- 締切済み
「偽善」て言葉はどういう時、使うのですか?
よく「偽善」という言葉を使う人がいます。 人から善く思われたい気持ちや、下心や見返りを期待する気持ちが少しあった場合も「偽善」になるのでしょうか? そう考えると、全て「偽善」のような気がするのですが。
- みんなの回答 (24)
- 専門家の回答
みんなの回答
何度もすみません^^; 少し思った事があるので書きます。 日本の場合「現実を知らない」「あまり実感できない」「スキルも無い」ような人達がやみくもにボランティアに参加したりするし、その一方でスキルのある人は「有償ボランティア」なんておかしな事を言い始めたりするから、「ボランティア」という言葉自体が少し偽善的に見えてしまうんじゃないでしょうか… 「ボランティア」という言葉自体がもともと「無償の/無報酬の」という意味も含んでいるのに…
私は「純粋な意味でのボランティア」について語ったのです。誤解のないよう念のため。 純粋な意味での「ボランティア」なら今でもそれが一般論として通用するはずです。試しに国語の辞書でも引いてみてください。 もちろん純粋な意味での「ボランティア」じゃないボランティアも存在するわけですが、それは大昔からそうだと思います。 それにもともと、自分自身も幸せになれる/人生経験を積ませてもらえる事自体が大きな見返りになるので、完全無償のボランティア活動なんてありえませんね^^ 私の言った「助ける」というのは救ってあげるみたいなそんなたいそうな意味ではなくて、互助とか補助とかそういう「補い合う」的な意味での「助ける」です。 誰だってそうだと思いますが、人生を切り開いていくのはあくまでも自分自身の力です。
お礼
ご丁寧にありがとうございます。 ここ数年、ボランティアの理由なんて考えてやったいなかったです。 いかに、さりげなく少ない仕事量で、多くの人に(おもしろかった)と思ってもらえるか。 そんな工夫を考えてます。 気にしなくてもいいということですよね?
- o24hi
- ベストアンサー率36% (2961/8168)
No.5です。 >単に、自分にとって鼻につくかどうかで、使ってるのかなぁ? そのとおりだと思いますよ。 「人のために何かをする=偽善」とステレオタイプに思う人もいるということですね。そう言う人に限って、何も自分からは行動しないんですよねー。あ、そうか、何かいいことしたら「偽善」をしたことになり、自己矛盾を起こしちゃいますね。 簡単にまとめると、 「自分では人のために何もする気持ちが無い」→「人のために何かしている人を見ると鼻につく」→「偽善だと言って、自分が何もしないことを正当化している」 ということなんでしょうねー。 ========================= (おまけ) わたしの書きこみの「ボランティア」について、書きこみがいくつかありますので、私の認識しているボランティア像を書いてみます。 「ボランティア」とは,人の役に立ちたい(「助けたい」というのは、上から見下したような考え方で、私自身は、同じ目線に立つということで「役に立ちたい」という言葉を使いたいです。)という事が根底にあるのは、今でも変わっていないと思います。 しかし、「ボランティア」の概念は、ご存知のように大きく変わってきています。現在は「有償ボランティア」と言う言葉があるくらですから、一般論として、「ボランティア=人の役に立ちたい」だけの方とは言えません。 人の役に立ちたいということは根底にありつつ収入の足しにもなる、という活動も「ボランティア」の範疇になっています。 つまり、「ボランティア=無償で何もみかえりを求めず人のために何かする」という概念は、今では一般論としては通用しません。 的外れな補足でしたら、読み飛ばしてくださいm(__)m
お礼
正当化。なるほど。 =========== ボランティアに対しての考え方は、歳をとる経験を重ねるごとに変わってきます。 今は、ボランティアとは「人に(楽しかった)と思ってもらえるような能力を磨く趣味」と考えています。 (上手く言えませんが) 自分では説明に困らなければ、「ボランティア」て言葉は使いたくないですね。 でも、昔はもっと、実績を誇りたい気持ちもありましたね。 ありがとうございます。
