いじめを見ていただけの方
おりますか?
先日もいじめ問題について質問させて頂きました。
その節は真剣、かつ親身なご回答を頂きまして、誠に有り難うございました。
さて、あれからも色々考えておりまして、結局のところ、未だに誰が一番悪いとか何とかと、様々な分野に置いて波紋を広げているこの問題、やはり綺麗事では済まないと言う気持ちが自分の中で強くなりました。
そこで、お尋ねしたいのは、みなさまは「いじめ」なるものを目のあたりにした時に、どう言った行動を実際は取るのか?と言う事です。
自分はと言いますと、先日の質問でもお礼の中で書かせて頂きましたが、止めると思います。
実際、止めても来ました。
自分の周りでは、いじめと言ういじめは、過去から現在に至るまで、本当にそれらしいといったものは無かったと思いますが、それが「いじめ」だと周りに認識する前に止めて来ました。
これは自分の「性格上」と言う部分がとても大きいです。
批判覚悟で言いますが、これは綺麗事でも理想論でも何でもなく、建前としては色々ありますが、本音の部分で言えば、「自分は主犯となっていじめをする側の人間だから」だと思います。
いじめをする側の人間が、自分がいじめられるなどと思う訳がありません。
もちろん、いじめはした事はありません。
と言っても、あくまで自分だけの主観からの話になりますが。。。
男性が女性に対し、「結婚はいつするの?」と聞く事がセクハラにあたるように、こちらに悪意は無くても相手がそれをどう取るかは分からない事ですので。。。
自分が今までの事で止めて来た事も、勇気や正義感と言った聞こえの良いものから来る行動ではなく、あくまでも加害者側の態度が「気に入らなかったから」です。
いじめを始める時の感情と、なんら差はない事だと思います。
でも、実際、結果論でいえば、いじめまでは発展しなかったです。
自分の場合は、そう言った性格上の特殊なケースだとの認識はもちろんありますが、そう言ったケースでなければ、実際周りにいる人間には、いじめを止める事は出来ないのでしょうか?
教師や教委、挙句の果てに市長まで出てきて、いじめを規制するより他はないのでしょうか。
またまた批判されるとは思いますが、某映画の言葉を借りれば、
「事件は会議室で起きているんじゃない、現場で起きているんだ」的な事ではないでしょうか。。。
今回の大津の件で、周りで見ていて止めてあげられなかった子達にも、実際責任を感じている子もいると思います。
でも、それは被害者の子が自殺したからではないですか?
幸い、被害者は自殺しなかったけれど、いじめは見ていたと言う人は、どう思っているんでしょう?
過去にいじめを受けていた方、一番誰に助けてもらいたかったですか?
過去にいじめをしていた方、一番誰から止められれば効いたと思いますか?
いじめ問題に関しては、「縦よりも横の繋がり」の方が一番重要なのではないかと自分は考えます。
「下手に行動すれば、今度は自分がいじめられる」
その気持ちは、とても理解出来ます。
でも、「猫の首に鈴」ではありませんが、解決方法が分かっているのにそれを誰が実行するか分からないような社会の仕組みが、余計にいじめを助長しているのではないかとさえ思えて来ます。
ヒンシュクを買うような質問で大変申し訳ありませんが、どうすれば一番良いと思うのか、教えて下さい。