまり、浄化。 ありとあらゆる苦行が、地獄には待ち受けておりますがソコで罪を償ったものは天に逝けるのだとか。 もちろん、宗派によって異なると思いますけれど。 それに、現代の世界にも苦行ってありますよね? 罪とかつらいこととか、そういうこともチャラにしてくれる弥勒菩薩という仏さんまでおります。 キリスト教では御子さまが世界の最後に降りてくる、となっていますが、助けてくれるのはほんのわずか。熱心な信者だけなのです。 こういうところも、ちょっとした違いかな。 近ごろの自殺文化は世を憂いて、というタイプが多そうです。 生きていてつまらない、退屈、ツライ。 生きていても同じなのだから、死んでしまったら楽になる。 こういう思想は以前からあったのかな。 諸行無常 是生滅法 生滅滅己 寂滅為楽 ありとあらゆることは無常である。 これは、生滅の法である。 何もかも捨ててしまいなさい。 死んでしまったら案外楽になるのです。 っていう。 いろは歌のもとなんだとか。 ちなみに。 死せる孔明~は全く意味が違います(w 言ってみれば武田信玄みたいなことやってるんですよw

anima-mundi
質問者

お礼

ありがとうございます。 日本と中国の考え方の違いは、大きいのでしょうね。反日運動には、その他の要因が余りにも多い気もしますけど。 日本人が謝罪下手とは、思っても見ませんでした。確かに、企業の不祥事とかでは、上層部の形だけの謝罪も多いですしね。こころがない。 しかし、米国のような国では、起訴社会なので自分の非を認めることはほとんどない、とも聞いたことがあります。 欧米と日本の地獄の違いは面白そうですね。 いろは歌は世のはかなさをうたったものですね。諸行無常の精神は、日本の思想の肝かも。死と生が地続きにつながっている感じがして好きな歌かも。有為の奥山今日越えて… 武田信玄、影武者ですな。

回答No.4

自殺の文化というより、生死観の問題だと思います。 >少しむかしの日本 そもそも現代人と考え方が違うと思われます。もともと日本には、アニミズムという信仰がありました。川には川の、山には山の神様がいる。「千と千尋の神隠し」の世界です。神と人間は共存していました。そこに仏教が入り、輪廻転生など論理でこの世界を知ります。昔になればなるほど、生と死は密接に関係していました。つまり死ぬ確率が高かった。今の時代みたいに生きることに執着していなかった。死んだら守り神になって生きているとか、また生まれ変わるという概念が常識だったと思われます。 武士の場合、儒学の教えですよね。この辺りは詳しく知りません。ただ日本では、儒教ではなく儒学であって、都合のいいところしか取り入れていなかったと思います。自殺を認めているのかはわかりませんが、君主に対して絶対忠誠だったはず。それを日本は取り入れ、人道主義のキリスト教はいらない、そして鎖国をしたと勉強しました。武士は、プライドを貫くためには生死をも越えるという思想だったと思います。肉体が滅びても魂は滅びず、みたいな感じだと思います。 少なくとも、江戸までは日本には日本の文化がありました。ひとつの世界観があったということです。しかし明治から西欧化となり、敗戦でアメリカナイズ。つまり信仰も文化も西欧化してしまった。文化根こそぎの虚しさ。 >日本人の自殺者が, このところ著しく増えている 現代はヒューマニズムの時代、生きることに固執してる文化です。大戦後、アメリカナイズされ、キリスト教も入ってきました。宗教上、自殺は罪です。 自殺者数が年間3万人以上の日本について。 中年の場合、終身雇用で就職したのに、時代は変わってリストラ。会社のために働いてきたのに、生きがいを失った大人たちはその空虚感から自殺する道を選ぶ人が多い。価値観の変化。会社に依存していたからだと思われます。 小学生~高校生の場合、成長過程の情緒不安定&生きがいを感じない環境&愛を感じない環境の問題。具体的に言えばいじめやDVなど。また、育児する大人たちが生きがいを感じていなければ、子供も成長する上での参考になりません。 大学生の場合だと、学生から社会人へのステップを外したり、社会の実情を知りそのギャップから馴染めず逃げるところがないので自殺することが多いようです。 自殺する背景には、いろいろと状況があると思いますが、最終的には「もうダメだ」と見切りをつける心理があります。日本の現状(つまり自分の人生)に絶望しなければ自殺まで追い込まれません。 先進国に多い理由は、経済的に豊かだからです。戦後の日本には目標がありました。焼け野原の日本列島を改造してみんなで豊かになろう!と。そして結果を出した。しかしバブル崩壊後、何を目標にしたらいいのかわからない現状になった。生きがいを失った日本人。人生のモデルもいない。英雄不在。強いて言えば、「エコロジー活動」が今の目標になっていると思います。 毎日働いて、社会の歯車として無理をして、自己疎外の問題は深刻です。心理学者が言うには、9割のサラリーマンは精神疾患で無自覚の人も多く含みます。ウツが流行り、小学生にまで流行してます。そして癒しブーム。なんのために働くの?人生ってなに?そして行き詰まった人は自殺。自殺しなくても、精神的におかしくなって無差別殺人がおこる。対象は小学生や女の子に対する性コンプレックス。集団自殺の流行。頼るものを求めて新興宗教の流行そして事件。 要は、生きることに希望がある国であれば、自殺数は減ると思います。

