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エサを「あげる」、「やる」。あなたは、どちら?
今朝、車を運転中「NHK第1」を聞いていたら、女性アナウンサーがスズムシにエサを「あげる」と言ったところ、男性アナウンサーが、虫どもに「あげる」とは言わない、「やる」です、と訂正しておりました。 確かにその通りで、昔から言われているようにスズムシや犬猫にエサは「やる」が正しいと思います。 が、愛犬、愛猫に実際「やる」と言っている人はいるでしょか?殆どの方は、人に対してと同じように「あげる」と言っていると思いますが、皆さんは如何? ちなみに、憎らしい人(犬猫ではなく、人)には逆に動物扱いをして物を「くれてやる」なんて言いますよね。 犬、猫、スズムシに対しても「あげる」という言い方がぼちぼち市民権を得てもいいと思うのですが・・・・
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- endersgame
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なんだか、難しいお話も出ていて今更参加するのも気がひけるのですが、ご質問の部分にだけ回答してみます。 >が、愛犬、愛猫に実際「やる」と言っている人はいるでしょか?殆どの方は、人に対してと同じように「あげる」と言っていると思いますが、皆さんは如何? その場の雰囲気でまちまちです。 「あげる」とつい使ってしまうこともあります。 が、市民権を得てもいい、とは思いません。 TPOで使い分ける、というのが妥協できるところでしょうか。 ドラマで「あげる」というセリフを使うこともあるだろう、とは思いますが、アナウンサーによるコメントなどは、「やる」として欲しいです。 どうも子供の言葉のような気がするので。 これは、他人に対して「父」「母」といえず、「うちのお母さんが・・・」なんて言っているバカモノ・・・いえいえワカモノに、頭痛を感じてしまうのと同じ理由かもしれません。♯個人的な感覚です。あまり突っ込まないようにお願いします(^^ゞ (↑この質問内で「♯」や「(^^ゞ」を使用するの、一瞬躊躇しましたが、敢えて使ってみました。これも日本語崩壊ですよね・・・)
私如きが立続けに申し訳ないのですが、解答(とは言えないものだけれど)を灰のままにしておきたくないので付け足し。 日本語には擬人法というものがあるから“あげる”でも別に良いのではないでしょうか。
先に言っておきますが、私は皆様の様に言語に長けてはいませんし、“正しい”日本語が使える訳でもなく、どちらかと言えば間違ったものを使っている部類に入る人間ですので。妙な言い回しや発言があっても目を瞑って頂きとう存じます。 (いや、こうでも断わっておかないと、一般人が答え辛い雰囲気にあるので…) まず、octagonさんが本来なさった質問について。 我家では猫2匹+犬1匹+金魚3匹を飼っていますが、全てにおいて「あげる」です。しかも、「餌」でなく「ごはん」です。他のことにおいても、多く、人間と彼等とに差はありません。 それは自分の家のペット(実はこの言い方も好きではない)だからだろう、とお思いかも知れませんが、私の場合、他人の家のペットだろうが、野良だろうが、仮定の上だろうが、全く同じことが言えます。 故に、「あげる」が市民権を獲得しても何も問題はないと思いますが、別に「やる」を完全否定している訳でもありません。 何だか白黒はっきりしない、灰な言い方ですみません。 只、こういう奴も居るんだ、と参考になれば良いなと思いまして。 公衆の場でどちらを使うべきか、と問われても私は答えられません。 …「どっちでも良かろーが」では駄目ですか?(駄目だろうな) 私の気になる現代の日本語は ・ら抜き言葉…ミ○ストップのCM、“喋れる 食べれる”の“食べれる”は毎回不快に思う。が、語呂(リズム)の良さを思えば仕方がないのかな、と諦める。 ・~じゃないですかぁ…知らねェよ、そんなこと! と蹴りたくなる。大の大人が使っているのを見る(聞く)と、「最近の若者の言葉遣いは…」なんて宣うな! と腹がたつ。 ・~的(時と場合による)…正しい使われ方(私の思う“正しい”は、「~の様な」に言い換えられる場合)ならば良い。「私的にはぁ~」は怒りも頂点に達する。 ・全然+肯定…特に「全然OK」は、お前何人だ!? とつっこみたくなる。でも芥川も夏目も石川も好きだしなぁ…。 ・微妙…決めかねる問題に直面すると言い出す。これも場合によっては許すが、しかし、何でも「微妙」と言うのはどうだろう。自分の意見がないみたいで良い印象は残らない。 あらら。思えば、本当は“宣う”は尊敬語だし、“お前”は敬称だったのですから、これ等も現代になって意味が変わった語ですね。 それでは、戯れ言が長くなってしまったので、お終いにさせて頂きます。
お礼