一般論の話をしますが、普通純粋な意味での「ボランティア」の動機は、「人に良く思われたいから」じゃありません。「人etcの役に立ちたい/助けたい」からです。 「ボランティア」を実践する際に、援助を受ける側の人と仲良くなりたいから、結果的に「よく思われたい」と言う気持ちが現れるかもしれませんが、 それはボランティアの動機としてそれが存在するわけではない(と思う)ので、「偽善」ではありません。 もちろん売名行為とか、純粋な意味でのボランティアじゃない人もいるかもしれませんが、あなたがそうでないのならば、何も問題ないと思います。 恵まれているのが当たり前で、恵まれていなくてもそこそこな日本で特別な苦労もせずに育ち、そういう海外の情報にもあまり触れないような人(一概には言えないかもしれませんが)には、それが現実としてなかなか実感できないので、「役に立ちたい/助けたい」という感覚があまり理解できないのだと思います。
お礼
そう言えば、ここ数年、仲間が減ってきました。 今は、自分の事で精一杯の方も増えたのでしょう。 なんでしょう。言われて言い返せない言葉だから「偽善」と言われると困惑します。(モヤモヤ) ありがとうございます。
動機がなんであれ、言葉と行動が一致していれば偽善ではないと思います。 偽善という言葉を使う人は、その動機の部分に対して嫌悪感を持つのでしょうね。 例えば、チャリティーコンサートに対して「どうせ売名行為なんだろ?」みたいに。 人間に対して純粋・純潔さを求めすぎているのかもしれません(心の潔癖症?)
お礼
そうですよね。 今度、言われたら、どう言い返そうかなぁ。。 ありがとうございます。
- 8942
- ベストアンサー率13% (188/1414)
やらない善よりやる偽善とう言葉がありますね。 困っている人にとっては善だろうが偽善だろうが 助けてくれる事が第一。 本題から外れてしまったようですが、 つまりその行為が本来の目的とは別な目的で行われている事を言うんじゃないでしょうか? 例 売名目的で多額のお金を被災地に寄付するとか・・
お礼
まったく、そう思います。 いちいち、人の行為を「偽善」言わんでも。と。 気持ちは、ブレンドですよね。 邪まな気持ちの単一ではなく、色々あるかと。 良かれと思う気持ちもあるだろうに。 ありがとうございます。
国語の教科書に似非偽善者のススメという のがあって、細かい内容は忘れましたが、 偽善が悪いのは、もちろんだが、 善ほど、危険なものはないというものでした。 ようするに善とは自分が正しい事をしていると 思いこんでいて、相手の事を考えていない。 家にあやしい壺を売りにきた、どこぞの 宗教団体もそれが善だと信じているから たちが悪い。 だったら、多少の見返りを期待する事は自然なこと なんだから、素直に認め、受け入れることで 相手の事を思いやれる似非偽善者になろうという ものです。 口だけとか、好きな人の前だけとか 中途半端だから偽善なのであって、 自分は偽善者なんだから、だったら 徹底的に偽善者の仮面をかぶってやろうと いう感じです。 全ては程度の問題であって、例えば このサイトに回答するにあたって、 やっぱり、ありがとうの一言ぐらい 言って欲しいですが、 誰も、お金が欲しいとか思ってないでしょう。 どれくらいの下心や見返りを期待しているかが、 偽善かどうかということになるのでは。
お礼
おもしろいですね。教科書ですか。 中学?高校? 中途半端が偽善。なるほど。 処理の難しい単語ですね。 自分の感情の陰の部分を意識するのは、重要ですよね。 このサイトを利用して回答すれば、ガッカリ、ムカつき、はあります。(偽善行為だからかなぁ) ありがとうございます。
- camara_x
- ベストアンサー率33% (4/12)
