• ベストアンサー

汽車が無かった時代の長距離移動

車も汽車もなかった時代の庶民の長距離旅行、移動は、休日を作らず、毎日目的地まで歩いたのですか?筋肉痛にならなかったのですか?

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • Reynella
  • ベストアンサー率51% (552/1074)
回答No.3

江戸時代の商人の商用旅行記録がいくつか残ってますが、「休日」という設定はなかったですね。ただ、天候が悪いとか、この先で追いはぎが出たらしいとかの理由で(あるいはそれを口実にして)それ以上先へ進まず泊まったり、神社に参詣してお札を貰う、というような理由で短い移動にしている日は多くの旅行記にあり、毎日毎日、体力のある限り歩いたわけではありません。宿場同士の距離も違うので、最終到着日は守りつつ、調子がよければ早立ちして頑張って歩き、疲れていれば少しゆっくり、ということはしてたみたいですね。 慣れない人、たとえば初めてお供をする手代君などがまめを作ったり筋肉痛になったりもしたという記述もあります。

すると、全ての回答が全文表示されます。

その他の回答 (6)

回答No.7

歩いて行った。 江戸時代に、お伊勢参りブームが起こったらしくて、日本各地から伊勢神宮に、何カ月もかけて、往復、歩いたそうです。 行けない事情が有る人は、飼い犬に財布と一筆書いた札とかを持たせて、お伊勢参りの旅行者に世話してもらいながら、連れてってもらったそうです。

すると、全ての回答が全文表示されます。
  • FattyBear
  • ベストアンサー率33% (1613/4852)
回答No.6

江戸時代の旅行は移動は徒歩、一日30Km程度は歩いたようです。 休日を入れるか入れないかは本人の裕福度にもよるかも。金があれば ゆっくり滞在、貧乏で予算が無ければ強行軍。それなりの運動量なので 筋肉痛にもなったでしょう。普段歩かない人ならば当然のことかも。

すると、全ての回答が全文表示されます。
  • y0702797
  • ベストアンサー率26% (291/1078)
回答No.5

江戸時代の旅行は徒歩で、「一里塚」という土を盛り、松や榎(えのき)などの樹木を植えた塚がありました。 徳川家康が慶長9年(1604)から8年の歳月をかけて江戸日本橋から一里(約4km)ごとに主要街道に築かせたもので一里塚の隣には弘法さんを祀った茶所があり、旅人の休憩所として、また人馬を借りる駄賃定めのため使われていました。 また街道には、「旅籠(はたご)」があり、旅人を宿泊させ、食事を提供する宿泊施設(旅館)がありました。 明治に入り蒸気機関車が登場するまでは、「馬車」が交通のツールとなっています。

すると、全ての回答が全文表示されます。
  • nijjin
  • ベストアンサー率27% (4845/17885)
回答No.4

汽車が日本に来たのは明治時代ですからその前の江戸時代としましょう・・・ 当時の旅道である街道には宿場(町)がありそこで旅籠(旅館)がありそこで体を休めており場合によっては数日泊まる事もあります。 また、当時の人は今よりも健脚だったようで30km~40km歩いていたという話もあります。 まあ、歩く以外に移動手段がありませんからね。 あと、篭屋があり人力で籠を担いで運ぶ商売もありました。 馬もあったようです。 もちろんお金がかかりますから全般にわたって使える人というのは限られています。 因みに、当時は行き先を決めない自由な旅なんかは出来なかったようです。 とはいえ、目的地はで真っすぐ行き帰ってくることはなく諸国漫遊は出来たようです。 徒歩ですから時間もかなりかかり、少し諸国漫遊なんかをしていると江戸(東京)から伊勢神宮(三重県伊勢市)までの往復で2ヶ月ぐらいはかかるようです。 時間もかかるし移動にはお金がかからなくても宿泊などでお金もかかりそう何度も行ける訳ではなかったみたいです。

すると、全ての回答が全文表示されます。
  • are_2023
  • ベストアンサー率32% (1068/3301)
回答No.2

金持ちは馬とか籠を使いましたが、大部分は徒歩ですね 疲れるから多くの宿場ができたのです でも宿場間の距離は40km前後だから江戸時代の頃の人は1日で40kmくらい歩いた様です その頃は靴が無く草履だったので足の指をしかかり使う事ができて、今より上手に効率よく歩き疲れにくかったそうです

すると、全ての回答が全文表示されます。
回答No.1

江戸時代は、毎日次の目的地まで徒歩で歩いていました。 当時の人々は、草履やわらじを履いていたため、地面にかかとが しっかりとついていました。しかし、靴を履くようになると、 つま先のあたりに圧力をかけるようになり、歩き方が変わって しまったと言われています。そのため、1日に30~40キロも歩いた ことがありました。当時の旅人は、草鞋を履いていたため、 道路が舗装されていない状態でも草鞋で歩きました。 草鞋の紐がちぎれたり緩んだりすることもあり、自分で草鞋を 編むスキルを持っていないと旅には出かけれれませんでした 江戸時代の旅人は、早朝に出発して夕方に着くことが基本でした。 休日をつくらずというか、夜道は怖く、外灯も無かったため、 日が暮れないうちに次の宿に着くことが基本でした。

すると、全ての回答が全文表示されます。