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宗教の意味
質問ですが親が昔から宗教に・・・ まあよく言えば信仰しているのですが 私はその意味が良く分かりません 昔から宗教・宗派の決り文句として「信じるものは救われる」と言いますが信じていて騙されている時代です今は! 一体宗教の意味とはなんでしょう? 個人的には失礼ですが催眠や暗示にかかってるとしか思えません よき教えといえば確かにそれっぽいのも見かけますが、しかし実際にそれを守ってる人が何人いるでしょう?私は昔から親に宗教云々と聞かされきたからもしかしたら私が宗教を嫌煙するような体質になったのかもしれません しかし宗教のあり方を早い話あなたは良い人間に なれと言っているなら他人をその宗教に誘ったり 教えを聞かせると言うのは良い人間の することでしょうか?まあ全てがそうだとは言いませんが 長年考え続けて今だに答えがわかりません 宗教の存在する意味とはなんでしょう? 尚カテゴリ違いなら的確なカテゴリをご指摘ください
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私も今の新興宗教のあり方に疑問を抱いている一人です。 日本は昔、神道(神社系)があり、その教えは全てのものに感謝する。(私はそうとらえています) 例えば、このPCを作ってくれた方に感謝する。今のこの時間を与えてくれる主人に感謝する。など等です。 そこから、教えというものが生まれてきて、インドから中国、そして日本に伝来したのが、仏教です。 仏教は正しい教えを広める人達の集まり。(私はそうとらえています) 人それぞれで、その教えが正しいと感じる人。そうで無い人。 そうで無い人が、また新しい宗派を作り広める。 それが現代の新興宗教まで来ていると思っています。 ですから私の場合は、自分教を信じ、色々な宗派の良いと思った教えを、自分で守り、神は自分の中に存在する。 寺等にある仏像は、ただの石や木。 形あるものに、すがり付きたい人が作った物だと思っています。(何だかバチがあたるかな?) これはあくまで私個人が思っている事で、他の人が読み気分を害したなら、ごめんなさい。
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- SCNK
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宗教とは、理屈抜きに信じることです。そして人生の全てを捧げることです。だから騙されるなんていうこと自体がおかしいのです。 良いか悪いかなどという問いもありえません。信じているのなら、良いしかありえない筈です。 人間は結局、何かを信じずにはいられないのでしょう。その一つの形が宗教です。 利益を求めることも本来はおかしいのです。見かえりを求めないのが本来の信仰であり、帰依です。
- dollar
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信仰を持たない無神論者です。といっても初詣などの神道・仏教行事には人並みに参加しますが。 深すぎますね・・・。この場では結論の出ない問題だと思います。 原始時代に宗教は必要不可欠でした。これは誰しもが認めるでしょう。 現代で必要かと言われると難しいですね。 ある新興宗教の信者で、輸血を認めないために手術できず亡くなった、というのが大きな波紋を呼びました。 人を救うために生まれたはずの宗教が人を殺してしまっては、本末転倒です。宗教戦争については言うまでもありません。 「沈黙」という小説があります。 江戸前期、キリスト教禁制下の日本における信者弾圧の拷問を取りあげた小説です。どんな苦しんでも、神は沈黙したまま何もしてくれない。棄教すれば助かるのに、それができない。人を救うはずの宗教が、弾圧のために人を不幸にしていくという矛盾をついた、陰惨な小説です。宗教とは何なのか、という問題は先人も多く悩んできた問題なのです。 興味がおありなら、「沈黙」ですとか、その他の宗教評論をお読みになってみてはいかがでしょうか。間違っても「宗教の本」は読まないで下さい。「宗教学の本」を読んで下さいね。まあわざわざ注意しなくても新興宗教は嫌悪されてらっしゃるだろうから大丈夫だとは思いますが。
- yumemiya
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すみません、追加です 下記のこと、他人の信じていることを否定するために考えているわけではありません むしろ、否定する必要などないだろう、という考えになったのだということで・・。 余裕のなかった頃は、親からの説得をとてもうるさく感じましたが、「この人たちからすれば当然なんだ」とうけとめられるようになり、親にも穏便に返事ができるようになりました。
