• 締切済み

人生の先輩方

私は24歳です。人生の先輩方、教えてください。 私はこの歳で重病になり、障害をもちました。片耳、聞こえなくなって複視になりました。再発の危険もあります。仕事、辛かったけど頑張った結果、ストレスでこんなことになって神も仏もない話です。なんて私は不運なんだろうってずっと考えてました。私につめたくあたってた人たちがなるべきなんじゃないの?って。顔も不細工でとりえもない私がこんな風になって。何で私なんだろうって、人生、つぎつぎうまくいく人もいるのに何で私は・・・こんなにも一人の人間にかたよるんだろうって。人生とか運とかずっといろいろ考えてて・・・。今日、ある本を読んでその本に「今が不幸であれば、次に必ず幸福がくる」って書いてたのを読んだのですが、本当でしょうか?ただの気休めじゃなくて?根拠はありますか?こんな私に幸福きますか??

みんなの回答

  • Komiker
  • ベストアンサー率16% (83/518)
回答No.6

 61歳、男性です。  お気持ちは理解できるように思えますが、あえてお考え頂きたいことをひとつ。  他の人との比較から自身の幸不幸を判断しておられるようですが、この考えは正しいのでしょうか。  「 幸福 」とか、「 幸せ 」とか、頻繁に見聞きすることばですが、本来の意味を知った上で使っている人はあまり居ないようです。と書いても、ことばの問題ではありません。  あなたの「 不幸 」はあなたの現在の状況に在るのか、それともあなたのものの観かた考えかたに在るのか、どちらでしょうか?  >その本に「今が不幸であれば、次に必ず幸福がくる」って書いてたのを読んだのですが、本当でしょうか?  それは二重の意味でウソです。  ひとつは幸福観そのものが。いまひとつは、幸不幸が繰り返すという考えが。  幸福な人は常に幸福だし、不幸な人は常に不幸ですよ。(^^)/

  • NANDEYARO
  • ベストアンサー率29% (43/144)
回答No.5

自分の子供のことを想う気持ちを例に挙げます。 少し言葉に障害がありますが、知能は普通で、普通の小学校に通っています。 もっと大変な障害のお子さんを持ったご両親からは たったそれだけのことで・・といわれるかもしれませんが。 改善に向けてのカウンセリングのような所へ3年程通いました。 そこは、言葉に対する指導ではなく、その子が、この先長い人生を、どう生きていくか、自分の言葉をどう理解して乗り越えていくか、ということを目的にしているのであって、何が原因で、どうすれば直る、という治療法も確立されていないがゆえ、そういう対処しか出来ないのだそうです。 一時は不憫で、私の育て方、幼児期の対応の仕方がまずかったのかとも思い悩みました。 他人の話を聞いても、何も心配のない子供を持っているくせに・・という気持ちもありました。 ただ、親は子供より早く死んでいくし、子供のために何がしてあげられるか、学校にいる間、親がかばってやることもできないし、社会にでてもそれは同じ。 五体満足に生まれてきた自分の子供に対しては、 もっと成績がよければ、皆と仲良くできれば・・と、要求が膨らんでいきます。 一つ障害があることで、成績なんてどうでもいい、何も得意でなくてもいい、学校なんて行けなくても、不登校になっても、ただ、生きてさえいればいい、笑ったり、泣いたり、怒ったり、熱を出したり、苦しんだり、 そういうことが、できるだけでいいと思います。 これは、親として思うことですが。 必ず幸せはきますか?の問いには、どう答えていいかわかりませんが、よく聞くのは、 人間には皆、平等に幸せの分量を与えられていて、それが、今なのか、何年後になるのかは、わからない。 私は、一生を終えるとき、その幸せを感じられたら 最高だと思っています。

