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神様はなぜノアの箱舟を作ったの?

いくら 世の中が悪くなったからと言って、悪者を簡単に 排除するような事をなさったのでしょう? 昔 学校で悪さをして授業中にもかかわらず、その子の 授業を受ける権利を無視し、゛廊下に立ってなさい゛ と 同じかな~なんて。 今だから 人間として生きる権利 は? と 思うのかしら。    クリスマスが近いので ふと 思っちゃいました。

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  • Shimo-py
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回答No.9

ノアの箱舟(方舟とも書きます)について、おもしろいご質問ですね。天罰のイメージが先行していますが、物語の意図はむしろ後述するように歴史観であって、単なる勧善懲悪ではなさそうです。 ◆旧約聖書『創世記』にみられるこの物語を、これだけ取り出して単独で考えるわけにはいきません。  『創世記』にはいろーんなことが書かれていますが、ノアの方舟で関係してくるのは、 ・天地創造の問題:世界の主宰者は神であること    (進化論は科学的説明で、       自然淘汰・適者生存が自然界の原理とした     創世記は宗教的説明で、       すべてに神の意志が働くとした) ・悪の問題、人間の罪の問題    (罪の本質は、神に対する背反である) という世界観です。 ノアの方舟の直接の原因は、人間が神を忘れて自己本位に生きたことであり、その罪がいかに大きかったかを示す物語なのです。神の罰を描くことが直接の目的ではないと思われます。  昔起きた大洪水の言い伝えが、宗教的に昇華されたものかも知れませんね。 ◆洪水のあと、虹が出るのを知っていますか?  これは、天と地をむすぶもので、神と人との契約のしるしです。神は、もう二度とこのような形で人類を滅ぼさないと約束し、そのしるしとして虹を置いた、と書かれています。  人間が神に背いたあと、再び契約を結びなおして、人類と神とは、もとの関係に戻ったわけです。 ◆(旧約)聖書はユダヤ教の伝統で受け継がれてきたものです。キリスト教徒も、これを大切に受け継いでいます。  キリスト教徒は、大洪水とノアの方舟を、「洗礼」の予型と考えています。  初期のキリスト教会では、洗礼式といえば、水にざぶんと全身を浸すことでした。(現在でもやっている教派はありますが、現在の主流は額に水をちょっとずつ三度に分けて注ぐという形式です)  洗礼によって、全ての罪が清められ、神と人との関係が新しく生まれると考えられ、ノアの洪水の直後のように、ゼロからのスタートを切るという意味がこめられています。(※洗礼は消えない契約のようなものなので、キリスト教徒がたとえキリスト教徒を辞めたとして、そのあと復帰するときも、前の洗礼が有効なので、洗礼を受けなおすことはありません) ◆……というわけで、  ノアの方舟の物語、洪水はなぜあったのかを簡潔に言えば、 (1)神から離れていった人間の世界を、罪の世界と考える (2)神はその関係を元に戻し、罪の意味をはっきり示すために、洪水を起こした (3)神と人との関係が再び結びなおされたしるしとして虹を置いた という歴史観だといえます。  神が救いを目的としてこの世に介入しているという歴史観を、「救済史」(salvation history)または「救いの歴史」といいます。

rooly
質問者

補足

 そういえば 白い鳩(平和の象徴)がオリーブの枝を咥えて飛んでいった後に、虹がかかっていた絵がありました。  みなさんにお伺いしてよかったです。 確かに色々な解釈があるが為に、キリスト教も 色々な宗派があるのですね。

その他の回答 (14)

  • tabide
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回答No.4

はっきり言えば、不信仰と堕落の限りを尽くした、人類の自業自得です。 神様は「愛なる神」であると同時に、「義なる神」として、いわば最強の裁判官です。 もし裁判官が気まぐれで明らかな犯罪者を無罪放免にしていたら、その国に正義はあるでしょうか。 全人類(唯一、信仰者だったノアの家族を除いて)を大洪水で“処刑”したのも、ただの思い付きや気まぐれではなく、それが審判者たる神にとって必然だったからであり、創造主としての神の責任だったからです。

回答No.3

神様は政治家ではありません。 民主主義的なプロセスを経て全権を手にしたわけではないので、「悪者にも人間として生きる権利がある」という、小賢しい主張に一々耳を傾ける態度は見せる必要はなく、思いつきでなんでもやってもかまわないからでしょうね。 オーナー社長が忠誠心を基準にして人事を決めるようなもんでしょう。 神様でさえこうなんだから、人の子であるアメリカ合衆国大統領が”悪者”を排除するのも理解できますね。

回答No.2

授業を受ける権利も、人間として生きる権利も、平等である(べき)人間同士のルールでしょう? 人間をはじめ、その他のあらゆるものを創造した絶対者である神に対し、人権なんて存在しないんです。 たとえば、陶芸家は自分が作った作品が気に入らなければ叩き壊してまたつくりますよね。そのとき陶器が、「多少できが悪くとも茶碗として十分に使えるから壊さないで~!」って言ったって関係ないです。 神とははそういうようなものです。と大分昔に日曜学校で教わったような気がします。

noname#182464
noname#182464
回答No.1

詳しいことはキリスト教の方に聞いて下さい。 私の知る限り、キリスト教は、全ての人の幸福 は説いてないですよね? 神のみぞ知るの世界。。 神が外から何らかの作用を与えるのです。

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