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折伏・選挙のお願いの仕方(修正)
初めまして。私は創価学会員の2世(両親は幹部)です。今回は折伏と選挙依頼をお願いする際、どのような態度で接すれば、不愉快に感じないか教えて下さい。学会に関しては良い面・悪い面を知っているので、誤解されることが多いです。確かに学会員は相手の幸せを考えての上記2つの事を行います。しかし、一部社会常識が外れた行為に走る方も多く、現在内部でも問題になっております。今回のポイントは会員全員が好きでこれらのことをやっているわけではない、と知っていただきたいことです。つらくてつらくてたまらない人達もいます。その上でのご回答、よろしくお願い申し上げます。
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- mujinkun
- ベストアンサー率16% (336/1986)
会員です。しかも親が幹部。 無理をして、しかも人が嫌がるくらいの勢いでやることはおかしい。 功徳になるような気がして、人のため・・・なんて虫がよすぎるし、そういうところが私が創価学会において直したいことの一つです。 折伏っていうのは、日頃の生活において自分を律しながら人のために働くことだと私は思っています。 「創価学会は嫌いだけど、あなたは好き」 それでいいと思ってます。仏法を体現して生きていく。信頼される。それが折伏だと。 選挙に関しては、あまり信仰と結びつけるものではないと思いますよ。 結局は働いて働いて、人のために動くのは議員たちです。 公明党は学会が作った、理念ある政党のはずですが、絶対ではないのです。 候補を各々がよくよく吟味し、会員が先頭に立って鍛え、議会に送り出すのです。社会全体のために働いてもらうのです。 そこには信仰とは別次元の、厳しい社会があるわけですから、自分の「思い」などを人に押し付けても無駄なのです。 いい議員かどうか見定めて、人に協力を仰ぐ。 当選したらその友人にも議員を充分に使ってもらう。 会員として党を監視していく。 ある意味大変な仕事ですが、会員でもないのに投票してくれる方のことを考えたら当然のことですし、それでなければ公明党はよくなっていきません。 学会で行われているシュプレヒコール的なものは、あくまでも団体におけるノリであって、日々の生活や仏道修行は、平静に、自分のペースで定めていくべきだと思います。 信仰を保ちながら、あるコミュニティーに参加しながら、自分を見失わないというのも重要なことなのです。
1)折伏はどうやっても、相手は不快ですし、迷惑です・・。折伏の意味は、創価さんでしたらご存じだと思いますが、激しく相手をとがめて宗教的誤りを正すことですよね? 誤りをとがめることが前提になっていて来られて、いい気のする人はいません。他の宗教の布教より、もともと折伏の持っている意味が、独善的な感じがありあります。「摂受(しょうじゅ、優しく教える。日蓮聖人に末法の時代には合わないとされましたね。もっとも素直に聞く人にはそのままということでしょうけれども)」という、方法が世間的には歓迎されますが、何が何でも信仰してもらうことが善であるということになると、折伏になってしまいますね。信じない自由を、認めないとどうしても折伏になってしまいます。相手の自尊心をくじきますので、これは難しいです。相手から見たら、最初から自分が上だという態度で来てるわけですから・・。常識はずれの行為は、もっと話にはなりません・・・。 2)選挙以来を宗教団体がすることに関しては、やはりちょっと違和感はあります。それに、自衛隊の海外派遣をめぐる動きを見ても、政策で動いているのではなくて、公明党支持という結論は動かないように、少なくても外からは見えるので、これも良い印象ではありません。自民党の悪口や自衛隊の海外派遣をものすごく悪く言っていた学会員さんがコロッと変わって、支持しているのを見ると、変わり身の速さに唖然としたこともあります。しかし、選挙に関しては道理が聞こえればそれは別に不快ではありません。冷静にきちんと説明できるようにしてくださればいいです。入れてね、入れてねの連呼しかしない人がおりますが、あれは愛想笑いしか返せません。数をこなそうとして、質が落ちているようですが、かえって私などは不信をまします。公明党の政策転換など、質問されたときに答えられるくらいであれば、私的には、聞く耳はありますし、場合によっては入れることもあるかもしれません。ただ、宗教団体が政治団体の下部組織になっているというのは、世間的には+には働きにくいというのはあるかもしれません。あくまでも政策と候補者の人で勝負していただければ、悪いイメージはないのですけどね・・・。 失礼しました。
- wednesday11
- ベストアンサー率33% (71/212)
まず第一に、「相手の幸せを考えて」行う場合でも、相手の承諾がなければすべて迷惑行為であると考えてください。「相手の幸せを考えて」というのは非常に便利な台詞で、それが通るなら「イラク国民の幸せを考えてイラクを攻撃した」とか「日本国民の幸せを考えて原爆を落とした」とか、あらゆることを正当化できてしまいます。 さて「折伏」とは一般に、相手を論破し、有無を言わせぬ状態にして自分の思うがままにすることで、そのため「折」り「伏」せるという穏やかでない言い方になっています。創価学会では入信の勧誘を「折伏」と言うようですが、相手の意思を確認せず、何が何でも入信させようとする態度があるとすれば当然、反感を買うことになります。したがって、 1. 入信の勧誘をしていいかどうかあらかじめ対象者に確認し、断られたら勧誘を開始しない 2. 対象者がすぐに納得してくれない場合、勧誘を継続していいかこまめに確認し、拒否されたらそこでやめる 以上の条件を満たせば不愉快でないであろうと思われます。「入信の勧誘ではなく、教義の説明をしたいだけ」とおっしゃる方も多いと思われますが、その場合も同様の要件を満たしてください。 投票の依頼については、誰であっても自分がいいと思う候補者を他人に推薦してかまわないので、その点は問題ありません。しかし、しつこくしすぎれば迷惑行為になるのは当然です。以前、学会員の大家さんの部屋を借りたことがありますが、顔を合わせたときに「お願いしますね」と言われる程度で、それ以上しつこくされませんでしたので、特に迷惑とは思いませんでした。 また、言うまでもありませんが、自分の思う通りにしないと相手に不利益なことが生じると示唆してはいけません。
- mn214
- ベストアンサー率23% (306/1302)
一般人です。 質問者さんに逆にお伺いしたいことがあります。 (1)「折伏」とは具体的に何をするのでしょうか? これは読み方は「しゃくぶく」でよろしいのでしょうか? 布教活動という意味でしょうか? (2)選挙依頼とはどの政党を応援しているのでしょうか? 日本は政教分離の原則があるので“特定の政党”と“特定の宗教”が結びつくのは憲法違反なのではないでしょうか? 貴方の言う選挙のお願いとは、自民党ですか?民主党ですか?ひょっとして共産党ですか? それとも、もしかして学会として公明党を応援しているのでしょうか? 質問に対する質問になってしまい恐縮ですが、質問の内容が解らない為、以上の件を教えて下さい。
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お礼
mn214様 ご質問にお答えします。 (1)創価学会のHPをご参考になさって下さい。 (入会させるという意味をありますが) (2)公明党が出馬するところは公明党、出ないところは自民党、また自由投票と言って特に選挙活動しなく良い時もあるそうです。(衆参・都道府県・市区町村で選挙の戦い方が微妙に違います。 こんな感じで良いですか?