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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:理不尽さに耐え渡り歩けるのが暴力的な感覚?)

理不尽さを渡り歩ける感覚とは?

このQ&Aのポイント
  • 暴力的な感覚で理不尽さに耐え渡り歩けることはありますか?ブラック企業や学校の体罰など、正しくはないが上手く渡り歩くことができる人たちはいるのでしょうか?
  • 組織で業務をこなせるが上司からの理不尽な扱いを受けるケースや、野球部で嫉妬されて退部させられるケースなど、理不尽な状況を耐えながら成功する人も存在するのでしょうか?
  • 学校や組織での理不尽さによって強くなる感覚を持つ人もいるようです。特に支配欲がある人が自身の権力を誇示し、従わせるために行う行動や、いじめを肯定する意見も存在します。このような感覚や考え方について、どのような視点から考えるべきなのでしょうか?

質問者が選んだベストアンサー

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回答No.1

会社や学校というのは単なる器で実際には権力を持った上司や教師が気まぐれな憂さ晴らしに都合の良い口実でパワハラしているに過ぎません 経営者の場合はそれに加担するか売り上げが上がっているなら黙視 学校なら校長が外部に漏洩しないようもみ消す 子供のころにいじめっ子体質だった人はそのまま大人になっても悪知恵が働きますしいじめられっ子だった子は当時のうっ憤を成人して力を付けた今こそ無関係な部下で晴らす、そんな悲しい時代なのです。 見当違いな回答でしたらすみません。

hinomine1975
質問者

お礼

御回答戴き有難う御座いました >会社や学校というのは単なる器で実際には権力を持った上司や教師が気まぐれな憂さ晴らしに都合の良い口実でパワハラしているに過ぎません 経営者の場合はそれに加担するか売り上げが上がっているなら黙視 学校なら校長が外部に漏洩しないようもみ消す 確かに良く伺われる話です。 厳しく叱責する位なら良いが、私情が入り嫉妬や苛めに 成るとパワハラと成ります。 >子供のころにいじめっ子体質だった人はそのまま大人になっても悪知恵が働きますしいじめられっ子だった子は当時のうっ憤を成人して力を付けた今こそ無関係な部下で晴らす、そんな悲しい時代なのです。 確かに苛めると更に下の者にストレスが向く、 理不尽さを渡れる(上にへつらい下を苛める)より、 理不尽さは理不尽だと云える事が大事だと思います。

その他の回答 (2)

  • nagata2017
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回答No.3

学校にある校則には不合理で理不尽なものが多いですね。 これは不合理だろうと理不尽だろうと ルールがあるかぎり黙ってそれに従え。という意味を持っています。 その目的は 黙って命令に従い働く従順な労働者を大量生産するための政府の方針なのです。(表立って認めることはないでしょうけど) その結果 ブラックでもすぐに逃げ出したりせずに働く人が多いのです。

hinomine1975
質問者

お礼

御回答戴き有難う御座いました。 >学校にある校則には不合理で理不尽なものが多いですね。 これは不合理だろうと理不尽だろうと ルールがあるかぎり黙ってそれに従え。という意味を持っています。 法律も憲法も付き詰めればそうだと思います。 >その目的は 黙って命令に従い働く従順な労働者を大量生産するための政府の方針なのです。(表立って認めることはないでしょうけど) その結果 ブラックでもすぐに逃げ出したりせずに働く人が多いのです。 唯ある程度の規制や少しの理不尽さは受け容れられますが、 限界を超えるとパワハラの問題が起きると思います。 そして、表面上従い、弱い立場の者を苛める人も居ります。 これは、表面上逆らわず纏まっている様に思えますが、 根本的な解決には成らないと思います。

  • kuramae
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回答No.2

暴力性は人間という動物の本能です。 生きていくためには、強くなければいけません。 餌をとる為にも、子孫を残すためにもです。 学校や会社においても、動物的暴力性を発揮する者がいます。 ただ、人間は社会的動物の一面もあります。 そのため、知的暴力(言語的暴力)を発揮することもできます。 動物的暴力が苦手な者は、知的暴力で対抗しては如何でしょうか。 そして、暴力を封じるにものは、暴力という現実を、 認識してください。 さらに、ジェノサイドではなくパワーオブバランスが、 現実的ということも覚えておいてください。

hinomine1975
質問者

お礼

御回答戴き有難う御座いました。 >暴力性は人間という動物の本能です。 生きていくためには、強くなければいけません。 餌をとる為にも、子孫を残すためにもです。 学校や会社においても、動物的暴力性を発揮する者がいます。 ただ、人間は社会的動物の一面もあります。 そのため、知的暴力(言語的暴力)を発揮することもできます。 動物的暴力が苦手な者は、知的暴力で対抗しては如何でしょうか。 その為に法律や裁判と云うものが存在していると思いますが、私は大声で迫られると「耐えれない私が悪いのかも」と思ってしまう処がありますが、その様な対応は必要だと 思います。 >そして、暴力を封じるにものは、暴力という現実を、 認識してください。 さらに、ジェノサイドではなくパワーオブバランスが、 現実的ということも覚えておいてください。 確かに、ジェノサイドは一時的に従う事は出来ても続かないと思います。やはり、力もバランスよく使う事が大切だと思います。