anima-mundi
質問者

お礼

ありがとうございます。 現代の日本人とむかしの日本人では、どこかに考え方の違いがあるのでしょうね。一方で、連綿と受け継がれているところもあるとも思います。 いつの時代も、近頃の若者は~だと言う言葉はありますし、昔の方がよかったと言う考え方(気持ち)も、人間のサガのように行われているのかしらん。 過去と今とで、何が変わって、何が変わらないのか。それを考えるだけでも面白いテーマのように感じます。 でも、基本は同じ人間の考えることなんだから、そんなに変わらないんじゃないかなというのが、私の持つイメージです。 そうでなければ、過去の人間のことを理解することはできない。昔の遺物(オーパーツとかも)は宇宙人のせいだとかいうわけの分からないことになりかねません。ただ、ただ環境が変わったので、人間も変わって見えるのかしら。 現代の日本社会では、経済優先主義が唯一の宗教なのかな。永続的な発展…、そして持続可能な社会…。 このような社会では、多数の利益のためには少数の犠牲に目をつぶらざるをえないのかな。 正確な値はわかりませんが、毎年、交通事故はたくさん起こりますし、一万人前後の人が死んでいます。だからといって、事故をなくすために、規制を強化しすぎることも同時にはできない。 自殺者についても、時計仕掛けのオレンジのような映画のように、人格を改造してまで止めるのもなんだか行き過ぎのように感じます。自殺者を減らすには、未来に向けたヴィジョンが必要なのかしらん。それが宗教なのか、思想なのかはわかりませんが。

  • kigurumi
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回答No.3

戦時中は死は美として捕らえられていたようです。 潔いとか清いとか、そんな風な捕らえ方も当然として過去にされていたようです。 キリスト教は自殺は罪であるとされているので、その価値観が日本に入ってきてから、自殺することは罪悪であるという価値観になっていったのかもしれません。 自殺されると困るのは誰でしょう? 友人? 家族? いえ、それより困るのは支配者です。 国民が労働して国を豊かにし、納税する人が減れば、国力は衰えます。 それで国は国民が自殺しないように、福祉で援助し、再生を促します。 国は個人が自殺することを法律では禁じていません。 そこまで国が国民の意思に関与はしない。 が、それは本意ではなく、例えばサラ金により脅されて自殺したとわかれば、対抗策を考えます。 先進国の中でもこれだけ自殺者が多いのは珍しいと思います。 貧困によるものなら、国が援助するので貧困による自殺は防げるはずです。 よく見ると、いい暮らしをしていた人が、破産したり、仕事を失ったりなど 持っていたものを喪失したショックからまだ、それでも十分暮らしていけるのに、自殺している人が多いようです。 日本人が過去 切腹や自殺をした理由と同じようにプライドのようなものかもしれません。 仏さんとは死者のことですから、そういう意味では悪人でも仏さまでしょう。

anima-mundi
質問者

お礼

ありがとうございます。 なんで、キリスト教では自殺は罪なのだろう。 イエスは、全人類のために、他殺(他力)ではありますが、みずからの命をささげたのですから、自己犠牲は最も尊い愛の形なのではなかりしか。 特攻隊も玉砕も愛するもののために死んだと言う点で、イエスに負けず劣らずの自己犠牲の精神があったのかしらん。その前に、命令で嫌々行ったのが本音かもしれませんが。 私には、あまり、国が自殺者のための対抗策をとっている様にも思えないのですが。社会の急激な変化によって、その軋轢やしわ寄せが、多くの人にとって負担になっているのは間違いないと思う。