>私の気になる現代の日本語・・・云々 全く同感で私も不快に感じます。 ただ、こういった種類の言葉は今ほどマスメディアが発達していない時期は、それを使う年代、地域が限られていて、日本国中の人が誰でも耳にする機会が無いうちに時期がたてば自然消滅したりしたものが、今は殊にテレビの発達によって聞きたくなくとも耳に入ってくるので、使っている者がごく一部でも頻繁に感じ、耳障りになるのでしょう。 そして皆がテレビ等で見聞きするうちに、それが段々流行っていき、定着してしまうのでしょうか。 また、話し言葉のみならず、書き言葉にしても、変体仮名を使っていた頃の人が、もし現在の、この「ひらがな」を見たら絶句するでしょうし、そこまで古くなくとも「~でせう」「~ませう」に慣れ親しんだ人もその変更の当初は怒り心頭に発したことでしょう。 かように、話し言葉も、書き言葉も自分の好むと好まざるとに係わらず、変わっていくものだ、と納得する事にしました。 尚、「全然」については私もhuanさん同様、否定のみだと思っておりましたが、#10 amajunさんや#13 sesameさんの参考URLで、それが間違いである事を知りました。 ご回答、どうもありがとうございます。
補足
質問の性質上、及び各ご回答の優劣付け難く、ポイントの計上は今回控えさせて頂きました。ご了承下さい。
- siam_22
- ベストアンサー率50% (2/4)
私も「○○は誤用だ」という言い方には疑問を持ちます。 文法あっての言語だと勘違いされていらっしゃる方が多いのでは? 言語あっての文法ではないのでしょうか? 言語は人間が使うものであって、言語に使われているわけじゃないと おもうのです。学校で教えられている国語の文法だって、 おかしな点が多いと思われませんか?例えば「副詞」って 何なんでしょう。一般的には動詞を修飾するものとされていますが、 私には他のカテゴリーに入りきらなかったものをかき集めたものの ように思えてならないですし…。 学校で先生が指導書の元で教えているものが全て正しいとは 限らないですよ。それに何も疑問を持たずに信じきっている人のほうが 私はおかしいと思うのですがねえ…。 だから、というわけでもありませんがあと100年くらいたったら 「餌をあげる」のほうが主流になってるかもしれないですよねえ。 だってそういう社会(ペット様)になってるかもしれないですし。 こういう議論が持ち出される事自体が、その「あげる」が「市民権」を 獲得しつつあることのいい証拠なんじゃないですか? と私はおもうのですが。いかかでしょう。
お礼
>あと100年くらいたったら「餌をあげる」が主流・・・ >そういう社会(ペット様)になってるかも・・・ >こういう議論が持ち出される事自体が・・・「市民権」を獲得・・・ 本当に私の思うところを代弁頂いているようで、恐縮です。 ありがとうございます。
補足
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- kobecco
- ベストアンサー率44% (94/213)
#13の「専門家」という人物は、果たして何の「専門家」なのでしょうか。 私たちから取った税金を使って「国文学」でもご研究なさっている大学教授様なのでしょうか。 今の一般国民のことばの用法を議論しているのに、気が狂って70年も前に自殺した「芥川龍之介」の作品を引用して、「否定表現を伴わないで『全然』を用いるのは『誤用』である」という私の意見を「全くの誤解に基づくものです」と断言しています。 まあ、世間には「偉大な学者さん」がいらっしゃるものだと、つくづく感心しました。しかし、その実態は、単なる「回答マニア」に過ぎないらしいことも分かりました。 この「回答マニア」も#10の一般人と同様に、その文学的知識を披露して、一体どういう結論へと話を導きたいのでしょうか。 それにしても、こうした人種が21世紀のわが日本国に存在することを、このOK Webで知り得たのは大いなる収穫であり、言いようのない失望でした。
- sesame
- ベストアンサー率49% (1127/2292)
octagonさんのご質問の趣旨から完全に外れてしまうので恐縮ですが、誤った知識が広まってしまうことを危惧するので、一言申し添えます。 >>否定のことば(「ない」など)を伴わずに「全然」ということばを使う これを「誤用」とされている方がいらっしゃるようですが、No.10の方が訂正なさっているように、これは全くの誤解に基づくものです。 以前に述べましたのでここでは繰り返しませんが、詳しくは参考URLの回答をご一読ください。 現在の日本語の乱れを嘆く方が見受けられますが、そうした方々が、いつの時代、どこの地域、どういう階層の人々が使っていた言葉を正しい日本語としているのかわからないのも不思議なことです。
お礼
