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天は二物を与えずとか言う大嘘
周りを見渡していると、いくつもの才能を持ってる天才とひとつの才能も持ってない凡才の両極端な気がします。 正直言って、天は二物を与えずなんて嘘ですよね?
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- ayzm
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嘘ではないですよ。 ただ一つを極めるとその方法とコツがほかのものを見極める遣りかたに応用できるから、はたから見るとすべてできているように見える。 普通の人は一つのモノをやり遂げるまで遣らないでほかに移るから何にもやれないで終わる。 一つのものをやり遂げると他のもののやり方を今までの遣ってきたことの置き換えて見るから簡単に出来る。 途中で投げ出すから次のものに応用できないからできない。
- SI299792
- ベストアンサー率47% (788/1646)
そうですね。 昔は、美人は頭が悪いと言われていました。これには根拠があります。昔は早婚でした。なので美人は大学へ行かない又は言っても中退する。大学を卒業するのはブスだけでした。 今は、美人は頭のいい人と結婚できます。すると子どもは頭のいい美人になる。今は美人は頭がいいとなります。 「天は二物を与えず」は昔はある程度成立していたが、今は全く成立しなくなったのではないかと思います。
- staratras
- ベストアンサー率41% (1512/3682)
>天は二物を与えずなんて嘘ですよね? このことわざの真意は「複数の才能・能力を持った人間はいない」という意味ではなく「一個の人間は、そう幾つもの才能や長所を持っているものではない」(広辞苑 第5版)という意味です。つまり「ある分野で才能を発揮する人がすべてに優れているわけではない」ということです。 世の中には天から二物も三物も与えられたような複数の才能のある人ももちろん存在します。ただしそのような人でも思わぬところで躓き失敗することがあり、そのようなときには「天は二物を与えず」と言えるのかもしれません。 >いくつもの才能を持ってる天才とひとつの才能も持ってない凡才の両極端な気がします。 これは微妙ですね。確かに学校の入学試験などでは優秀な者は国語も数学も英語もできて、下位の者はそのどれもできないでしょうけれど、社会で評価される才能はそのようなペーパーテストで調べられるものばかりではありません。 回答者が現役の勤め人だったころ、部下の人事考課で悩んだのはこの点です。 「いくつもの才能を持ってる天才」などほとんどいませんが、仮にいたとしたら周囲の誰にでもわかるので評価は簡単です。一方で「ひとつの才能も持ってない凡才」も(入社試験を通過して)職場で働いている以上まずいません。誰にでもどこかに何らかの才能があるのですがそれをうまく見つけ出して簡潔・的確に表現するのは容易なことではありませんでした。
- mekiyan
- ベストアンサー率21% (908/4150)
お言葉ですが、この世に才能を一つも持っていない人間などいません。ただ、その才能が何かを気付かないだけです。
- Sakura2568
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天が与えたのは一つかもよ? あとは本人の努力で勝ち得たものかと思います。 「努力できる」才能を与えられたなら人は幾つでも王冠を手にできるでしょう。 それらを一つ一つ天が与えたというのは凡人の僻みでしょうね。 その人はたった一つ 努力という才能をもらったのよ。