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おかしくないですかこの日本語、小学校2年生の算数の問題。
今日うちの息子が、算数の問題で「105円のえんぴつをかっておつりが96円でした。はじめになん円はらったのでしょう。」という問題で「9円」という答えを書いて間違っていました。答えは何なんでしょう。それにこの日本語はおかしくないですか。
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みなんさん,いろんな答えをされていてとても面白く読ませて頂きました。そして,私もいろんなことを考えました。 「105円のえんぴつをかっておつりが96円でした。はじめになん円はらったのでしょう。」 という質問は,大人の常識から考えれば105円を払うのに201円を払う人はまずいないと考えるために,この問題はおかしいと考える人が多いですよね。 それと「はじめに」ということばが書いてあることがおかしいと。 しかし、 #18のsongbookさんのように >普通、こういう、貨幣を扱うような問題のときは、それらの可能性を考え、出題者は慎重に問題文を作ります。ですからこの問題は、ミスプリントでない限り、「悪問」であります。世の中には、そこかしこに悪問があります。そういう問題に出会ったとき、私はうちの子に次のように言っています。 「これは問題が悪い!考える価値もないし、間違っていても気にする必要はない!」 大人がそれを「悪問」と決め付け、「これは問題が悪い!考える価値もないし、間違っていても気にする必要はない!」と言ってしまうともうそれ以上学ぶことは何一つないと思います。 また#10a375さんのように >他の回答者の方々が、申されておられるように201円が正解ですが、私はNo.6のお方様のご意見に大賛成で、社会生活をしっかり送っておられるお子さんであればあるほど問題を解く前にNo.6のお方が申されているような考えに気持ちが行き、挙句の果てに気持が散漫になり算数嫌いを生じさせてしまいそうですね。何を隠そう私がそうでしたから。 これがもとで算数が嫌いになってしまうことはないと思います。それはこの問題を元に、いかに次に発展させていくかによって算数が嫌いになるどころか算数を好きにさせてしまうことだってできると思うのです。 その問題から次に大人がどう子どもに問いかけ、次に発展させていくかによって、これは算数の問題だけれども、実はそこから国語(ことば使い)や社会の勉強にまで発展させていくことが出来ると思います。 大人は大人の考え方で物事を考えますが,例えばこの問題を子どもにやらせてみて,答えが201円と出たとして 、「でもね、この問題どこかおかしいと思わない?」と問うてみるのです。すると、「105円のものを買うのに普通は201円は払わない。」と子どもも気がつくかもしれません。でも、さらに「でもね、じゃあ、201円払うことは絶対にあり得ないのかな。あり得るとしたらどんな場合かを考えてみようよ。」と問うてみるのです。すると大人の発想では考えられないおもしろい発想もでてくるかもしれません。そこでそれを作文に書かせてみたり、物語を書かせれば国語の勉強にもなります。 そして、さらに「じゃあこの問題は算数の問題としてはいいのか悪いのかを考えてみよう。」と問いかけてみるのです。すると、こどもから、いいという意見と悪いという意見といろんな意見が出てくると思います。さらに、算数では同じように実際にはほとんどありえないのに計算だけさせる問題があることに気がつくこともあるかもしれないし、そういう問題をさがしてくるかもしれません。 私は子どもがいないので直接子どもに聞くことはできないので残念ですが、ぜひ、お子さんがいらっしゃる方やってみてください。 oanusさんのお子さんは小学校2年生だそうなので、私が書いたことをさせるのは無理かもしれません。質問の答えにはなっていなかったかもしれませんが、oanusさんの問いかけによって私はいろんな人の意見や考え方を聞くことができ、そして私もこのことについて自分なりの意見をまとめることができました。このような実際にはほとんどあり得ないような問題も算数や数学には実際にあるのだろうと思います。しかし、その時に大人がおかしいと決め付けてはねのけてしまうのではなく、おかしいのならどこがおかしいかということを考えさせるのも私はまたひとつの勉強だと思っています。 わたしの考えでは、この問題がおかしいかおかしくないかは考え方によっておかしいといも言えるし、別の考え方にたてばおかしくないともいえるし、どちらともいえないです。「はじめに」ということばはたしかにまぎらわしいし、そのことばがないほうがわかりやすいですが、だからといって完全にまちがえといって いいものかどうか、わたしにはわかりません。(国語の先生教えてください。) ちなみに以下の文は、私が最初から201円を払うこともあり得ると考えたシナリオです。(かなり無理していますが) 「たとえば,小さな子どもが5円玉と1円玉を集めていて小さな入れ物に入れておきました。ある時,鉛筆が欲しくなってお母さんに「あの鉛筆が欲しいんだけど私がためたお金で買えるかな?」