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【正統派の茶道】「千利休は長男にしか伝授しない一子

【正統派の茶道】「千利休は長男にしか伝授しない一子相伝ではなく、息子たちみなに、また弟子にも同じように教え育てたのですから、表千家、裏千家、武者小路千家、三千家全て、正統派も上下もない」と言いますが、なぜ千利休は息子たちに一子相伝ではなく全ての息子に平等に茶道を教えたのに、その息子たちは親の千利休の淹れ方を無視してバラバラな淹れ方になったのでしょう? 淹れ方がバラバラなら正統派、上下は出てくるのでは? 淹れ方もバラバラなのに全てが正統派、上下はないというのはおかしくないですか? 淹れ方が全く違うのに全て正統派ってお弟子さんや生徒に対して馬鹿にし過ぎなのでは? 淹れ方は自由でも正統派なら習う必要もないのでは?御三家自体が淹れ方がバラバラなのに何を千利休の正統派として学ぶのでしょう?

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  • ベストアンサー
  • chiychiy
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回答No.1

こんにちは 戦国の時代ですから、各々の配下で習わしが変わったのだと思います。 >秀吉の没後、天下は家康のものとなります。小庵は家康に仕えて四百石を受けますが、間もなく仕官を辞して西芳寺に隠棲します。その小庵の子、宗旦が千家を継いで初めに営んだのが「不審庵」 >宗旦は一生仕官をしませんでしたが、三人の子にはそれぞれ紀州徳川家、加賀前田家、讃州松平家に茶頭として仕官させます。一翁宗守が官を辞してのち武者小路に立てたのが「官休庵」で、これにより茶家としての三千家の基礎が確立 https://www.o-cha.net/teacha/bunka/sansenke.html

note11pro5G5
質問者

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ありがとうございます

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