  • m038
  • ベストアンサー率28% (99/351)
回答No.4

質問者さんより先輩で昨年、死に直結する病気の治療を受けました。 「なぜ自分がこんな病気に。なんで。自分が何をしたっていうんだ」みんなそう思いますよね。 誰も何もしてません。病気は突然誰にでもやってくる。 生、病、老、死は誰にも操作出来ません。 ただ早くに来て辛い状況だということ。若いからまだ受け入れられないのも無理はありませんね。 >次々うまくいく人.. その人が本当に幸福かどうかなんて関係ない。 他人を見て悔しがっても意味がないです。 そんなこと考えてる時間もったいないよ。 >こんな私に幸福は.. 幸福はやってくるものではないと思う。 どこに満足を置くかです。 大変な状況だろうけど「今日はここが痛まなかった」「お昼の食事は好物で食べれてよかった」「検査しなくてよくなった」「ポカポカしてていいなぁ」その日その日少しでも「良い」ことを数えたらどうでしょうか。そんなちっぽけなことに喜べるかって思いますか。虚しいって思っちゃいますか。 でも仕方ないじゃないですか。不幸や不満を数えても何も変わらない。今の現状は変わらないです。重い現実を抱えながらも心まで深刻な重病にしてしまうのですか。 体は不自由でも心は自由でしょ。 心でいろいろ感じれるんだから心(脳)を使って出来ることがあるじゃないですか。 不幸の次は幸福ではなくて毎日の瞬間瞬間に不幸と幸福は複雑に混ざっているものです。悲惨な状況であってもそこには「今日の良し」っていっぱい転がってるはずです。 「今日の看護師は気が利く」私なら単純にこれだけで悪いことばっかりじゃないって思えるんですよ。 病院の中深刻な人たくさんあふれてます。毎日次々と切れ間なく病気にかかり告知されている。みんな死んでくんだよ。誰でもいつ死んでもおかしくない所にいるんです。 みんな細い綱の上を渡ってるんです。 重病が負けということではないです。長生き、健康が優れていることでもない。私はそう思います。 生というのは時間ではないし健康体に限ることではないと思っています。 厳しく言ってしまったけど患者同志ということで許して下さい。出来る、許される範囲でしたいこと、好きだったことしましょうよ。わがままだっていいと思います。 今は退院しているんですか。気持ちいいと感じるところでおいしいと思うものを食べ不自由さを一瞬でも忘れられるような「あっ今没頭してた」っていうことをしませんか。 病気体験のHP運営して下さいな。同じ病気を抱えている人同志の情報交換は健常者や家族にはわからない不満も分かち合えます。医師の悪口とか書いちゃえばいいんです。 アドバイスになったらいいけど..

  • Dr_Hyper
  • ベストアンサー率41% (2483/6032)
回答No.3

何を申し上げても、辛い思いをなされている方には、気休めにしかならないかもしれませんが、何か辛いことが有った時は、私は都合良くその時だけ「神様」を登場させます。気が狂っていると思われるかもしれませんが、私の場合について少し書かせてください。 自分は経験も少なくいい例を申し上げられないかもしれませんが、数年前、私は仕事の上である大事な師を亡くしました。育ての親といっても過言でない方の師でしたから、泣きくれ、途方にくれていたました。しかしあるとき突然ですが、「彼の死はきっと私んかせられた試練で、きっとこの苦しみは私に人間的成長と、その後の暮らしに何らかのプラスや出会いを与えてくれているのだろう」と思うようにしました。 それは、私の為にだけ存在する「神様」が私にくれた試練でした。なんていうんでしょう。生きている限り、私が生きていることに意味が有る。そう思ったと思います。実際には未だにマイナス面の方が多いなと思う時もありますが、彼の死によって私にもたらされた物も少なくなく、彼の死を決して肯定は、今でもできませんが、その後自分が腐らず生きてきたことには、ある種の感謝の気持ちを「神様」に持っているのかもしれないと思うようになっています。これはある種の宗教観かもしれませんが、生きている限り意味が有るのは確かだと思います。

  • yow
  • ベストアンサー率23% (181/782)
回答No.2

『塞翁が馬』って中国のお話、きいたことありますか。細かなところは覚えていませんが、ある老人がすばらしい馬を手に入れて、みんなにうらやましがられます。そこで老人は『だからといってそれが幸福だとはかぎらない』と。そしてその馬にのった息子が怪我をします。そこで周囲の人々は『息子が怪我をしたなんて、なんてあなたは不幸なんだろう』とあわれみます。そこで老人は『だからといってそれが不幸とはかぎらない』と。そして戦争がはじまります。その村の若い男はみんな戦争にかりだされて戦死してしまいますが、その老人の息子は怪我をしていたため、戦争にいかなくてすみました。。。 と、つまり、何が幸福でなにが不幸なんてわからない、と。幸福とは来るものではなくって、自分が感じるものだと思います。試練はいろいろきますけど、くじけずのりこえると、笑うことができます。笑ってみると、つぎつぎにいいことがおきます。 人生の先輩といえるほど年食ってはいませんけど、努力はねらったとおりに報われるとはかぎりませんけど、やった努力はどこかでつながって役に立ちます。という法則が40に近づいた今、目にみえておきてきてます。なんだかいやですね、ただの説教おばさんですね。そんなこんなことを若いときにおじさんおばさんたちにきいてもピンとこなかったのに、ピンとくるように説明できませんね。 根拠ですか、、、。たとえば、ただの食パン。グルメフードをたらふく食べて満腹のあとは、ちっともおいしくないですよね。でも、すごーくおなかがすいているときにはおいしいでしょ。幸、不幸というのは、絶対的な状況ではなくって、方向性なんだと思います。おなかすいていることから満腹に向かうのは幸せ。その逆は不幸せ。ずっと満腹で、おなかがすく前にたえず食べているという状態はあんまりうれしい状態とはいえないでしょう。ということで、今が不幸であれば、ささいなことでも感謝を感じることができると思いますよ。なので、幸せになることができると思いますよ。

  • osamuy
  • ベストアンサー率42% (1231/2878)
回答No.1

一般論としては、「何もしなければ、状況は徐々に悪化する」だと思われます。 ですので、幸福が来るのを待つよりは、より不幸にならないように手を考える――のが適切です。 多分、それが生きるという事なんだと。

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