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「本当にごめん」

ふと思ったのですが「本当にごめん」って変な言い方ですか? ごめんに”本当“とかあるのかって気がしますが、それ言ったら本当では無いごめんもあることになると思いますが 気にしすぎですか?

みんなの回答

回答No.13

誠に申し訳ございません、のフランクなものだと思います。 あまり気にしたことはありませんでしたが確かにごめんに本当も嘘もないですね。同じように何が誠なのという感じですが。心から反省してないとかはありますが、この場合本当というのはごめんという謝罪自体のことではなく申し訳ないという気持ちや謝ってる行為を強調してるように感じます。 話は変わりますが最近では「そうなんですね」の意で「本当ですか」と言う人も多いと思います。この場合、相手の言ってることを疑って本当か嘘か聞いているわけではないですよね。このように本来の意味ではなくニュアンスを伝えるために使ったり単なる強調だったりするのかも知れません。 ちゃんとした答えになっていなくて申し訳ないですがご参加までに(*´-`)

  • sakura-333
  • ベストアンサー率10% (952/8905)
回答No.12

ごめんを強調する時に使うのかなぁ? ただのごめんでも悪かった気持ちは入っていますが、場合によっては表面的なものだけで終わることもあったりして。 一応そういう態度だけ見せておくっていう…

noname#258718
noname#258718
回答No.11

 変な言い方、というよりも、そうやって謝る時は、ちょっと、道を踏み外してしまった、というか。(浮気しそうになった、とか)  ちょっと、裏の世界(?)を感じてしまう言い方かもしれません。 或いは、昭和40年代の日本語、といいますか。(大人の世界?)  https://japanknowledge.com/articles/blognihongo/entry.html?entryid=30  https://www.youtube.com/watch?v=ZB-zsUaEO-k >本当では無いごめんもあることになると思いますが  本当ではない、というよりも、軽い感じ。 (単に、少し、待ち合わせの時間に遅れた、とか。 これが、待ち合わせに行くことができなかった、となると、「本当に、ごめん」となるかと。 裏の世界というよりも、事態が、もっと深刻といった感じでしょうか)

回答No.10

「ごめん」を強く言った状態ですね。 でも本当に思っているかどうかは? 一応言っている人もいますから

noname#252430
noname#252430
回答No.9

裏を返せばそうなるかもね。 私は「本当に」で「ごめん」を強調しているように感じる。 その証拠に「マジで」や「ガチで」を入れる場合もあるでしょ? ※誰かが「ごめん」の本当の意味とか成り立ちとか言ってたけど、 本当の意味として使ってる訳ないからあまり関係ないよ。

回答No.8

本当に謝っていない「ごめん」もあります >気にしすぎですか? そんなこと無いですょ

  • yaasan
  • ベストアンサー率22% (2725/12280)
回答No.7

私は気にしませんが、気になるなら使わないという手がありますよ。 謝るのに、本気度があってもいいじゃないかと思います。

  • dell_OK
  • ベストアンサー率13% (766/5721)
回答No.6

本当ではないごめんもあります。

noname#252332
noname#252332
回答No.5

 ごめんください。ごめんだけどさ、醤油とって。昔、ある食堂でT君が「すみませ~ん、すみませ~ん」と給仕を呼んだ後、こんなに謝ってるのに出てこないとぼやいたことがある。もっと本気でないときは「遺憾に思う」と言います。これは、俺は悪かったと思ってないがそんなに謝ってほしいなら謝ってやる、という意味です。

  • DAMSAREX
  • ベストアンサー率20% (107/522)
回答No.4

御免という言葉の誕生について考えると、「お前が許せばすむことだ」を2文字にしたのが「ごめん」であり、「実は謝ってはいない」のです。 「申し訳ない」もそう。「すみません」もそういう感じです。 言葉はとても便利で、私達の先祖は長い時間を掛けて言葉の意味を自分達に都合がいいように変えて「きちんと謝っている」ことにしました。 思うに「誤っている」と「謝っている」が同音なのが「何よりの証拠」だと思いませんか。恐らく、他の国の言語でも同じように「謝罪の言葉の意味はかなりの遍歴をたどってから反転している」ものが多いはずです(これは自分の憶測にすぎません)。 「本当のことは教えたくない=先祖は自分や他人に時々嘘をついて生き残るしか術がなかった」から、「本当」も誕生したと思われます。 あなたのように「疑うことはとても大切」で、その友人もあなたも当の自分も「先祖の言葉を信じて使う」しか選択肢がありません。 その使い方は誤ってはいないので、たとえ謝罪が本(当の)心からでなくても、見逃してあげましょう。 「皆が本当に正直」だったなら、こんなに私達の語彙は増えていないはずです。

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