ノアの箱舟(方舟とも書きます)について、おもしろいご質問ですね。天罰のイメージが先行していますが、物語の意図はむしろ後述するように歴史観であって、単なる勧善懲悪ではなさそうです。
◆旧約聖書『創世記』にみられるこの物語を、これだけ取り出して単独で考えるわけにはいきません。
『創世記』にはいろーんなことが書かれていますが、ノアの方舟で関係してくるのは、
・天地創造の問題:世界の主宰者は神であること
(進化論は科学的説明で、
自然淘汰・適者生存が自然界の原理とした
創世記は宗教的説明で、
すべてに神の意志が働くとした)
・悪の問題、人間の罪の問題
(罪の本質は、神に対する背反である)
という世界観です。
ノアの方舟の直接の原因は、人間が神を忘れて自己本位に生きたことであり、その罪がいかに大きかったかを示す物語なのです。神の罰を描くことが直接の目的ではないと思われます。
昔起きた大洪水の言い伝えが、宗教的に昇華されたものかも知れませんね。
◆洪水のあと、虹が出るのを知っていますか?
これは、天と地をむすぶもので、神と人との契約のしるしです。神は、もう二度とこのような形で人類を滅ぼさないと約束し、そのしるしとして虹を置いた、と書かれています。
人間が神に背いたあと、再び契約を結びなおして、人類と神とは、もとの関係に戻ったわけです。
◆(旧約)聖書はユダヤ教の伝統で受け継がれてきたものです。キリスト教徒も、これを大切に受け継いでいます。
キリスト教徒は、大洪水とノアの方舟を、「洗礼」の予型と考えています。
初期のキリスト教会では、洗礼式といえば、水にざぶんと全身を浸すことでした。(現在でもやっている教派はありますが、現在の主流は額に水をちょっとずつ三度に分けて注ぐという形式です)
洗礼によって、全ての罪が清められ、神と人との関係が新しく生まれると考えられ、ノアの洪水の直後のように、ゼロからのスタートを切るという意味がこめられています。(※洗礼は消えない契約のようなものなので、キリスト教徒がたとえキリスト教徒を辞めたとして、そのあと復帰するときも、前の洗礼が有効なので、洗礼を受けなおすことはありません)
◆……というわけで、
ノアの方舟の物語、洪水はなぜあったのかを簡潔に言えば、
(1)神から離れていった人間の世界を、罪の世界と考える
(2)神はその関係を元に戻し、罪の意味をはっきり示すために、洪水を起こした
(3)神と人との関係が再び結びなおされたしるしとして虹を置いた
という歴史観だといえます。
神が救いを目的としてこの世に介入しているという歴史観を、「救済史」(salvation history)または「救いの歴史」といいます。
補足
そういえば 白い鳩(平和の象徴)がオリーブの枝を咥えて飛んでいった後に、虹がかかっていた絵がありました。 みなさんにお伺いしてよかったです。 確かに色々な解釈があるが為に、キリスト教も 色々な宗派があるのですね。