- yumemiya
- ベストアンサー率39% (19/48)
私は日本のいわゆる新興宗教に入って活動していました。 親が信仰していて、自然に自分も信じるようになったのですが、 数年前に、教義に矛盾が見えてやめました。 やめる際も、今もいろいろ考えています。 自分が信じられないものを信じている人たちと論争したりもしました。 今は、自分が、他人が信じているものを否定できるほどの哲学も知識も人生経験もないのだと、・・やっとわかった、というところです。 やっとスタート地点というところです。 宗教の定義や、宗教に求めるものは人それぞれでなので、一概に言えませんが、 一面には、「生きている意味を問う」という面があると思います。 その答えが、数年、考えただけでわかるものとは思えません。 わたしもライフワークにして考えています。 考えるというよりは今は知識を集めているというところですね。宗教全般の本も集めていますが、コーランを読んでみたり、法華経を実際に読んでみたり。 人の考え方にも基本となるものなので、信じなくても、知識として知るだけでも・・かなり面白いので、興味があるならそのあたり自分でも読んでみられるようお勧めします。
- keeps
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私はある宗教(世界3大宗教のひとつ)を信じていますが、宗教でもっとも重要なのは、「精神的安定」が得られるという点にあると思います。世の中には苦しいことがおおくありますが、宗教は「発想の転換」を促します。すると、それまで耐えがたかったことがそれほど苦しく感じなくなる、というのを私は体験しました。「苦しみの軽減」というだけでも、宗教の存在理由はあると思います。 また、費用のそれほどかからない(年に千円から数千円程度)教団も多数ありますので、「宗教でだまされる」という体験は、よっぽどのことがないかぎり、ありえないと思います。 宗教は、深く勉強しないとよくわからないものですので、一度何らかの宗教を勉強されてはいかがでしょうか?
- ozisan
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個人的見解です。 宗教とは、神や仏によって生かされる事。 信仰とは、神や仏に身をゆだねる事。 布教とは、良い教えを広める事。 あなたにとって宗教は、良いか悪いかではなく、 自分にとって、役に立つかたたないかで判断するべきです。 あなたの信仰している宗教の、本質を知らないうちに、 疑問を持つのは多分、役に立ってない事だと思います。
- katyan
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宗教というのは心の支えとなるもの どこかの宗教グループに入ることと区別したほうがいい 個人的に宗教観は「あなたは良い人間になれ」というのではなく信じていく過程で変えられていくものだと思う
- kaitaradou
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参考にしてください。問題は二つあると思います。第一は、人間に限らずあらゆる存在物はいわば上からの支えと下からの支えの二つによって支えられているということです。たとえばテーブルを例に挙げます。テーブルはそれを作った人や使う人が存在するから存在しているから存在しているわけですが、材料がなくても存在できません。つまり上からの人と下からの材料のふたつの間で安定して存在できるのです。ところが人間だけはなぜか上からの支えが無いように思われるわけです。下かからの支えは自分の体ですが上からの支えは簡単には分かりません。しかし上からの支えがなければ人も安定して存在できないのは原理的なものです。そこで必要になるものが宗教なのだと思います。本来は自分さえ安定すればよいのですが、人はやはり同じものによって上から支えられていると思うほうが安心できます。あなたにしても宗教という名を持たなくともあなたを上から支えているものを何か持っているはずです。もし上からの支えは必要ないと思っているとすればそれは又別の意味で問題かもしれません。長くなりますからこれで止めます。
- a-sa
