質問者さんは、生まれてから今まで食べた食パンの枚数を覚えてますか?
小学校に入学した次の日の最初の授業で先生が何を話したか覚えてますか?
ひょっとしたら三日前の夕食で何をべたかも覚えてないかも知れませんね。
そういったことを覚えていなくて、何か困ったことや怖い経験をしたことありますか?
人間って(人間に限らないけど)生きていく中でどうでもいいことは片っ端から忘れていくものです。残念ながら記憶できることには限界がある。生きてる時ですらそんな状態です。何かを忘れたからと言ってそれが不幸であるとは限らないし、存在意義とも無関係です。
死んだら無になると思っているのに、記憶が思考がなくなることが怖いと感じる理由をもっと深く分析すべきです。両者は直結しません。そこに飛躍があり、隠れた意識があります。
自分が死んで無になるとしたら、自分がいなくなったこの世界には全く関与できないですね。そのような状態で、記憶が残ること、思考できることに何の意味があるのですか?
むしろそれって拷問じゃない? って考えることもできますよ。
で、ですね。
死んだらこの世からは無になってしまう。だけど死後も記憶が残り思考を続けたい。この両者の矛盾を解決するには、死後は別の世界に行くと考えればよいと考えた人がたくさんいます。
じゃあ別の世界ってどんなところだ、って話になるのですが、残念ながらその存在は明かされていない。たまに「死後の世界を見てきた」とか「死後の世界の人と会話できる」とかって人が現れるのですが、みんな言うことがバラバラで、かつ確かな証拠がない。証拠がないのでいろいろな説がある。
そのいろんな説をそれぞれ体系的にまとめたものが「宗教」と言われます。いろいろな説があるので宗教もいろいろあります。仏教では六道を輪廻するし、キリスト教では最後の審判の時に復活し地獄か天国に行くかが決まる。いろいろな宗教を調べて、自分が一番しっくり感じるものを信じてみればいいのではないですかね?
そんんことはめんどくせーと感じる場合、もっと簡単な方法もあります。
質問者さんがいま死後のことを一所懸命考えても、それで質問者さんが不死身になることはありませんし、死んだ後の状況が変わることもおそらくありません。つまり考えても無駄ということです。考えても無駄なこと、解決しないことを一所懸命考えても意味がありません。
質問者さんが生きている時間、思考できる期間は終わりがある有限な期間なのですから、考えても意味がないことはしょーもないことと割り切って、今の人生をより良くするもっと別のことを考えることに使ったらいかがでしょう?
でもいろいろ考えてしまって寝れない?大丈夫、寝たらおさまりますよ。