と聞くとお母さんは買えるかどうかじゃあお店に行ってみようとお母さんと一緒にお店に行きました。その子はお店の人に「この鉛筆をください。」 と言い,そして小さな入れ物に入れてあったお金を全部差し出しました。お店の人はお金を全部数えていきました。すると全部で201円分あったので,おつりとして残ったお金をその女の子に渡しました。」 そのお母さんが家でその子といっしょにお金を数えてから店に行ったらこんな話は成り立たないかもしれませんが,その子がまだお金を数えられないこどもで,とにかくお母さんといっしょに店に行って物を買うときにはお金が必要なんだと言うことを教えるために(自分のためていたお金を渡すということを教えるために)そうしたと考えるならば全くあり得ない話では無いと思います。 さらに皆さんのいろんな意見や考え方をお聞きしたいです。 追伸 #18のsongbookさん、#10のa375さん、別にお二人のことを批判しているわけではありませんので気を悪くしないでくださいね。
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- banana777
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質問から回答がずれはじめていると思いますが? 質問者さんはこの問題の答えと日本語がおかしいかどうかを求めています。 みなさんのおっしゃることはごもっともです。 自分も子供がいるので同感です。 しかし、こういう問題がでているのは事実です。 国語の時間でなく、生活の時間でもなく 「算数の時間」の問題なのです。 学校の授業というのは、実際の生活に即してないものもたくさんあります。 それを実際の生活にあてはめていくのは家庭での作業だと思っていればこの算数の問題もなんてことないと思うのですが。 どうころんでもこの答えは201円であって、9円にはなりません。それが算数なのでは?
- puni2
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なかなか興味深い問題ですね。 私は,No.20の回答+解説を読んで,非常に説得力あるものと感じました。 書き方も穏便なもので,他の回答に対する「批判」というよりも,「この問題はおかしいという意見がありますが,こんなふうに考えることだってできるんですよ」という提言と呼ぶ方が妥当に思われます。 このような十分な配慮のある回答を書いても「批判」と見なされて叩かれてしまうのだったら,「この問題文はおかしい」という結論の人しか回答できないことになってしまうのではないでしょうか。 まして,「あなたのご意見は全般に絵空ごとに聞こえます。」と書いておきながら,続けて「この意見は決っしてあなたを批判する積りではありません」とはなんでしょうか。「絵空事」って,ほめ言葉に使うでしょうか。 ここのサイトでは,回答者本人の申し出により,または管理人の判断により,回答を削除することもありうるのですが,どうか削除されることのないように願います。 No.21: >殆ど回答が出尽くした後で、 出尽くしているとは思われません。 結論が出ている問題を蒸し返しているのならこのような批判も当たるでしょうが,No.20の回答には新たな視点,新たな示唆が含まれています。 No.18: >世の中には、そこかしこに悪問があります。そういう問題に出会ったとき、私はうちの子に次のように言っています。 >「これは問題が悪い!考える価値もないし、間違っていても気にする必要はない!」 一般論としては私も同感です。ただし,この問題がそれに該当するかは議論の余地があると思います。 さて,感想はそのくらいにして,元の質問に戻りますが >答えは何なんでしょう。 こちらの結論は201円でよいとして, >それにこの日本語はおかしくないですか。 文法的にはおかしくないでしょうから,あとは,シチュエーションとしてどうかという問題になると思います。 実際,子どもをお使いにやらせると,よくわからないで財布の中身を全部出して渡す子どもって,たまにいますよね。 「初めに」があるから複数回支払っているのだ,という意見がありましたが,この問題の場合,「初めに」を取っ払って「何円払ったのでしょう」だけにしてしまうと,「105円」も答えになってしまいそうです。 それをふせぐため,「おつりを受け取るという形の精算が行なわれる前の段階」という意味で「初めに」をつけたのでしょう。 つまり,「初めに」201円出した。 「次に」おつりの96円を受け取った。 「結果として」105円分を支払った。 という意味での「初めに」でしょう。 2年生で,「はじめに」という部分を見て,複数回支払ったと思う子はあまりいないのではないでしょうか。 まあ,わかりにくいのは確かかも知れません。 こんなふうに直してみたらどうでしょうか。 「こどもが105円のえんぴつを1本買いました。財布から何円かお金を出して店員に渡したら,おつりが96円返ってきました。この子が渡したお金はいくらでしょう」 うーん。やっぱり「最初に渡した」と入れたくなるなあ。 「この子が渡した」だと,最終金額のニュアンスを払拭しきれません。 