質問者さんの言う通りかもしれません。 この問題を突き詰めると、いわゆる哲学、はたまた宗教になりますよね。 たとえば、昔のお坊さんに親鸞という人がいましたが、この人は、偽善とは「人の為」と言って善をする人、といっています。 簡単に言うと、金銭目当てを隠して善をする人などは問題外、「ありがとう」の言葉を期待するのも全くの偽善、更に、全く見返りがなくても、善をすることで「与えた」という意識を持っているだけで偽善といっています。 その結果、この世に生きる全ての人は悪の塊(人間=悪)とすら言っています。 ただこの人は俗に言う「悟りを得た」人らしいので、一般人の我々には理解を超えるところもあるでしょう。 この人の言う事が正しいとは限りませんし。 ですから、あくまでも一般論としての善は、心の中にうそをついていない、という辺りでいいのでは? 偽善はその反対。 またこれは私の考えですが、この世で一番多く見られる「偽善で無い行為」とは、母性=母親が子を思う気持ち、ではないでしょうか。 母によっては、自分の命と引き換えにしても子を守るでしょうし。(もちろん父親もです^^;) 又別な話、水に溺れている人を見て、「私は困っている人を見過ごせないんだ」といいながら本心では「この人を助ければ警察から感謝状が貰えて、社会的にも地位向上する」と思って飛び込んでも、実際に助けてしまえば、偽善なのか本当の善なのか、はたまた善、偽善の問題ではなくなってしまうのか解らなくなりますよね。 まとめますと、人や考え方の違いによって答えはおのずと変わってきてしまうので、最初に言った哲学や宗教の本を読んだり勉強したりすると、自分なりの答えが見えてくるものなのかもしれません。 質問者さんがこの様な質問をする事自体、その世界に興味がおありになると思うので、良い本に巡りあって独自の答えが出てきたらいいですね。
お礼
ご丁寧にありがとうございます。 参考になりました。 「偽善」は悪いこと?してはいけないこと? そうじゃないですよね?。 とにかく私、この言葉、日頃、あまり頭に浮かばないんですよ。 使う人は、どう定義付けして言ってるのかな?と。 ありがとうございます。
私の辞書(広辞苑)には「本心からではなく見せ掛けでする善事」と書いてありますが、結局はその都度相手に聞かなければわからないと思います。辞書どおりの意味で使ってるとは限らないし、いろんな場合に使うと思うので。「どうして?」とか「どの辺が?」とかね^^議論になるかもしれませんが… >そう考えると、全て「偽善」のような気がするのですが。 この辞書の定義から考えると、「見せ掛けではない善事」もしくは「本心からする善事」は偽善ではないということになります。 が、しかし、そうだとすれば「本心でやってるけど多少見せ掛けも含む善事」はどうなるんでしょう。微妙な問題ですね^^ これも人それぞれでしょう。 辞書どおりの意味で取れば、「全て偽善」と言い切ってしまうことは難しいですね。 >「ボランティア」がそうですね。少しは人からいい人だと思われたいと思う気持ちもあるでしょう 無い人もいるかもしれませんよ^^これも人それぞれですね
お礼
ボランティアやってるんですよ私(^_^; 「何の為にやっているのか?」と訊かれたら、 理由は単一ではなく、色々な気持ちが混ざっていて、 その中には、「あいつ優しい」「あいつスゲエ」と思われたい気持ちも確かにあります。 「偽善」と言われたら言い返せません。。 でも、なんか、ピンとこない。 ありがとうございます。
- o24hi
- ベストアンサー率36% (2961/8168)
こんにちは。 「偽善」とは「うわべだけ良い事をすること」ですから,見かえりを求める心があれば厳密に言えば「偽善」ですね。 ただ,そう言ってしまうと確かに多くのことが「偽善」になってしまいますよね。ですから,現実的には,事の影響の度合いにもよるでしょう。 「ボランティア」がそうですね。少しは人からいい人だと思われたいと思う気持ちもあるでしょうが,これを「偽善」と言ってしまうのは,私は疑問に思います。 一方,選挙前だけ親切になる議員さんがいますが,こういう方は「偽善」の塊ですねー。
お礼
「偽善」て言葉をよく使う人は、どういう時、使っているのかなぁ? 私は笑顔の店員さんも、福祉・医療関係の人も、わざわざ頭の中で「偽善」と判断処理しません。 単に、自分にとって鼻につくかどうかで、使ってるのかなぁ? ありがとうございます。
お礼
私は、ボランティアの入り方は、不純な動機でも構わないと思ってます。 (わざわざ「ボランティア」という部門を設けることも) 経験から考え方が変わることもあるでしょうし。 呼び名が時代に合わなくなることってありますよね。