  • bunbun04
  • ベストアンサー率13% (77/585)
回答No.2

1、まず自殺に対しての罪悪感が薄いことがあげられます。これは宗教的な縛りがない事があげられます。なお切腹は自殺と言うよりも自らを罰し処刑する意味合いもありますし腹を割って話す(嘘をつかない、身の潔白を示す)の意味もありますので現実逃避的な自殺ではありません。 2、よって自殺文化としては切腹は自殺ではありません。刑罰の一つであり、主張の一つでもあります。ただ、武士道としての切腹は作法の一つですので武士としての文化ではあります。また今風に言う自爆テロ(早い話玉砕戦法や特攻ですが)これは七生報国の精神(七度生まれ変わっても国のために尽くす)を刷り込まれた結果でもあるとおもいます。 死んだら仏さんは、まずは『罪を憎んで人を憎まず』が美談として浸透している現状として死者を敬うこと。もう一つは即身仏でしょう。これは正に自殺して仏さんになろうとする行為(願掛けでもありますが)ですのでそのままですね。

anima-mundi
質問者

お礼

ありがとうございます。 1)宗教的というと、儒教の精神は、自殺を認めているのでしょうか。 切腹に関しては、刑罰によるものは、ここでは自殺と考えない方がいいと思います。あくまで、自発的に行う自死としての切腹です。現代においても、無実の抗議としての自殺は、切腹と同じ意味合いが根底にあるような気がします。 2)切腹は、武士としての文化なのですね。しかし、切腹は自殺ではないと考えるのは、少し無理があるような気がします。自発的な死と言う点で、手段(作法)は違うかもしれませんが、やはり自殺だと思います。 玉砕や特攻は、自発的な意味合いもあると思いますが、命令されて行う意味合いがより強いような気もします。ただ、作戦を滞りなく行ううえで、マインドコントロール的に自死の思想を刷り込まれていたのかもしれません。 死んだらほとけさんとは、一種の平等思想なのかな。死ねば、みな平等にほとけさんになれる。即身仏も確かに自殺ですね。祈りによる自死と言う点で、イエス・キリストの思想に近いのかな。あれは他殺のようですが。

  • globef
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回答No.1

  >1)日本人は自殺が好きなのでしょうか?  好きと言うより責任と取り方の1つじゃないでしょうか? >2)日本人の自殺文化はどのような思想に基づいているのでしょう?  切腹に関しては、「武士道」じゃないかな? >恥の文化?    自殺は、文化じゃないんじゃない? >死ねばどんな悪人でもほとけさん?  宗教的には違うかと・・・(以下 某HPから引用)  死者を仏さんと呼ぶのは一種の婉曲表現であって、 死体とか遺体といった露骨な言葉を避けるために 使われ始めたのであろうが、適切な表現とは思えない。 仏様とは悟りを開いた人を意味しており、 死ねば自動的に仏様になることはない。

anima-mundi
質問者

お礼

ありがとうございます。 1)なるほど、死んで責任を取るというのは, 日本独特のものなんですかね。 2)武士道の思想もその延長線上にあるような気がしますが、果たして… 死んでほとけさんという言葉は確かに、本来のほとけの意味とは違うかもしれません。けれども、養老猛かなんかの本を読んでいると、靖国問題とかは、日本人と中国人で死者に対するとらえ方が違うことから来ると書いてあったような気がします。 日本人は基本的には死ねばチャラで、死人にむちを打つようなことはしない。中国では、死せる孔明、生ける仲達を走らす、といった感じです。この例は、余り適切でないような気もしますが、文化の違いが出ているとも思います。