sesameさんの示して下さった「参考URL」、参照させて頂きました。 先のお礼の欄にも書きましたが、私も当初「全然」は否定の場合に使うものだとばかり思っておりましたので、大変参考になりました。 そして遅蒔きながら手元の「広辞苑 第四版」「大言海」(これは肯定だけでした)「新明解国語辞典 第四版」「大辞林 第二版」を引いたところ、「全然同感です」「全然いい」などの用法が出ておりました。 「全然」のみならず、「とても」、「ら」抜き言葉など、おっしゃるとおり言葉は時代、地域、年代、階層によって使われ方が異なり、かつ変化していくものなのでしょう。 「拙者、~でござる」の時代に「僕は~です」とは言うべくも無かったし、又その逆に現在「拙者、~でござる」もまずないでしょう。 どうもありがとうございます。
補足
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- kimgwa
- ベストアンサー率33% (159/476)
再びkimgwaです。 「こだわる」はある料理漫画が引き金になって、「こだわりの食材」とか「こだわりの店」とか「こだわりの宿」とか「~にこだわって」とか、いい意味に使われていますが、本来は、辞書でも分かるとおりどうでもいいことに執着する、というよくない意味です。 この言葉が平気で世の中を駆けめぐっているのが私には気になってしかたがありません。 まあ、いい意味での「こだわり」に代わる単語がなかなかないのも事実ですが。 本来の質問からははずれてしまうので、これで失礼します。
お礼
#7での「こだわる」の使われ方の意味はそういう訳だったのですか。今まで、何の抵抗も無く耳に入っていましたが、本当だ、おっしゃるとおり、確かに変ですね。 ありがとうございます。
- kobecco
- ベストアンサー率44% (94/213)
現在のことばの用法を議論しているのに、明治の文豪の例を引用して、一体どういう結論を導きたいのでしょうね。おそらくは、ご自分の素晴らしい文学的教養を世間にご披露したかったのでしょう。 ことばが時代とともに変化することぐらい、誰でも知っています。だからと言って間違った表現をそのままにしておいて良いはずはありません。殴り殺したいと思われたくなかったら、そんな表現は使わないことです。 さらに、自分の使っている言葉(単語)が、全国的に通用するのか、それとも方言なのか分からないことが多いのは当然です。ここで問題にしているのは、言語のプロである放送局や新聞社が、全国向けに東京「方言」を無意識に使っているという「事実」です。 これほどまでに、日本語がその崩壊速度を速めているのは、マスコミ特にテレビの影響が大きいことは言うまでもありません。日本のテレビは、チャンネル数が増えても、放送内容は、そのほとんどがナンセンスものばかりです。 つまり、麻薬中毒や毛唐(けとう)かぶれの不良芸人によるアホ話番組がほとんどです。そして、こうした番組でないと、視聴率が上がらないのですから、言うまでもなく、これは日本人の頭脳レベル低下の表れです。 日本語崩壊のもうひとつの深刻で重大な原因は、小学校での言語教育の貧困さです。「見られる」を「見れる」と何の違和感もなく言ったり、やたらに「とか」という単語を会話の中に入れる現象は、小学校時代の言語に対する「しつけ」のなさから来ています。 こんなものは、成人してからは絶対に直りませんので、日本全体として正しい日本語が復活することなどあり得ません。こうした流れを、「ことばは時代とともに変化するものだ」などと容認している寛大な(私に言わせれば無神経な)人種が増殖しつつあることに、危機感を覚えるのです。 とは言え、私もこれから先、そう長くこの地球で生きて行けるわけではありませんから、昭和20年の屈辱以後アメリカの属国に成り下がった日本の言語構造が、5年後・10年後に一体どうなるのだろうと、危機感を覚えること自体が無駄なことも十分承知しています。
芥川竜之介は大正時代の終わりに、「とても」という言葉は本来否定を伴うはずなのに最近では肯定の意味で使われるようになってきた、と指摘しています。また、柳田國男は「とても寒い」という言い方に驚いたという記録もあります。さらに「全然」を肯定に使う用法は ・芥川竜之介 ・森鴎外 ・夏目漱石 ・志賀直哉 ・石川啄木 らの作品中に見られます。これを殴り殺されちゃあ、あんまりです。 何が言いたいのかといえば、言語というものはその時代の事象を表現する道具ですから、時代によって変化するのは仕方がない、というか変化を押さえつけるのは不自然なんじゃないですかね。 さらに我々は、自分が育った時代や地域を絶対的な標準だとみなしがちです。私なんか東京の人間ですから、野球中継で「[ど真ん中]に[放る]」なんて聞いたら「全国放送で関西弁を使うのはケシカラ~ン」と思います(大げさ)。「全然+肯定」については、たしかに内心では抵抗ありますが鴎外や漱石を差し置いてこちらこそ正しいと言い張る度胸はないですね。いや~、どちらが「正しい」んでしょうねえ。 とか言いつつ、最近ちょっと気になるのが「すごい」を副詞的に使うひとびと。「すごい大きい」「すごい驚いた」とか。でもこれも遠からぬうちに標準日本語になるのでしょう。