やっぱり,「財布の中」という言葉を使った,No.18で示された案のような表現のほうがベターに思われます。 >こんなまだろっこしい文章の問題、小学2年生にはふさわしくありませんよね。 とありますが,そうでもないと思いますよ。 No.20: >実際にはほとんどあり得ないような問題も算数や数学には実際にあるのだろうと思います。 >しかし、その時に大人がおかしいと決め付けてはねのけてしまうのではなく、 >おかしいのならどこがおかしいかということを考えさせるのも >私はまたひとつの勉強だと思っています。 全く同感です。 算数の問題では,練習のためということで,あまりリアルな状況ではない問題もありますが,それが気になる子もいれば,計算練習と割り切って特に気にせず解ける子もいるでしょう。 気になる子がいたときに,まわりの大人(先生も含め)がどう対応するかが大切なのだと思います。 もちろん,だからといって,どんなに変な問題でもかまわないと言っているわけではありません。ただ,今回の問題は許容範囲のように私には感じられる,ということです。 こういう書き方をすると,自分は気にならないタイプの子どもだったと思われるかも知れませんが,実は逆でした。 「時速40kmで走るといったって,いきなり40kmになるわけはなく,徐々に加速するし,途中に信号もあるだろう」とか,時計算では「たいていの時計の針は1秒に1回しか動かないので,スムースに動くという注意書きが必要なんじゃないか」とか,妙なところにこだわっていました。 でも,いつの間にか,「最初のウチは練習なんだから仕方がない」「細かいところにこだわった,もっとリアルな計算は,難しいので,もっと学習が進んでからのお楽しみにとっておけばいい」と思うようになりました。 何がきっかけでそう思うようになったのか,はっきりとは分かりませんが,「問題が悪い」「考える価値はない」などと言われたことはありません。 もし言われていたら,「なんで算数はそんな無意味なことばかりさせるんだ」と,よけいに算数が嫌いになっていたと思います。
- tanita530
- ベストアンサー率19% (9/47)
NO20a375様へ 不快な思いをさせてしまい申し訳ありませんでした。 自分の書いたものを消してもう一度載せたいですが、もうそれはできないのですよね。いやな思いをさせてしまって本当に申し訳ありませんでした。このサイトは議論する場ではないことはわかっていますし、他の人の意見とも議論はしてはいけないのですよね。ですから私の意見だけを言えばよかったです。 こんなことをここで書くべきではないこともわかっていますが、このことをNO20a375様へ伝える方法がこうする以外にないので。
- a375
- ベストアンサー率30% (439/1421)
No.20tanita530様 ご批判は、ご自由ですが、殆ど回答が出尽くした後で、他者の回答にもの申されるのは如何かと存じます。ジャンケンの後だしそのものですし、このサイト のポリシーにもそぐいません。批判でないと申されるなら名指しはハンドルネームであっても控えるのが、礼儀でしょう。他者の回答を批判ではないと言いながら、ご自分の意見に汲みしない旨の例とされるのは 批判以上のものが感じられます。因みに、あなたの ご意見は全般に絵空ごとに聞こえます。この意見は決 っしてあなたを批判する積りではありませんのでお聞き流し下さい。
こんばんは。 私もお邪魔させてください。 先ほど、私の二人の娘(小5・3)にこの問題をそのまま私が紙に書いて解いてもらいました。 「ひっかけ問題やーん!」と言って解きました。 105+96=201と解いてました。 ただ、日常生活では201円を出すことはないですね。 問題として訂正するなら、 「105円のえんぴつをかっておつりが96円でした。えんぴつをかうのになん円はらったでしょう」 と、『はじめに』を『えんぴつをかうのに』と問題を丁寧に書いてあればおかしくなかったのかもしれませんね。
- songbook
- ベストアンサー率36% (334/910)
何をどう考えても、出題のどこかにミスがあるとしか考えられません。 多くの方が仰るとおり、単純に計算すれば、201円ということになりますが、105円の鉛筆を買うために、百円玉2枚と1円玉1枚を出すような人はいません。 「105円の鉛筆を(1本)買ったら、財布の中には96円残っていました。はじめ、財布には何円入っていたのでしょう。」という問題文ならばわかりますが、こんなまだろっこしい文章の問題、小学2年生にはふさわしくありませんよね。 普通、こういう、貨幣を扱うような問題のときは、それらの可能性を考え、出題者は慎重に問題文を作ります。ですからこの問題は、ミスプリントでない限り、「悪問」であります。 世の中には、そこかしこに悪問があります。そういう問題に出会ったとき、私はうちの子に次のように言っています。 「これは問題が悪い!考える価値もないし、間違っていても気にする必要はない!」
- mo-ri
- ベストアンサー率26% (36/135)
