学会員です。
公明党への支持は、強制でも義務でもありません。
どの立候補者、政党に投票するかは、個人の自由です。
自分の幸せを願ったり実現しようと思う時、
(1) 自分自身の心と体が健康であること、
(2) 自分のまわりの人達(家族、友人、恋人、職場・学校の人達など)も幸せで、彼等との健全な交流や信頼関係があること
(3) 安心して暮らせる家庭環境、住居環境、職場環境、地域環境、自治体、国家、世界であること
の上記(1)(2)(3)が必要です。
したがって、自分の幸せを実現するためには、
自分の住む環境の住みやすさ、暮らしやすさ、自分のまわりの人達の幸福の度合いや人間性がとっても関わってきます。
これらの自分のまわりの存在や環境が自分自身に関係してくることを仏法では「縁起」といいますが、一瞬一瞬の自分という存在(1)が上記の(2)、(3)と絶妙な相互関係、相互依存性の中で成り立っていることはご理解いただけると思います。
もし、中東の産油国で戦争が起これば、原油の値段が上がり、日本に住む私たちの生活も圧迫されることがあります。
世界の貧困をそのままにしておけば、その環境から育って大人になった人達が間違った思想に影響された場合、富裕国を敵とみなして日本にもテロ攻撃をしてくることがあるかもしれません。
近年、世界での様々な出来事は、日本で生活する私たちの生活に大きい影響を与えます。それは、グローバル化が進んだ結果、「縁起」の影響を受けるスピードが早くなっているからとも言えるでしょう。
日蓮大聖人は、時の政治権力者であった北条時頼に対して提出した「立正安国論」の中で、「自分個人の安心や幸せを願うのであったら、世の中の平和や秩序をまずは心から望んでいくべきです」(要約)と書かれております。
<<以下本文(立正安国論31ページ) >>
”汝須く一身の安堵を思わば先ず四表の静謐を祷らん者か”
社会を良くするため、平和な世の中を実現するには、政治の役割はとても大きいので、真剣に政治に関わっていこう、政治が悪い方向に行かないようにしっかりと監視していこうという姿勢が、私たち学会員だけでなく、次の世代をつくりだす大人たち全員に必要な姿勢となります。
上記の理想を実現するために創価学会は公明党をつくり、代表者を政界に送り込みました。
次に、公明党への選挙支援活動に功徳があるか?の問いについてです。
公明党の支援をお願いをする時に、自分が学会員であると打ち明けることが多々あります。
また、創価学会に対する偏見を持っている方に対しては、偏見の誤解を解くために私たち学会員が行っている信仰活動や日蓮大聖人の仏法にについて対話することが多々あります。
これらの対話を通して、日蓮大聖人の仏法や私たちの信仰活動について話をすることは、「聞法下種」と言って”折伏”なのです。
話す相手の方が入会しない限り折伏ではないと考えるのは間違いです。因みに、仏法対話をした相手の方がその対話を通して決意し、入会して信心を始める場合は「発心下種」といいます。
「聞法下種」も「発心下種」も両方とも立派な”折伏”なのです。
相手の方が公明党に一票投じてくれるか否かよりも「聞法下種」の折伏が大切なのです。
折伏に挑戦する人に功徳がないわけがありません。日蓮大聖人が、諸仏、諸天善神(宇宙に遍在する、ありとあらゆる力、法則、働き)が、必ずあなたを守ります。
自分が学会員と知らない相手に対して「聞法下種」である仏法対話無しに、ただ公明党候補者への投票をお願いすることは、ただの一般的な他党の選挙活動と同じです。信仰上の功徳はあまりないでしょう。ただし、応援した候補や党が、上述した(1)(2)(3)を実現してくれる政策を進めてくれるのであれば、1人の国民として、直接的、間接的に政策の恩恵を受けることが出来るでしょう。
もし、私たちが、自分が学会員と知らない相手に対して「聞法下種」である仏法対話無しに、ただ公明党候補者への投票をお願いして、さらに支援した候補や公明党が上述の(1)(2)(3)の実現の為に真剣に政治活動をしなかったり、「生命の尊厳」を守る方向とは違った方向に進んでしまった場合は、信仰上の功徳があまり無いだけでなく、直接的、間接的に「縁起」がまわりまわって最終的に私たちが不幸せになるでしょうし、私たち以外の多くの人たちも不幸せになることになります。
公明党の候補者を盲目的に選挙支援することは、創価学会からの選挙支援を利用して政界に居座ろうとする”偽者”も政界に送り出してしまうことにも成り得ます。
権力とは魔物で、いくら理想高く世の中を良くしようと思っていた人間も、権力に溺れて理想を失ってしまうことがよくあります。残念ながら公明党議員も例外ではありません。
そのような輩は、間違った政策を進める政界のガンとなるでしょう。
叩き出していかなければなりません。
私たち学会員は、応援する党や候補のことを良く知らなければなりません。また、近い将来、私たち一般の学会員が公明党に対する政策の提言を行ったり、公明党の立候補予定者の中から候補者を責任もって選択していくことが必要になるでしょう。
さらに、日本のマスコミの報道の癖(情報リテラシー)、政治の勉強、各党のマニフェストの理解、世界と日本の諸問題等、各人がそれぞれのレベルで勉強をしていくことも必要となるでしょう。
その上で、どこの党や候補を応援するか自分で決めていける、正しいものを見極める目を(勿論それが最終的に公明党であることを望みますが)、この日蓮大聖人の仏法で共々に磨いていきましょう。
繰り返しますが、公明党への支持は、強制でも義務でもありません。
どの立候補者、政党に投票するかは、個人の自由なのです。
もちろん、公明党の選挙応援をしないと罰があたるなんていう考えは大間違いです。公明党がおかしいと思えば、遠慮なく「ノー!」と言って下さい。それも私たちの責任です。
お礼
krya1998さんのご回答の場を借り手ですが皆様に感謝したいと思います。 宗教というものは私にとって不思議なもので、私自身信じている宗教にも関わらず時に確信をもてなくなります。 IVDさんの明確なご回答に感謝しつつ、これに対する意見も聞いてみたいです。 ここでは質問を打ち切らせていただきます。 ありがとうございました。