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55年体制崩壊と冷戦終結
55年体制崩壊とソ連崩壊および冷戦終結は関係があるのでしょうか?
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#2補足です 少なくとも小沢一郎はソ連崩壊と呼応して、保守2大政党制を目指して動いています。ソ連崩壊が無ければ、小沢が動いたとは思いません。待っておけば、総理の椅子を狙える位置にいたわけですから。細川護煕も多分そうですね。ソ連崩壊とともに世界中の国内政党地図が変更された中でゆっくりと保守対立の構図を目指した一人でしょう。 なんだか、日本国民って政治家は利権や勢力争いだけで動くと思っているみたいですが、理想のためにも動くことを知っておくべきだと思います。もちろん、選挙区民の利害を抱えなければならない選挙制度(徐々に変わろうとはしていますが)のですから、利権・政略争いも多いでしょうけれど。 ソ連崩壊という世界史の転換期に幾人もの政治家はここでどう動くことが日本の将来にとって正解なのかを考え、その一部は実際に動いたのだと思います。
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- you19994
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正確にいうと 55年体制が明確に崩壊した総選挙は 自民党対非自民勢力の対立となりました。 その非自民の勢力は 55年体制の一翼を担っていた 社会党 社会党から離脱していた 民社党 中道勢力 公明党 江田三郎の遺産 社会民主連合 の既存勢力に加えて 自民党竹下派から離脱したメンバーが中心となった 新生党 新党ブームの急先鋒細川護煕氏が率いる 日本新党 自民党若手メンバーで構成された 新党さきがけ 以上非自民7政党が自民党と全面対決をして 自民党が過半数割れをして 自民党が結党以来初めて野党に転落しました。 そして注目すべきは社会党で 非自民の第1党でありながら勢力は激減しました。 非自民の主導権は自民党離脱勢力に握られ 社会党は発言力が小さくなりました。 これが自民・社会による55年体制崩壊という 結果となったということになります。 自民・社会の対立軸から 連立政党による対立軸に変わっていったということですね。 これから見る限りでは ソ連崩壊、冷戦終結とは直接リンクはしていないんですが 間接的にはこの出来事が影響していると言う事は できるかもしれません。
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詳しい回答ありがとうございます。 大変参考になりました。
- netcatme
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まあ、対共産主義で集まっていた保守主義者が共産主義の崩壊とともに、通常の状態になったいうのが、普通の解釈ですね。民主主義ですから、複数の保守政党の選択肢が必要な訳です。
お礼
回答ありがとうございます。 参考になりました。
- you19994
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直接リンクさせるのは難しいかもしれません。 ソ連崩壊も冷戦終結も 一定のプロセスがあったからであって 55年体制崩壊は どちらかというと突発的クーデターという感がします。 政治改革に失敗した自民党の旧勢力を 追い落とすためという感じもしますしね。
お礼
回答ありがとうございます。 よく、「55年体制は米ソ冷戦の国内版」などと言われるので、何か関係があるのかと混乱してしまいましたが、直接的には関係ないのですね。 分かりました。
お礼
二度にわたって本当にありがとうございます。お礼を言うのが遅くなってしまいましたが、55年体制崩壊の国際関係について、ようやく理解できてきました!