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私の考え方ですが宗教というのは主に二つの要素からなっていると思います。一つは神秘的な要素、もう一つは哲学的な要素です。 宗教が特に重要な意味を持つのはこの哲学的な要素だと思います。 哲学といっても小難しい考えをするのではなく単純に自分はどういう心がけで生きていくべきだろう。というようなものです。例えば人に恩をうけたら返すべきだ、というようなものでもいいです。それを「なぜならば…」と考えていくのも哲学だと思います。 哲学がなぜ大事なのかというとまた浅学な私では説明しきれないのですがひとことでいうと「哲学してみれば分かる」です。 これだけは言っておくと、立派な人、というのはおそらくたいていの人がそういう哲学をしていると思います。 そして質問者様が不審に思うのはそれとは別の神秘的な要素なのだと思います。 簡単に言うと理屈になっていない部分です。 たしかにこの点に関しては科学的に否定されるようなことを真実のように言ったりする側面が宗教にはあります。そしてこの神秘性ばかりを盲信することは洗脳であり、危険なことだと思います。 しかし、宗教にはこの側面がとても大切なのです。哲学とは理屈で考えるものです。しかし人はどう生きるべきか、ということは理屈だけでは説明しきれないものがあるからです。たとえばなぜ人を殺すべきではないのか、と問えばなぜなら命は大切だからと答えることができるかもしれません。しかし、それじゃあなぜ命は大切なの?といわれると、これは説明が非常に難しいです。これを説明するのが宗教の力であり役目である、と私は思います。 つまり根本的な価値観は神、などのようなもので説明されそこから様々な理論を発展させて「人はどう生きるべきか」を考えるのが宗教であるということです。 「信じるものは救われる」とは宗教の教えを守って生きていくことで、簡単に言えば誇りたかく、胸を張って、自分の行いを正しいと言って生きていける、ということだと思います。 天国や神様が実際に存在するかは別としても、自分が正しいと思う生き方をしている人間は死ぬときまで胸を張って生きていくことが出来ると思います。これが救われるということの意味だと思います。 だから、どう生きていくべきかを考えずにただひたすら信じる信じると言っている人は、本当に宗教の教えを守っていることにはならないと私は思います。 ご両親が洗脳されているのか、それとも生きるべき道を見つめているのか、それは質問者様が判断なさってください。 偉そうなことを長々と失礼しました。 未熟なために言葉足らずな部分や理論的な欠陥などが多々あるやもしれませんが私の言いたいことを理解してくだされば幸いです。 最後に、以上のことからもカテゴリは哲学に入れたほうがよろしいかと思います。
- igarasik0
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あくまで個人的意見ですが、宗教は ・人に道徳を守らせるための方便 ・死や病気、事故などの理不尽さに「とりあえず」理由をつけるための道具 ・感謝や謙虚さなどを学ぶためのテキスト ・危機的状況でストレスをやわらげるためにする現実逃避 というものだと思っています。 だから私は「信じるものは救われることもあるけど、それに期待すると人間としてダメになる」と本気で信じています。 ここから本題(善良な宗教を前提にしています) あなたは少し単純化しすぎていませんか? [信じる / 信じない]という二値論理で人間は動いているわけじゃないでしょ。 原理主義的な信仰を持っている人以外は「なんとなく信じている」とか、「嫌いな所があるけど、それ以外は信じている」という状態ではないでしょうか。 信仰を持っている=催眠や暗示にかかってる人と言えなくは無いかもしれないけど、うまくバランスをとっている人がほとんどで、狂信的な人ばかりじゃありません。 また、教えに背く(=道徳に反する)行為をすると、少しくらい罪悪感を感じるようになるのでは? 罪悪感を感じたら、次から少しは行いを改めようとするのでは? これが存在意義では不足ですか? >他人をその宗教に誘ったり教えを聞かせると言うのは良い人間のすることでしょうか? これに関しては「中学生がタバコを吸っていたら注意する」とか「買ってみたら良かったので知人に勧める」といった善意の延長線上にあるものではないでしょうか。 嫌がっているのにしつこくやられると鬱陶しい(しかも善意だから始末が悪い)のは確かですが。 宗教といえども、知恵の集合です。 理性的にそれに接し、それに使われることの無いようにしていれば、良いのではないでしょうか。
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