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国語(現代文)

都立高校1年の男子です! 国語(現代文)に疑問があります。 極端に苦手というわけではないのですが 授業を受けていて変な感じ(?)がして 授業をすんなりと受け入れること出来ない気がします 変な感じというのは、 国語って文章の読解とか人とそれぞれ 読解のしかた(感じ方?)は違うんじゃないか? だから学校の現代文担当の先生の授業をそのまま 全て受け入れてしまっていいのか?と思っています 例えば10人現代文の先生がいて その10人の先生ががすべて同じ内容を 教えるってことはないですよね? 数学・英語などとは違って同じ内容でも先生によって 教えることって変わっちゃうんじゃないですか? それとも教える内容には決まりみたいなもの (カリキュラム?)があるんですか? なんかこうして考えていると 国語はなにを教えようとしているのか?とか が気になってしまいます。 自宅での国語の勉強法もよくわからないし、 集中して授業を受けれない気がしてしまいます 僕はまだやる気はあるので勉強はしたいのですが これからどんな心構えで授業に臨めば 良いでしょうか?教えてください 言っていることが良くわからなかったらすみません…

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回答No.3

あーわかります、その「変な感じ」。解釈は人それぞれだから、正解なんてないんじゃないか、とか思ってしまうんですよね。(まあ、教科書に載ってるような超有名な文章などですと、一定の解釈ができあがってしまってて先生用のあんちょこに書いてある場合もありますけど。) よほど単純な指示語の問題(この「彼」は誰を指しているかetc.)とか正解が明白な漢字の問題とかでないかぎり、現代文の解釈というのは曖昧です。「作者の意図は」とか聞かれても、決定的な正解はないんじゃないかと思ってしまいます。現に、作家の村上春樹さんなんかも、試験の問題文として自分の作品が取り上げられてこの文章の意図はこれこれだ、と断定されている場合も、ふうんそうなんだ、くらいのお気持ちを持たれるみたいですよ。書いた本人ですらそうなのですから、読む人ごとに解釈の違いが出ることがあってもまったく不思議はないと思います。 そこで、現代文の勉強についてですが、よりたくさんの本(文章)を読むこと。その文章を咀嚼して自分なりに解釈してみること。作者は何を伝えようとしているのか、自分なりに考えるくせをつけましょう。だって文章を書くからには、何か伝えたいこと(情報だったり、雰囲気だったり、意見だったり)があるからこそわざわざペンを取って書いているわけですからね。 国語の授業に際しては、果たして自分の解釈と先生の解釈は同じなのか、違うのか、そのことに注意をはらいながら受けるといいと思います。先生のいうことが唯一絶対ではなく、多くの解釈のうちの1つかもしれないという視点をもつことです。ああ、○○先生はこう解釈しているんだ、と。大学の文学部などでは「この文章をどう解釈するか」でディスカッションをすることも多いですよ。教授の意見が絶対な訳ではなく、生徒が目からウロコのような意見を出すときもありますし。……授業は、他人がどう解釈しているかを知り他人にも自分の考えたことを知ってもらういいチャンスな訳です。 現代文の試験においては、以上のような訓練をしたのちに、、、 (ここからはちょっと姑息な方法なのですが) “出題者の意図をくみ取ること” これがとても重要だと思います。つまり、出題者が何を答えさせようとしているのか、先を読むのですね。たとえそれが自分の解釈と違っていても、です。そのためには、「こういう解釈も可能だ」「でもこういう風にも考えられる」というフレキシブルな考え方の切り替えというか、考え方の引き出しを多く持つというか、そういう風になれるよう日頃から問題意識を持って文章に当たり、他人の解釈を自分の肥やしにするといいと思います。 私は現代文の授業好きでしたよ。その国語教師の人となりというか、人生観みたいなものがかいま見えたりしてね。今私は翻訳業をしていますが、原文を前にして「作者は何を言いたいのか」を常に考える日々です。 ぜひたくさんの文章にふれて、自分の世界を広げてください♪

silver-you
質問者

お礼

お礼が遅れてしまい申し訳ありません 現代文は嫌いじゃないいんですけどね…。 (確かに精神・肉体的に疲れますけど…) やっぱ数学とかみたいに柔軟な思考力が必要ですか 現代文の授業、楽しく受けていけるようにします!