お礼
「全然」を彼の文豪、歌人が肯定に使っていたとは知りませんでした。否定に使われるべきものとばかり思っておりました。 また#7 kimgwaさんが新潟では「やる」が「差し上げる」意味であるとのこと。 更に#8 001さんが国立国語研究所で、「言葉は生き物云々」と言われたことなど、言葉は少しずつ変わっていって当たり前なのでしょう。 私の嫌いな「~的」もNHKのニュースで「将来的には~」と言っているのでNHKに電話し、何故「将来は~」ではないのか、そのうち「現在は~」「過去には~」ではなく「現在的には~」「過去的には~」と言うのかと正したところ、なんとか委員会に諮ります、といっておりましたが相変わらず使用されているところをみると、これこそ市民権を得てしまったようです。 そういえば、昔、Have you ~?と習ったのに、今はDo you have~? だし、I'm glad to see you. が、Nice to meet you! だし、何語に限らず時代とともに変化して行くのでしょう。 ながなが失礼致しました。いろいろ気になったもので。
補足
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- kobecco
- ベストアンサー率44% (94/213)
要するに、こうしたことまで議論の対象となるぐらいに、日本語は崩壊しつつあるのです。 他人との会話で、自分の子供にお菓子を「あげる」と言ったり、動物にエサを「あげる」と言える神経が、私には全く理解できません。両方とも「やる」と言わなければなりません。 とりわけマスコミは、日本語を正しく使うよう努力すべきですが、現在のマスコミ各社にそのような使命感がないのは、私が指摘するまでもありません。 かつては、話し方の模範であったNHKのアナウンサーの言葉使いの乱れようは、このご質問のきっかけとなったように、目を覆うばかりです。 さらに、東京(関東)方言を標準日本語と勘違いしている放送局や新聞社が多くて、苛立ちを感じます。一番の例が、「落とす」を「落っことす」、「落ちる」を「落っこちる」と言ったり、「分かりにくい」を「分かりづらい」と言ったりします。そして、こうした方言を、何のためらいもなく全国に放送し、全国紙に書いているのですから、マスコミ自体が、日本語の崩壊の先導役をしているようなものです。 NHKも含めて、テレビに出演している不良芸能人の日本語(と思われる言語)などは、もう聞く気にもなりません。ただ腹立たしいだけです。 最も気がかりなのは、こうした「誤用」の「常用化」です。 つまり、間違った表現なのに、あまりに多くの無神経な人種がその表現を使うことで、やがて一般化してしまうのです。例えば、否定のことば(「ない」など)を伴わずに「全然」ということばを使う人が、若年層だけでなく老人にも多く見受けられるのには驚いています。「全然平気です」などと言うのを聞くと、いきどおりを通り越して、殴り殺してやりたいほどです。
お礼
ありがとうございます。 おっしゃるとおり、他人との会話では「やる」が正しい言い方ですが、#4 cotton100さん、#5 minatouriさん、#6 kerorineさんの言われる、家庭内で、愛犬、愛猫、愛兎(?)に向かっては「あげる」が飼い主にとっては妥当な言い方かと考えます。 閑話休題。「全然」は私も気になりますが、私の一番の気掛かりは今流行の「~的」です。 テレビの街頭インタビューに若い女性が答えて「私的には、独身じゃないですか」! 「私は独身です」と言えず、また初めて会った人に「独身じゃないですか」と念をおされても、そんな事は初めて聞いたことですから分かるわけが無いし、何たる言い方かと思いました。そういえばゴルフの中継で、評論家がドライバーのショットを評して「距離的に距離が出ましたねー」と言ったのには腰を抜かしました。
補足
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お礼
ありがとうございます。 >「うちのお母さんが・・・」 ほんとにそうですね。 そして今回皆さんからいろいろご回答を頂き、つらつら思うに、例えば#3 ebisenさんの回答中に阿川弘之が自分の子供に向かって「犬に餌をあげる、子供にミルクをあげる、などとお前ら絶対に言うなよ、犬も子供も『やる』だ」と言った時代は、父権がちゃんと尊ばれていた時代だったからこそ、そう言った(言えた?)のでしょう。家の中では父親がダントツに偉い! だから子供に向かって「お前ら」と言うし、従って、犬は勿論子供にも「あげる」ではなく「やる」と言い放てたわけなのでしょう。 現在はそういった時代ではないし、それなりに言葉も変化して行く、と考えます。 大勢の方から、貴重なご意見をありがとうございました。 尚、質問の性質上、及び各ご回答優劣つけがたくポイントの計上は差し控えさせて頂きました。ご了承ください。