小学二年生の子どもがいます。 先日 宿題のプリントに 370円のまんがと210円の本をかいます。800円だすとおつりは何円でしょう とありました。 でも580円のものを買うのに800円は現実では出しませんよね・・。 応用問題って事で そういうありえない金額の質問の仕方をするのでしょう。 金額はともかく 質問文としては不思議に思いませんでした。 ちなみに その時の宿題は 理解できず 私が絵にかいて説明し やり終えました。 ここに書かれた例題は その時ちゃんと 理解できるようになったのか答える事が出来ました。 高校生の頃 先生に『お前は国語は出来るのだから数学も出来るようになるはずだ』と言われました。(出来ていなかったので) また 姉(先生)に先日の宿題のことを話したら 今の小学生って そういう子が増えたよと言っていました。やはり 読解力がないから 問題文が理解できず つまずくそうです。 という事で 読解力をつけるとよいと思います。(姉は本の読み聞かせをもっとするようにと言いました)
- a375
- ベストアンサー率30% (439/1421)
回答No.13mamaharuko様へ 多分私の回答をご覧になられ、複雑なお気持にちならたと存じます。若し、そうであれば、私の拙い文章の所為です。お心を傷つけたのであれば、誠に申し訳なく、深くお詫び申し上げます。私の体験を記したまでで他意のなき事をご理解いただければ幸いです。 a375拝
- hirona
- ベストアンサー率39% (2148/5381)
問題に使われている数字は不思議だと思いますが、日本語はおかしくないと思います。 まあ、数字が不思議だから、日本語もおかしく見えますが。 つまり、最初に201円を払ったけど、買った鉛筆は105円だったので、おつりは201円-105円で96円だった。 だから、始めに払ったのは、105円+96円=201円。 始めに払った金額を聞いているのですから、「105円を出して、96円のおつりなら、品物はいくらか」という問題ではないので……。
- keiryu
- ベストアンサー率31% (46/145)
ちょっとお邪魔虫しますね。 これは単なるミスでしょう。先生に連絡するといいと思います。 「特売で、105円の鉛筆を96円で買いました。いくら安く買えましたか。」程度のつもりで作ったものでしょう。先生忙しいから間違っちゃったのですよ。 ところで以下、駄文の蛇足を長々と書きます。 だいたい、算数の問題は日常に引き戻して、作らざるを得ない制約があって、どうしてもぎこちない日本語になりがちです。 2年にこんな問題がありました。 「バスに何人か乗っています、5人降りたので、今バスには、8人乗っています。はじめに何人乗っていましたか。」降りたという言葉にとらわれると、 8-5と計算し、3人となりますが、これは、足し算で13人が正解ですよね。日常的には、13人乗っていて、8人降りたとするのが自然ですよね、でも、算数ではこんな問題があり、これを日本語で言い表すと日本語として、ちょっと違和感がある文が出来上がります。仕方ないです。だって、日常の事を基にして考えたがよくわかるという、信仰にも似た思いがわれわれの心にあるから、どうしても、算数の材料を日常らしき場面に仮託して、問題を作るからこうなります。 6年にこんなのもあります。4/5平方メートルの畑に2/3キログラムの肥料をまきました。1平方メートルあたりの、肥料の重さを求めなさい。場面は畑仕事という日常ですが、こんな広さの畑に、こんな重さの肥料をまくなんて事はないでしょ。大雑把に、手でつかみ、おおよその数量を撒くのが普通です。算数は、いかにも、身近な出来事を装いつつ、そのじつ、仮想空間の出来事を考えているのです。ありもしない出来事を記述するからどうしても日本語としてぎこちなくなります。 最後に一つ、 「校庭の隅の鳥小屋に、インコ12匹と十姉妹9匹が入っています。みんなで何匹ですか?」 12+9=21とやった人は間違い。 だって、インコと十姉妹をみんな合わせても、やはり、インコ12と十姉妹9であって、21と言っても意味はないです。個別の鳥を合わせること自体ナンセンス。 でも、 「校庭の隅の鳥小屋に、インコ12匹と十姉妹9匹が入っています。鳥はみんなで何匹ですか?」とやったらどうでしょう。インコといった個別の鳥ではなく、この手直しされた上位概念としての鳥とやれば、12+9でもよさそうです。 こんな例はいくらでも算数にはあって、 「300円持っていって、160円のスナックを一つ買いました。お釣りはいくらですか?」 普通は、300-160ですね、 でも、日常だったら、200円しか出しませんから 200-160が正解です。 こう考えれば、 「300円持っていって、160円のスナックを一つ買いました。お釣りはいくらですか?」という、どこにも日本語として違和感のないこの文でも、日本語としておかしいといえなくもないですよね。 結論 算数の文って、日本語としてどことなく違和感がある、という要素を含んでいるのよ。感性豊かな日本語を学ぶのは、算数ではなく、文学。教科には自ずとその制約がありそうですね。とくに、小学校段階では。 豊かな日本語を学ぶには、たくさん名文を読むことかしら。算数は、感性ではなく、理性を得るものと割り切ってはどうかしら。 ながながと駄弁を弄しました。