その他の回答 (7)

回答No.8

お気持ちはよくわかります。そして、あなたの解釈が間違っているわけではないのです。ただ、入試の問題には「次の文章を読んで後の問いに答えよ」とありますよね。本文に根拠のないことを書いてはいけないわけです。また、客観的でなくてはならないわけです。そうでなくては採点できませんよね。つまり、現代文は著者の解釈を論理に沿って答えさせる試験であって、あなたの解釈を答えさせる試験ではないのです。ただ,教師の力不足のために解説に飛躍があるというのはよくあることです。それでは力がつきませんから独学で学習する必要があります。私は出口の現代文で京都大学に受かることができました。参考のために書店でみてみることをお勧めします。

silver-you
質問者

お礼

お礼が遅れてしまい申し訳ありません 出口の国語ですか~ 高校受験の時に国語の参考書・問題集は 出口を使用していましたよ~ その考え方は何度もよんで理解したんですけど いざ実践!って言うと難しいんですよ笑 やっぱこれは慣れるしかないですよね! これからもがんばります! 回答ありがとうございました

  • yyk2005
  • ベストアンサー率30% (51/169)
回答No.7

確かに小説など文学作品では多様な解釈があります。それは文学作品には自分の思考や経験を投影して読むからであって、同じ文学作品でも読み返してみるとまた別の印象を持つことがある、というのはこのためです。 しかし、こと評論等の論理的な文章では別です。そもそも文章の書き手は、伝えたいことがあってその文章を書いているのですから、多様な解釈をされたりすると困るわけです。例えば、質問者様の今回のご質問にしても、「この人の質問はこうも考えられる」、「いや、本当に言いたいのはこういうことだ」などという多様な解釈をされていては、いつまでも誰も回答することができないことになります。それでは、質問者様がご質問なさった、すなわち文章を書いた意味がありません。よって、現代文の先生が10人いたら、同じ文章に対しては10人とも同じ「解釈」をするはずです。 さて、仮に、同じ文章から違うことを読み取るという事態が生じるとして、それは何が原因なのでしょうか。文章には書き手と読み手が存在します。もし、違う「解釈」をするとすれば、その原因は書き手の側か、読み手の側、あるいはその両方にあることになります。書き手の側の原因というのは、読み取りにくく書いたということであり、読み手の側の原因というのは、読解力が不足しているということです。 高校の現代文で扱っている文章は日本の知識人のものであり、書き手の側の責任を問うことはできません。(個人的にはそんなこともないとは思うのですが、高校生の質問者様が「分かりにくい文章だなあ、もっと分かりやすく書くことはできないの?」という文句をつけることは難しいでしょうし、そのようなことをしても高校国語の学習において何の役にも立ちません)。ということは、読み手の側が読解力を上げなければならないことになります。読解力とは、「知識」と「論理を追う力」です。この2つを上げることによって、読解力も高まります。 では、どのようにすれば、「知識」と「論理を追う力」が高まるかというと、小論文を書くことがよいトレーニングになります。小論文を書くには、そのテーマに関する知識と、論理的に書く力が必要だからです。現代文をどのように論理的に読み取ればよいのか、ということを考えるまえに、そもそも論理的とはどういうことなのかということを小論文を通して考えることをお勧めします。

silver-you
質問者

お礼

お礼が遅れてしまい申し訳ありません 回答参考になりました!ありがとうございます 小論文がオススメですか~ ちょっと試してみたいと思います ありがとうございました

  • jun_saku
  • ベストアンサー率36% (21/58)
回答No.6

教育学部国語科卒の者です。 読解力が各生徒によって違うので、とらえ方に違いが出ます。違うのが当然!と決め付けているなら、もしかしたら文章内容をきちんととらえていない…という事かもしれません。 基本的に高校現代文には決まりがあります。文章には、絶対そうだという所があります。先生はそこを教えるので、根本的な事に対しては、現代文の先生が10人いたとしても、同じ事を教えます。 例えば、太宰治の走れメロスをあげるなら… メロスが悪の象徴である王様の罠に挫けず、セリヌンティウスとの友情を貫いて約束を守り、なおかつ王様の悪の心をも変えるという話ですよね。 ただ、読む力がなければ、「メロスは友情をつらぬいた」としか理解できなかったり、「何故最後、殴りあったんだろう?」と訳が分からなくなったり、「メロスは裸でカッコ悪いな」みたいな感想になったりします。 現代文の先生は、現代文の奥深くまで掘り下げて、登場人物の心情とか、作者自身の事まで教えてくれます。現代文をしっかり理解している先生なら10人同じ事を話すはずです。指導要領に沿った内容を教えるはずです。 …先生の教える力の差はありますが…。 ただ、詩・短歌・俳句などの文章が短すぎる作品に関しては、色々な見方が出てくる場合があります。そういった「答えが人によって異なる」という内容は、大学に行ってから専門的に学習します。

silver-you
質問者

お礼

お礼が遅れてしまい申し訳ありません そうですか~ やっぱ先生の言うことも重要なんですね じゃ先生の意見からまた発展させて 自分の考えをまとめていけば大丈夫ですね? アドバイス参考になりました

