- 締切済み
現代文が苦手な文系、どうすれば
文系の高校3年生です。質問したいことが2つほどあります。 私は現代文が苦手です。 現在、学校では国公立大学2次試験の対策として、いろいろな大学の過去問を用いて記述問題の演習が行われているのですが、解答が時間内に作成しきれず、かろうじて作成したものも少ししか点を与えられないようなものが多い、という感じで、日々打ちのめされております。 「解答の書き方がよくなかった」という記述力の問題ではなく(古典の記述だとほとんどこのタイプのミスなのですが)、それ以前に、文章をふわっとしか掴めておらず、内容を理解できていないのが問題だと思っています。 私が文章の内容を理解できない理由として、一つは語彙力の不足があると思います(言葉自体をぼんやりとしか捉えられていないため、文章としてもぼんやりとした理解しかできなくなってしまう)。しかし、語彙力を補強しただけで文章が理解できるようになるとは思えません(これは本当にただの私の感覚ですので、いや、語彙力があればできます、ということであれば教えてください。今すぐ語彙のテキストを開きます)。やはり大きいのは、「読解力」なるものの不足だと思います。なんとも表現できないのですが…。読解力って、勉強して得られるものというより、人生の中でなんか自然と身につくものというイメージがあって、高3にもなって読解力がないのは手遅れなのでは、と思ってもいます。本を読むのは好きなのですが、積極的には読んでこなかったので、読んだ冊数としてはかなり少ないです。 1つ目の質問は、「読解力はどうすれば身につくのか。今からでも読解力をつけることはできのか」というものです。 そんな現代文が苦手な私ですが、これまで、内容をふわっとしか掴めていなくても選択式の問題は解けていたので、テストでも壊滅的な点数を取ることはなく、苦手意識は持ちつつも、そこまでの危機感を持っていませんでした。先日受けた共通テストの現代文も満点でした。今頃になって、国公立大学の2次試験という「ほぼオール記述のマジで文章が読めていないと解けない問題」に向き合ったことで、ごまかし続けていた自分の実力の無さを突き付けられました。 実のところ、私の第一志望の大学では論述問題が出ず、過去問を解いてみても、このまま行けば受かるかなという感じの手応えです。そのため、受験に受かるということだけで言えば、このままの実力でも良いといえば良いです。 問題は、大学に受かったあと、私は文系大学生としてやっていけるのか? ということです。第一志望は人文系の学部です。作品(文学に限りませんが)を解釈したり、レポートを書いたり、ずっと現代文の実力が求められるというか、実力がある前提で、授業や大学生活が進んでいくと思うのです。大学側も、入試に論述問題を出さないとはいえ、そういうのが出来なくていいと言っているわけではないでしょうし、大学にはそういうのが出来る人たちが集まってくると思います。 2つ目の質問は、「現代文が苦手なまま大学に進むと、やはり苦労をするのか。また、大学生になるまでに私にできることは何か」というものです(1とも被るかもしれませんが)。 特に、実際に「現代文が苦手だけど文系学部に進学した」という方がいらっしゃいましたら、体験談などお聞かせ願いたいです。 長文に目を通していただきありがとうごました。よろしければ、ご回答お願いいたします。
- みんなの回答 (1)
- 専門家の回答
みんなの回答
- Nakay702
- ベストアンサー率79% (10007/12518)
以下のとおりお答えします。 >私が文章の内容を理解できない理由として、一つは語彙力の不足があると思います(言葉自体をぼんやりとしか捉えられていないため、文章としてもぼんやりとした理解しかできなくなってしまう)。しかし、語彙力を補強しただけで文章が理解できるようになるとは思えません(これは本当にただの私の感覚ですので、いや、語彙力があればできます、ということであれば教えてください。(…)1つ目の質問は、「読解力はどうすれば身につくのか。今からでも読解力をつけることはできのか」というものです。 ⇒いわゆる知的営為において我々の抱く概念は、その多くが単独にあるのではなく語彙と一体になって存在し、想起されるのだと言われます。そして、言語はすべて、有限個の材料(規則と語彙)を使いながら、無限の表現が可能になります。このあたりの仕組みの習熟する過程で、我々は無意識に頭脳を鍛えていることになります。言語を学習したり使ったりする時、同時に考える力(分析力・推理力・判断力など)が暗黙のうちに鍛えられる、ということでしょう。 言語学者サピアと人類学者ウオォーフは言ったそうです。「我々はみな自分の用いる言語によってがんじがらめに拘束されている」(サピア=ウォーフの仮説)と。つまり、我々の思考や行動、とりわけ知的営為は、言語に縛られており、それに左右され、決定づけられる、ということのようです。「語彙は思考の根本的素材」だからです。具体的な例をあげれば、(極端な単純化との謗りを受けるかも知れませんが)「語彙力1万語の人と2万語の人とでは、頭脳労働の能力が2倍違う」ということになる、というわけです。ゆえに、「語彙のテキスト」に限らず、言葉に関わる際は常に語彙力の増強を意識し、意図なさることをお勧めします。 >2つ目の質問は、「現代文が苦手なまま大学に進むと、やはり苦労をするのか。また、大学生になるまでに私にできることは何か」というものです(1とも被るかもしれませんが)。 特に、実際に「現代文が苦手だけど文系学部に進学した」という方がいらっしゃいましたら、体験談などお聞かせ願いたいです。 ⇒新聞を読み、社説や投稿欄の「声」の主張を要約する練習が有効だと思います。私も現代文が苦手でしたが、半年間ほど毎日これを実践しているうちに、かなり自信が持てるようになった経験があります。所説を要約し、それに対する自分自身の考えや意見を下書きしてみると、受験やレポート・小論文の作成などにおいて有効な訓練になります。以上、お勧めします。
お礼
Nakay702 様 回答してくださってありがとうございます。お礼が遅くなってしまい申し訳ありません。 倫理で習った構造主義的な考え方を思い出しました。やはり語彙をおざなりにしてしまうのはまずかったですね…。 ご自身の実践していた方法も教えていただけて助かります。 簡単には行かないとは思いますが、頑張ってみます!