  • zentarooo
  • ベストアンサー率37% (64/169)
回答No.5

 おっしゃるとおりだと思います。  同じ文章を読んでも、その感じ方はまさに十人十色です。文章を読んでそれぞれが、自分の経験や思想に照らしていろいろな感想を持つのは当然です。が、それは読書でして、入試の「現代文」とは異なります。  「現代文」とは、感想を書くのではなくて、文章の論理の展開を見つけ出し、その論理を示す教科です。他の方の回答にもあるように、論理の展開そのものである数学と似通った教科と言えます。  その論理から導かれた結論やそれに対する読者の感想が問題なのではなく、論理の過程を見つけられればそれでいいのです。  また、「次の文章を読んで思うところを書け」なんて問題もたまにありますが、これも内容よりも、論理がちゃんと展開されているかが問われます。論理さえしっかりしていれば、結論は問題ではありません。  少し難しいかもしれませんが『論理トレーニング』という本が参考になるかもしれません。ちょっと高いので図書館ででも探してみてください。  

silver-you
質問者

お礼

お礼が遅れてしまい申し訳ありません 文章を論理的に追っていくんですね? 論説文なら楽ですけど小説文は なかなかうまくいかないんですよね笑 それについてはどうにか克服できるように頑張ります 回答ありがとうございました

  • nekosyu
  • ベストアンサー率33% (2/6)
回答No.4

質問者様とまったく同じ考えです。 読解の仕方は人それぞれ違う、当たり前のことだと思います。 だから私は国語は好きですが、黒板はそれほど熱心には写しません。 これはおもしろいなと思った意見や、知っておくべき一般的な知識が出てきたときに メモしておく程度です。 けれど、国語の授業自体はあるべきものだと考えています。 何故か。 それはもし国語の授業がなくなってしまえば 一週間のうちに一度も文章らしい文章に触れないような学生が出てくるからです。 私は国語の授業は あくまでも自分で文章を読み、それについて少しでも考えを巡らせることに 意味があると思うんです。 だからけして先生の見解に納得する義務はないし それが正しいのだと思い込む必要もないです。 だから国語の授業は最低限読んでおくべき文章を読む時間、と 軽く考えればよいと思います。 あと、家庭での勉強法についてですが(あくまでも私の個人的見解です) 現代文はとにかく読みなれることと解き慣れること全てが懸かっているように思います。 だから薄い問題集でも買ってきて、自ら新しい文章に触れることが ゆっくりだけれど確実に現代文の力をつける方法だと思います。

silver-you
質問者

お礼

お礼が遅れてしまい申し訳ありません 自分で考えることって大事ですよね!同感です!! 僕は答えとかすぐ見るの嫌なんですよ~ じっくり考えて問題といたりしたいんですよ (これのせいでテストはペース配分が…笑) 日常の勉強にも現代文の演習を入れていきます 回答ありがとうございました

noname#24768
noname#24768
回答No.2

国語の授業に関しては私も以前疑問を持っていました。 考え方のひとつとしては、国語というものは大体において、「以下の文を読んで、次の問いに答えよ」と設問の設定がなされるものです。 つまり現代文というものは、あなたが得てきた人生観というフィルターを通して作文を読むのではなく、「以下」の断片のような一小説から何が読み取れるかを学ぶものである。といえると思います。その点では国語と数学とは反するもののようなイメージがありますが、ある意味国語も数学も論理能力を磨くための方法の1つであるといえるかもしれません。 これからは現代文とはいえパズルを解く気持ちで授業に望めば違った見方が出来るのではないでしょうか。

silver-you
質問者

お礼

お礼が遅れてしまい申し訳ありません 共感してくれる方がいてうれしいです! これからは現代文の演習も 日々の勉強に導入したいと思います アドバイスありがとうございます

回答No.1

あなたはとてもいい感覚をしていると思います。 そうなんです。一番大切な感受性はみな、さまざまですから、その域に行くと、誰が正しいのかということはできない、個々の感受性に行き着くからです。 学校の現代国語で教えられること、また、大学の入学試験等で要求されるレベルはもうひとつ下のものです。 ただひとつ。「ナニガイイタイカ」を把握することです。 選択肢式の試験であれば、文章の「イイタイコト」と違ったエダを切れば、それで正解です。記述でも、「イイタイコト」を簡潔にまとめることで正解です。 その意味では、あなたのような疑問を持てる生徒さんは、基本的な資質が十分にあると思えます。 自慢ではないですが、私もそうでした。 現代文の勉強はしたことがないくらいですが、試験はいつも上出来でしたよ。 (文法だけは必要ですが) 授業には、その先生の解釈や解説がどう違うかくらいを楽しみにして受けられればいいでしょう。 あなたは基礎力があるので、そういう余裕の元で力をずっと伸ばせていけると思います。

silver-you
質問者

お礼

お礼が遅れてしまい申し訳ありません これはいい感覚なのですか? 中学あたりから感じ始めていました…。 物語りや筆者が何がいいたいのかを 理解するにはなんどもしっかり読むべきですよね 先生の解釈も考え方のひとつとして 自分の意見もできるかぎり尊重していきます 回答ありがとうございました

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